おつきあいしてからの描写が少ない理由 - センセイの鞄の感想

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センセイの鞄

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おつきあいしてからの描写が少ない理由

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
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2.5
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演出
3.0

目次

おつきあいしてからの描写の少なさについて

『センセイと再会してから、二年。センセイ言うところの「正式なおつきあい」を始めてからは、三年。』この描写に驚いたのは、私だけだろうか。

『センセイ言うところの「正式なおつきあい」』が描かれているのは「公園で」の章。最後から2番目の章だ。

文庫本のページ数で計算すると、再会してからの2年に230ページ費やしたのに対し、おつきあいしてからの3年には約30ページしか費やしていない。おつきあいしてからのエピソード少なすぎじゃない?

しかも、次の文。「あのころから、まだ少ししかたっていないのに。」とある。ということは、今までの話はセンセイが亡くなってからしているツキコさんの回想話?えー、じゃあ尚更付き合ってた頃の幸せエピソードを思い出せばよいのに。

センセイへの恋心を自覚するまでのエピソードに約100ページ(注:文庫本の場合)使うくらいなら、その半分のページでもいいから、おつきあいしてからのエピソードに回しなさいよ。

納得いかなかったので、なぜおつきあいしてからの描写が少ないのか深読みしてみました。

幸せすぎてあっという間に過ぎたことを示すため

好意的に捉えたら、センセイとのおつきあいが幸せすぎて、あっという間に時間か過ぎたことを匂わせたかったからかな。「センセイの鞄」の章に、「センセイにすっかり馴染む前に、センセイがどこかに行ってしまった」とあるし。

「3年目は倦怠期に入る」とか「3年目の浮気」とかいう言葉があるくらいだから、人って3年も一緒にいたら普通慣れて飽きてしまうよね。だけど、ツキコさんは「すっかり馴染」んでいない、と考えている。それって、3年たってもセンセイに飽きることがなかった、センセイとのおつきあいが幸せだった、ということじゃないかな。だから、3年があっという間に過ぎてしまったのだ。

それに、幸せな時の記憶って意外と残りにくい。というか、エピソードにしにくい。幸せなできごとって、意外と他愛もないことが多いからだ。実際、「センセイ」「はい」「センセイ」「はい」のくだりなんか、何がおもろいねん、と思えるやりとりだ。でも、2人にとっては幸せなやりとりなんだろう。

このように、幸せな時のエピソードは他愛もないことが多く、落ち着いて振り返ったり、ぼーっと考え事したりしないと思い出しにくいと思う。だから、センセイを失ってまだ少ししかたっていないツキコさんにとっては、付き合う前のエピソードのほうが思い出しやすかったのだろう。

小説的に盛り上がりに欠けるため

意地悪な見方をすれば、おつきあいした後の話は盛り上がりに欠けるから。付き合ってからは、ドキドキすることが減っていくからね。ノロケ話は少しで十分、と作者が考えたのかもしれない。

だいたいの恋愛物語って、恋愛が実ってからはサーっと流されるもんね。童話なんて特に顕著で、白雪姫にしろシンデレラにしろ結婚してめでたしめでたし、で終わる物語の多いこと。

恋愛マンガやドラマでは、付き合ってからのストーリーが描かれる場合もある。だけど、たいてい2人の気持ちがすれ違ってトラブルになったり、2人の仲を邪魔する出来事があったり、とあまり幸せなエピソードは描かれない。

若い子の恋愛なら、若さゆえにすれ違ったりケンカしたりして、2人の仲が深まるという展開を作れるだろう。だけど、ツキコさんは40手前。センセイはたぶん70代。2人にはそんな恋愛、似合わない。特に石橋叩きまくってツキコさんとおつきあいしたセンセイは、尚更穏やかな恋愛を望むだろう。

そもそも先に好きになったのはセンセイのほうではないか、と私はにらんでいる。教師が全ての生徒を覚えているなんてこと、あるわけない。年単位で100人を超える生徒と接しているのだ。教職を10年以上続けたら、関わる生徒は1000人超えだ。再会した時にツキコさんがセンセイの名前をすぐに思い出せなかったことを考えると、2人の間には特筆すべき思い出などなかったのだろう。ツキコさんのほうからセンセイを思い出すことはあっても、センセイのほうからツキコさんを思い出すなんてありえない、と言っても過言ではない。

にもかかわらず、センセイはツキコさんの顔から生徒だったことを思い出し、アルバムを引き出して名前と当時の顔を確認したのだ。そして、準備を整えてからツキコさんに声をかけた。用意周到です。

「ツキコさん」という呼び方も石橋叩きだよね。女子生徒を下の名前で呼ぶセンセイだったら、きっとセンセイはツキコさんの記憶に残ってた。だから、「ツキコさん」という呼び方は再会してからの呼び方なんだと思う。下の名前を呼んでもツキコさんが引かないか、センセイは確認したんじゃないかな。あとあえて下の名前で呼ぶことで、さりげなく特別扱いしているアピール。

その後もありのままの自分を受け入れてくれるか、センセイは手を変え品を変え確認する。ツキコさんがセンセイへの気持ちを自覚しても、確認し続ける。そして、再会した時のように準備万端でこう切り出すのだ。「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか。」

このクライマックスを最高に盛り上げるための石橋叩きエピソード。生半可なノロケでは太刀打ちできない。だけど、波乱万丈な恋愛はツキコさんとセンセイのキャラに合わない。だから、おつきあいしてからの描写が少なかったのではないか、という結論に私は達したのである。

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