内面
読後感
まず、率直な感想を述べる。
「不快だ」。
唐突で驚いたであろうか。しかし大抵の人は薄々共感してくれるのではないかと踏んでいる。ところで、これはこの作品への批判ではないということを明記しておきたい。というのも、不快というのは作品の表現や構成を指して言っているのではない。もっと言えば、この作品を指して言っているわけでもないのだ。何が言いたいかというと、私はこの作品を通して、「自分自身」への不快感を持ったのである。以下、物語の進行に沿って詳細を見ていく。
序盤、私はニヤニヤした。
そう、ニヤニヤしたのである。余りにも共感できたから。
ギンジの「演劇を頑張っている」アピール。理香子の「就職活動を一足先に始めている」アピール。隆良の「就職活動という主流に安易に乗らない自分カッコいい」アピール。しかもそれらが「SNS」という現代特有のネット社会を通じたものであるという点。
主人公はこれらを嘲り笑っているのだが、ここまでの共感性を味わえる作品もなかなかない。SNSを活用したことのある人ならわかるのではないだろうか。このようなアピールを見て辟易した経験があるのではないだろうか。そうしたSNS世代の微妙で繊細な感情をここまでズバリと言い当て、さらし上げた作品はそうないと思う。余談だが、これを読んだ後私はSNSを使って投稿する際、こうしたアピールと解釈されるような表現を行っていないか細心の注意を払うようになった。
中盤、私は不安になる
本作の中盤は、外見からは分からない人の本性を知っていく構成となっていると考えられる。例えば光太郎は序盤、何も考えておらず、すべてにおいて軽い雰囲気の人として描かれていた。しかし、恋人のことを含めて就職先について考える姿などを通じて、主人公は光太郎が実は様々なところに気を回せる人物であるという新たな一面があるということに気づいていく。それにより、例えば就職活動の仲間で集まっているときに場違いな発言をする光太郎は無鉄砲なわけではなく、その場の雰囲気を読んだ上で適切な発言をしているのではないかと考えることが出来る。極め付けがサワ先輩からの助言である。ギンジの「演劇界で活躍している」アピールは、その裏に隠された思いがあるという趣旨のことを伝えている。ギンジや光太郎など、仲良くしている(していた)友達でさえも、見かけ上の雰囲気と中身に大差があり、主人公はそれに長い間気づいていないということである。
それでは、そのような内面を発見した主人公は何を思ったのだろうか。本作ではそれについての言及が詳しくなされないまま物語が進んでいく。サワ先輩から厳しい言葉で助言をもらっても、それについて考え、自分を改めるといった場面は見当たらない。読者は不安な気持ちで読み進めていくことになる。
終盤、読者は理不尽を感じる
ラストで、ついに読者の感じていた不安が的中してしまう。相手の内面を知ろうとせず外見やSNS上の表現だけをみて軽蔑し続ける主人公に対して、鉄槌が下されたのである。つまり、主人公が最も軽蔑していた相手ともいえる理香子から主人公のそうした弱みを突き付けられたのである。
この場面を読んだ者はどう思うだろうか。私は冒頭で述べたように、不快感を持った。具体的には理香子にそのような事実を突き付けられることは理不尽であると感じた。
そもそも理香子に突き付けられることとなったきっかけは、主人公が親友の就職先がブラック企業だという評判があることを期待した行動をとったことであった。その行為がほめられたものでないことは分かるが、理香子も同じような行動をとっているのである。自分のことを棚に上げて主人公を罵倒し続ける理香子に強い不快感を抱いた読者が多いのではないだろうか。
しかし、それならば主人公はもっと言い返してもいいはずである。そういうお前も同じようなことをしているはずではないかと。そのように言い返さなかったのには二つの理由が考えられる。一つは、主人公が秘密裏に作っていたSNSの「裏のアカウント」で理香子への不満を爆発させている点である。そのアカウントを理香子に覗かれていた事実が発覚したことにより、罪悪感と羞恥心が刺激されて言い返すことが出来なかったと考えられる。もう一つは、理香子が本当に言いたかったことはもっと別にあるという点である。確かに発端は親友を裏切るような行為であるが、理香子は裏アカウントを通じて自分に向けられた悪意を一蹴している。それこそが主人公に本当に伝えたかったことであり、またそれに対しては主人公も言い返すことが出来なかったのである。
つまり、終盤のこのシーンで、中盤に感じた「人の内面はもっと別にある」の最骨頂を見せつけられることとなったのである。理香子は就職活動を通じて成長し続ける自分をアピールしていたが、それをただの自慢と捉えて軽蔑していた主人公がいかに浅はかであるかということを突き付けられることになる。理香子の内面とは、そのようなアピールを通じて自分を評価してほしいという思いだったのである。
「自分をアピール、表現するのは単なる自慢だけではない、周りからの評価をもらって自分の成長につなげる意図がある」。
この本を通じて一番心に響いた事実かもしれない。
『何者』
一通り物語を見終わったところで、本作の題名である『何者』について考えてみる。
何者、という言葉が出てくるのは主人公の裏アカウントである。主人公は、裏アカウントのハンドルネームを「何者」と設定し、就職活動とは自分が何者であるかということを発見するものであるという旨の発言をしている。
つまり、主人公は周りの人の内面が別のところにあると気づきながら、自分の内面についても別のところにあるという可能性に気づいているのである。就職活動では、面接で長所や短所をアピールしなくてはならなかったり、グループディスカッションで自分に合う役割を演じたりしなくてはならない。そのためには自己分析が必要不可欠なのである。そうした就職活動を通じて他者だけでなく自分についての内面をも理解しようとする主人公はモラトリアム特有の甘酸っぱさ、緊張感をはらんでいる。
最後に、本作のテーマは?
本作のテーマは言うまでもなく就職活動である。それでは、就職活動をしている者だけが楽しめるのであろうか?ここで、同じように就職活動をテーマとしている作品である石田衣良作、『シューカツ!』を挙げる。この作品も本作と同じで就職活動を共に行う仲間同士で助け合いながら成長していく物語であるが、たとえばグループディスカッションでの極意やエントリーシートの書き方など、就職活動について深堀したような内容となっている。そのため就職について悩んでいる人にはうってつけの作品と言ってよいだろう。『何者』はどうであろうか。就職活動の仲間同士でエントリーシートを書いたり志望を聞きあったりする場面はもちろんある。しかし、決定的な違いとして、本作は主人公が就職活動に対して達観したような視点で物語が進んでいるのである。例えば仲間の一人である理香子が志望先の企業に対して自分を売り込むために名刺を作っているのを見て、辟易している描写がある。このように、主人公が仲間と協力しようという意志が弱いため、『シューカツ!』のように就職活動を詳細に描くというよりも就職活動を「通して」主人公の人間性を映し出しているような作品と言ってよいだろう。
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