幼い少女が精霊の存在を信じ、孤独な世界に踏み込みながら大人の世界を見つめる姿を神秘的に描いた「ミツバチのささやき」 - ミツバチのささやきの感想

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幼い少女が精霊の存在を信じ、孤独な世界に踏み込みながら大人の世界を見つめる姿を神秘的に描いた「ミツバチのささやき」

4.54.5
映像
4.5
脚本
4.5
キャスト
4.0
音楽
4.0
演出
4.5

このビクトル・エリセ監督が初めて撮った長編劇映画の「ミツバチのささやき」は、1940年頃のカスティーリャ地方にある小さな村を舞台に、幼いひとりの少女が精霊の存在を信じて、孤独な世界に踏み込みながら大人の世界を見つめる姿を、その日常のさりげないディテールを通して描いた珠玉の作品だ。

幼い少女アナは、両親と少し年上の姉イザベルと一緒に大きな古い家に住んでいる。父親のフェルナンドは養蜂家で、とっつきにくい感じだ。母親のテレサはかつての恋人に届くかどうかもわからない手紙を書いている。そして、この一家の周囲にはスペイン内戦の影が色濃く漂い、そんな時代と環境の中で、アナは映画「フランケンシュタイン」を観たことから、精霊の存在を信じ、精霊との交感をこころみるのだった-------。

この映画は、幼い少女アナの大人になるための、一種の通過儀礼の物語だと言えると思います。同じ小学校に通っていてもイサベルはやはり姉。アナにわからないことは何でもイサベルに聞かなければならない。だが、イサベルはもはや大人の世界の住人。イサベルが友達と焚火を飛び越えて遊んでいても、アナは遠くからそれを眺めることしかできない。

この物語にとって、イサベルはアナの対立項としてあるのだ。だから、映画の前半はアナがイサベルに尋ねるシーンが目立つが、アナが自分の世界に踏み込む後半では、その逆となるのです。そのアナが少なくとも物語上で初めて問いかけるのは、「フランケンシュタイン」を観ている時。

フランケンシュタインとは、アナにとって、恐ろしいものであると同時に魅せられるものである。このアンビヴァレントな感情こそ、アナの世界そのものであり、恐ろしいながらも嘘と知っていてコントロールされるイサベルの感情とは決定的に異なっているのだ。

こうした感情は、アナにとって特権的なものであり、イサベルにとっては神秘的なものとなる。そのためか、後半になると「ミツバチのささやき」は、一種の神秘的な雰囲気が漂ってくる。例えば、アナが逃亡兵と出会うシーン。アナがベッドを抜け出して夜の庭に出ると、汽車の警笛が聞こえる。それに続くシーンは、昼間疾走する汽車から飛び降りる逃亡兵。そして、夜明けにベッドに戻るアナ。描かれる時制も幻想的になっていく。

その神秘的な雰囲気が頂点に達するのは、アナが深夜の森でフランケンシュタインと出会うシーン。ちょうど映画における岸辺の少女のように、アナは水面に映じるフランケンシュタインの顔を見る-------。

現実と精霊の世界が融け合う瞬間。それは夢ともいえるが、しかし、まぎれもないアナの世界なのだ。

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