没落していく家で育っていく兄弟の物語 - 長崎乱楽坂の感想

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長崎乱楽坂

2.502.50
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
3.00
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1
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没落していく家で育っていく兄弟の物語

2.52.5
文章力
3.0
ストーリー
2.5
キャラクター
2.5
設定
3.0
演出
3.0

目次

面白みがわからないまま読み終わってしまった本

この本を読んで一番に思ったことは、テーマは面白そうなのになんだか文章が全く頭に入ってこず、わかりにくくて腑に落ちないもったいなさだった。古い組織であるヤクザが時代の波に乗って近代的になっていく中、置いていかれている昔ながらの不器用な男たちや、そこでいつまでたっても馴染まずに生きる兄弟やその周りの人々など、すごく面白そうなのにずっとその面白さがわからないまま終わった感じだった。どうしてそうなるのかはあまりわからない。ただ全てが全てそうではなく、その泥臭さゆえの哀しさや子供のどうしようもない感情などは細かく感じられるところもあり、最後まで読み通せる力はある。もしかしたらその題材ゆえ掘り下げ方が微妙なのか、それか登場人物の多さゆえの人格描写の浅さからきているのかもしれない。そうでないかもしれない。もしかしたらただ個人的な好みなのかもしれない。
好きな人が読めばすごく好きなのかもしれないなと思ったのが一番の印象だった。

落ちぶれていく一家の中で育つ子供たち

駿と悠太は大きくはないが中堅程度の極道を家族に持つ一家で育つ兄弟である。おじである龍彦はすでに一家を構えて家を出ており、その下のおじがその家を支えている。そのおじ正吾を慕って若者が始終出入りしているにぎやかな家で彼らは育った。
この家族構成がなにやらややこしくよくわからない。“おじ”と書いたけれども、それはそれが叔父なのか伯父なのかよくわからなかったからだ。気になったら読み直したりするのだけど、何かそれもまあいいかと思わせる眼滑りする文章で、全体的にとても読みづらかった。
正吾は駿の母親とすでに懇ろになっており、それも兄弟たちの目の前でおおっぴらに関係を匂わせている。このような無法地帯である家で駿や悠太が育ったことには哀しみを覚えた。祖母や周囲の者たちは彼らに愛情を与えてはいるが、それでもいつも相手の表情を伺っているような2人の表情は目に浮かぶようだった。おまけに神戸に出奔した正吾を追って、母親も息子を捨てて家を出て行く。よくある話かもしれないが、子供たちにとっては決してよくある話ではない。どれほどの思いをしたのかと想像するにそれは難くない。ただその哀しみと怒りの描写があまりにも少ない。全体的に彼ら登場人物の心理描写はほとんどなく、行動や実際にあったことだけ書かれていることが多いため、彼らの痛々しい心理は幸いにも読まずにすんだ。けれども、物足りなく思ったのも事実だ。

登場人物の心理描写がないメリット、デメリット

駿と悠太が成長するにつれ、この家はどんどん先細りになっていく。龍彦の組もつぶれ、正吾は神戸で鉄砲玉に殺されと、物語は急展開を見せていく。あれほど男たちの活気に満ちていた家には人がいなくなり、残されたのは祖母と駿と悠太だけだった。この侘しさの描写は素晴らしかったと思う。心理描写が少ないと登場人物の気持ちがわかりにくい反面、変に感情移入せずに事実だけを見ることができるからかもしれない。少なくともこの時はこのデメリットがメリットに働いた瞬間だと思う。
他にもこの効果を感じたところがある。東京に出て行くはずの駿と梨花は、最後の最後の情にのみこまれた駿の心変わりで東京行きはなくなってしまった。この逡巡も実際の駿の気持ちをとうとうと書くのではなく、行動や事実描写だけを描くことで彼の気持ちが伝わってきた。
周囲の風景の美しさの描写はやはり秀逸だ。例えば男たちの刺青の鮮やかさや、女たちの華やかな様子などはその色を手で感じられるほどで、それはやはりこの方法でこそのメリットであると思う。
デメリットとしては前述したこともあるが、心理描写が少ないと登場人物の人格がよくわからずどうしても浅さを感じてしまうところだ。ここで言うと梨花自身の考えや思いがまったくわからない。皆に言われるがまま行動し、誘われたらそのまま身をまかせるその様子に若干頭が足りないような感じさえした。もちろん駿が東京に行く計画を優柔不断にも覆したとき共に長崎に残らず、一人で東京に旅立っているのであろう様子(描写がないのであくまで想像だが)に彼女の思いの強さを感じることができるのだけど、やはりこのような大きな出来事に対してそれぞれの心理描写がないのはどうしても物足りない思いを禁じえない。そしてそれが唯一で最強のデメリットだと思う。

拳銃が書かれたらその拳銃は発射されなくてはならない

この言葉は小説を書くにあたって守られなければならない鉄則である。チェーホフの銃と呼ばれるそれは、小説のひっかかりを大きく解決してくれるものでもある。ストーリーになにかひっかかりがあれば、この鉄則を満たしていないことが多いからだ。このひっかかりが今回の「長崎乱楽坂」にもあった。それは小タイトル「明生と水玉」で描かれる明生と駿のどこか危なげない友情のことだ。何も同性愛がいけないと言っているわけでないし、ここで書かれている二人の関係が何も短絡的にそうであると言っているわけでもない。だけど、消えてしまいそうな明生に抱きついたり、彼のために高額な写真集を買おうとしたり、そのために店の売り上げをくすねようとしたりとその年齢にしたら涙ぐましい大きな努力をしている。にもかかわらず、その行動の核ともなる動機が見えてこないのだ。それまでの彼との交流もそれほど書かれていないし、にもかかわらず駿が彼をそこまで大事に思っているというならそれなりの強いものが感じられないとリアリティが一気に乏しくなる。話のための話という気がしてしまうからだ。
ここでチェーホフの銃を持ち出してきたのは、この2人の同性愛を匂わせるその描写がそれ以来一切なにも出てこないためだ。そこがなにかしら肩透かし的な、どこかひっかかるというか、そういった展開の話だった。

兄弟の精神的な別離

あれほど大人しく甘えん坊の印象だった悠太が、一気に兄を追い越したような印象を受ける青年期。梨花と東京に行くと行くという話を反故にしてしまった駿は、働きもせず離れでだらだらと生きる男になってしまった。皮肉にも活気のあった男たちが去った三村の家の印象どおりの男になってしまったわけである。同時に正吾を追って子供を捨てた母親も帰ってくる。しかしこの母親はどこか精神的に病んでしまっているのか、駿と関わる女性に対して通常の母親が考えられる以上の干渉をし、嫉妬する。そしてそんな母親を見ても駿はさほど動じず、自分の女にひどい仕打ちをする母親に何も言わない。そのあきらめきった態度に過去それでも優しく頼りのあった兄と比べてしまい、悔しさと情けなさに打ちのめされている悠太がここでは一番つらい立場だと思う。母親にきつく言ってもどうしようもないし、祖母はもう情だけを残した抜け殻のようになってしまっていた。個人的にはこの悠太の気持ちがとてもよく分かり、少し感情移入してしまった。結局は誰も悪くないのに、誰かしら何かに腹を立てて生きてきたようなこの三村の家に、一番翻弄されたのはこの悠太ではないかと思う。
決してこの兄弟は仲が悪かった訳でないと思う。それは物語を読んできたら分かる。だけど決して相容れなかった2人でもあった。
最後2人が育った家が火事で燃えてしまいながら、過去の幽霊たちの声が聞こえたというところ。駿だけが聞こえていた彼らの声は最後の最後で全員に聞こえた。あそこの場面はこの物語で好きな場面だ。災害でありながらも燃え立つ炎の美しさが際立ち、ラストとしては完璧なものだったと思う。
心理描写が少なく風景の描写が多いのは吉田修一の作品の特徴の一つだと思う。最後の炎の色彩の美しさを感じたのも彼の秀逸な風景描写があってこそだと思った。

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