支離滅裂! 思い付きで色々盛り込んだら結果的に売れてしまった雑な作品 - 食堂かたつむりの感想

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食堂かたつむり

2.752.75
文章力
3.25
ストーリー
2.75
キャラクター
2.50
設定
2.88
演出
2.75
感想数
4
読んだ人
6

支離滅裂! 思い付きで色々盛り込んだら結果的に売れてしまった雑な作品

1.51.5
文章力
1.5
ストーリー
1.0
キャラクター
1.5
設定
1.5
演出
1.5

目次

おしゃれっぽいけど全てが雑!

本作は、一人の若い女性が恋を失い、声を失い、全財産も失い、起死回生の食堂で成功し、確執があった母とも和解する、というサクセスストーリーに見える。

しかしはたしてそうだろうか?

本当にこれでいいのか、という設定や展開が多数あるし、ストーリーのアウトラインとは別に主人公は感情に欠陥があるのではないか、という描写が目立つ。

それが意図的にそう見せているのなら、その欠陥を乗り越えて自分の道を切り開いていく、という話にも見えるがおそらくだが作者の文章力や構成力の欠如によってそう見えているのだと思う。

単に雑な作品と言ってもいい。

以下で具体的に掘り下げよう。

 

支離滅裂ポイント1:声が出ないことに意味が無い!

愛も金もお気に入りの調理器具も、全てを一夜にして無くして、そのショックで言葉まで失った、という展開は主人公の悲劇性を盛り上げようとするものなのだろうが、実際の文章ではショックを受けているように読み取れない。

単純に小川糸の文章がつたないのだと思う。

 

アルバイト先がトルコ料理店であることとか、恋人がインド人であったことなど物語に全く関係ない事を長々と語っているのに、声が出ないという普通の人間にとっては重大な問題が、どうでもいいことのように扱われる感覚に多くの読者は付いていけなかったのではないか。

少し驚いたけれど、哀しくはなかった。痛くも痒くも苦しくもない。(中略)もう誰とも話したくない、と思っていたからちょうどいい。

などと書いているのに最後のオチが言葉を取り戻したことであったりして、なんとも一貫性が無い。

喋れないことが問題ないのなら、そのまま物言わぬシェフで行けば良いし、声が戻って良かった、というエンディングにしたいなら、しゃべれない事の不自由さをもっと表現すべきだ。

 

本人が良しとしているとしても、おせっかいなおかんが彼女の声の事を何も心配しないのもおかしい。

恐らく作者も見落としていると思うのだが、後半に出てくるおかんが何十年も愛した修一氏は医者だ。

彼自身が心因性のトラブルの専門ではないとしても、良い医者を紹介しようという流れが普通ではないだろうか?

もちろん、この話はファンタジックな話なのでそんな現実的なところを突かなくても、と思う人がいるだろう。

全体がファンタジーに徹しているのならば、私もこんなことは言わない。

しかし思い出してほしい。

主人公倫子は全てを失った後の行動として、わずかな現金のほとんどをはたいて田舎に帰っているが、その目的はおかんが隠している現金を盗むことである。

 

おかんしか頼る人間がいない、とか懐かしい故郷に帰りたい、というメンタル的な理由で行動したのではなく、彼女は後腐れのない金を求めて行動しているのだ。

この点を我々は忘れてはいけない。

 

支離滅裂ポイント2:エルメスを食う意味

ペットである豚を食うという展開が、食ってなんだ? と問いかけているようだが、この話にそんな深みは無い。

流れとしては飼い主であるおかんの死が明確なので、残されるより一緒にあの世へ赴こう、ということだ。

しかし、現実的には既に倫子が毎日の餌やりをしており、エルメスも彼女になついている。

普通ならエルメスをよろしくね、と頼むだろうし、百歩譲ってどうしても肉とするのであれば、エルメスの死後に無駄にならないようにしてくれ、と頼めばいいのだ。

自分が死ぬから一緒に、という発想はいわゆる無理心中だが、この場合食ってから死ぬと言っているのであって、それは単なるエゴではないだろうか。

 

おかんが死ぬのは病気なので自然であり天命である。

だが、エルメスを殺して食うのは彼女たちの勝手な選択であり、人為的だ。

もちろん、人間は日々生き物の命を無限に奪い、しかもかなりそれを無駄にしている。

それはそうだが、本作はそういう投げかけを一つもしていないので、そういう理論を振りかざす資格はない。

 

自分が死ぬからと言って可愛がっていたペットを食うという行動に共感できる人間がいるだろうか?

シンプルな考えとして、母の死期を悟ったようにある日エルメスが死んだ。無駄にしたくないから肉にしよう、とすればよかったのだ。

ここがこの作者の構成力の無さを露見していると言える。

 

更に、冒頭にも書いた倫子の感情に欠陥があるのではないか、と思わせる記述が、このエルメス屠殺に関連して披露されている。

 

エルメスを屠殺、解体した後、もうエルメスの食事を作ることもないのだ、と認識するシーンで、倫子は以下のような感想を述べている。

特に哀しくはなかったけれど、ちょっとだけつまらない気がした。(単行本204頁)

その前のシーンで肉になっても自分を温かいオーラでつつんでくれているので悲しくない、と認識した彼女なのでメソメソする必要はない。

しかし、ちょっとだけつまらないというネガティブな表現が何のために必要なのだろう?

決定的にこの話は私には合わない、と思ったシーンだ。

 

この表現は読者にとって、倫子がとてつもなく冷徹な人間に思える。

何も感じないならこんな表現をしなければ良いし、餌の事で少し感傷的な気持ちになったのであれば、もうエルメスの食事を作ることも無いのだ、という表現で止めておけば、読者は勝手に倫子に同情してくれるのに、上記の表現をされると、戸惑わざるを得ない。

こいつはエルメスを殺したことに悲しんでいないばかりか、大した感慨すら持っていない、と。

 

どうしてもエルメスの屠殺を入れたかったのなら、ここで倫子の声が戻る手もあったかもしれない。

いわゆる等価交換が行われた、と認識することで命の大切さは強調できるのではないだろうか。

 

支離滅裂ポイント3:処女懐胎? んなアホな? いや、問題はそこだけじゃない!

おかんは水鉄砲で精子を注入して妊娠した、という荒唐無稽な展開が後半でぶち込まれる。可能か不可能かは医療関係者や学者ではない私にはわからないが、このくだりが物語に必要ないということは断言できる。

おかんが処女であるという設定自体がこの話の流れに必要無いのだ。

 

もしかして作者は倫子をキリストのような聖なる存在にしたかったのだろうか?

何のために? 奇跡が起きる食堂という発想と関連しているのだろうか?

あるいは単に変わった母親を強調するための演出なのだろうか?

 

そもそも、この話に母親が必要なのかもわからない。

奇跡の食堂がメインなら母親そのものが必要ない。

倫子が失恋して懐かしい故郷に帰って来て、そこで今は無き母の友人である熊さんの援助を得ながら開業し、いろんな人を幸せにしていく、これで十分ではないか。

 

上手くいっていなかった母親との和解が中心だとすれば、言葉が喋れないとか、一日一組の奇跡の食堂という設定は必要ない。

最初からおかんがやっていた食堂にむりやり居候する、とかでもいいのだ。

 

仮に大筋を今のままだとしても、この水鉄砲の話はマイナス要因しかないと思う。

男女が協力しあうことで得られる生命が、かくも簡単に得られるのなら、エルメスの屠殺や死んだ鳩を食うことで命は大事と表現することとの整合が取れないのだ。

 

あるいは命は簡単に生み出せると思うおかんだからこそ、簡単にエルメスを殺して食おうという気になったのだろうか。

そうであれば説明は付くが、その場合コメディホラーになってしまい、結局話の全体感から逸脱することになる。

 

この倫子誕生の話にもう一点大事なことがある。

仮に不倫でも本当に愛した男性との間の子供であれば納得感はあるが、この水鉄砲の精子の持ち主は行きずりの恋でくじ引きのように選んだ相手のものなのだ。

これを倫子が知るのはかなり後半だが、果たしてこのような母親と和解できるだろうか?

そして倫子は、その自分の出自を知ってまともに生きていく気になるだろうか?

更にそれを問題にしないどころか、美談として語っているこの世界の住人は全て頭がおかしいとしか思えない。

 

支離滅裂ポイント4:金銭の価値

ネオコンがお茶漬けに一万円おいていくシーンがある。

このシーンが必要なのかな、と思う。

味の良さを認め感謝を表わし、嫌なおっさんが倫子を認める、というのならもっと他の表現があるだろう。

しかし、作者はここで金を登場させている。

金銭の事を描くならもっと経営上の事を描くべきである。一切お金を書かないならそれはそれで、ちょっとバカバカしい気はするけどファンタジーなんだよね、と割り切れるが、本文の前半に書いたことを思い出してほしい。

 

そもそも倫子は母の金を盗みに田舎に帰ってきたのであり、見つかってしまったのでその案は諦めたが、次の行動は母に対して金を貸してほしい、とお願いすることだった。

 

その後のやり取りで食堂を開業するという方向に考えが発展し、希望を得るのだが、このことを整理すると、倫子にとって何よりも大事なのは金である。

2番目は自分にもできそうな料理であり、そのあとに続くものはあまり描かれない。

 

そのようにして始めた食堂だが、その段階になると突然金銭の話がでなくなる。

あれほど金に固執していた主人公が、いきなり経営を考えず、まるで料理の神様の申し子であるかのように、美味しいものを作るのが私の使命、と言わんばかりの聖人に転身する。

そして借金があるはずなのに寒い時期は冬ごもりするとか、予約が無い日は読書や編み物などをして過ごそうなどと思っている。

要するに倫子は自分の生活が保てていればそれでいい人間なのだ。

おかんの最後の手紙で、まじめに一生懸命、倫理を守って生きてほしい、(中略)その通りの子になったから、うれしい、と書いているが、残念ながらそれは母親の思い違いである。

彼女は倫理に欠けた人間であるとしか私には思えない。 

ネオコンの一万円の話に戻ろう。

彼女が料理に対してストイックであるのなら、いくら美味しかろうと行方不明だった鰹節と予想外に残っていた昆布とスナック・アムールの炊飯ジャーに残ったご飯で作ったお茶漬けで一万円も取れるはずがない。

彼女は走ってでもネオコンを追いかけて、この一万円を返すべきだったのだ。

ましてこの前のシーンでネオコンが調理師免許を持っている事、彼がさばいたフグが美味しかったことが記述されている。

無論トラフグ自体も良い品だったのかもしれないが、少なくともその良いフグを仕入れ、それを無駄にしない腕を彼が持っていることを料理に携わる人間なら認めるべきではないか?

 

結局ネオコンは詫びのつもりもあるかもしれないが、愛する女の娘に法外な金額を払ってやったのである。そして倫子はこれについて何の感想も抱いていない。

下品な男だが金払いだけは良かったぜ、ラッキーとでも思ったのだろうか?

その前のシーンで彼の感謝に感極まって涙を浮かべているのだから、そんなことは思っていないはずだ。

それならなおさらこの金は受け取れないのではないか。

 

結局、本作は真面目に読む作品ではない。

悪い意味でのファンタジー、飲食業や料理への冒涜、命の冒涜、いろいろな問題だらけの材料を並べて、表面だけなんとなくきれいにデコレーションした作品だ。

 

食べ物で言えば、本格派を気取った和風だしに、単品で食べたら美味しいだろうと思われる豆腐や牛ステーキや刺身やフルーツと言った思いつく食材を無秩序に投げ込み、スパイスを効かせようとカレー粉やシーズニングをたっぷりを入れて、庶民的な雰囲気のたこ焼きやお好みもぶち込んで、女子が好きそうという理由で生クリームやチョコレートをべったりと塗り、その上にオシャレっぽい気配を出すためにピクルスを散らし、味に深みを出すという勘違いの元にたっぷりとドレッシングをかけている、そういう料理だ。

これを良いと言う人もいるのかもしれないが、私の口にはとても合わない。

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