凄絶で凄艶でもある崇高の極みにまで昇華した、悲痛哀絶な恋狂いの物語 「アデルの恋の物語」
このフランス・ヌーベルバーグの騎手、フランソワ・トリュフォー監督の「アデルの恋の物語」は、凄絶な恋狂いの物語です。いっそ凄艶といおうか、いや崇高の極みにまで昇華した、悲痛哀絶の恋なのです。しかも作り事ではなく、事実なのです。まさしく、彼女は実在したのです。
フランス娘のアデルが、ひとりのイギリス士官を追って、船旅でカナダの最東端にたどり着いたのは、1863年のこと。かつてのフランス領アカディア、当時のイギリス領ノヴァ・スコシアの首都ハリファックスには、続々と英軍が派兵されていた。その第16騎兵隊に所属するピンソン中尉こそ、彼女が思い焦がれる初恋の人だったのです。
まだ幼な顔の残る、美しく品のよいアデルは、けっこう歳はいっているのだけれど、当時やっと二十歳の新人イザベル・アジャーニが演じて、初々しいほどに若い。そうした彼女に、どうしてこれほどの情熱が秘められているのか。
アデルは、上陸した港で、厳しい検問をくぐりぬけると、とある下宿に身を寄せる。そして、そこの主人が英軍の歓迎パーティに出席すると聞いて、彼女はピンソン中尉への手紙を託す。恋文だ。あなたと別れて暮らす辛さ。一日とて思わぬ日はなく、でも、いま私は海を渡ってきて、すぐにもあなたの胸に抱かれることができる。お会いしたい、お待ちしています------と。
けれど受け取ったピンソン中尉は、封も切らず、肩をすくめてポケットにねじ込む。そして、返事はなかった。アデルは泣いた。彼女は、父に手紙を書き、日記を書き綴る。そうして残された手紙と日記をもとに、「アデルの恋の物語」はフランソワ・トリュフォー監督の手によって再現され、彼女の"愛の狂気"を凝視するのです。
アデル・ユゴー。すなわち、「レ・ミゼラブル」で有名なフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの次女です。19世紀のロマン主義文学の雄を父に持ち、彼女自身もまた、若き詩人であり、作曲の才能にも恵まれていた。父ユゴーは当時、ナポレオン三世への反逆で国外追放され、イギリス海峡のジャージー島からガーンジー島へと移り住む。亡命生活12年目であった。
その父と母に宛て、ピンソン中尉と結婚するから両親の承諾書が欲しい、生活費を送金してくれ、と彼女はたびたび書き送る。だが、彼女の心は一方的なのです。すでにピンソン中尉の心は、彼女にはないのです。そして、ようやく彼女の下宿を訪れたピンソン中尉(ブルース・ロビンソン)は、惚れ惚れするほどの美青年なのです。
不意の訪問に取り乱し、思いを抑えて抑えかね、恋しい人の胸に顔をうずめる彼女を、けれど彼は冷酷に突き放すのです。お偉い父親のもとへ帰れ、つきまとわれるのは迷惑だ、と。もう愛してはいないの?でも、もう一度愛せるかもしれない、と言って。いえ愛して下さらなくてもいい、私にあなたを愛させて。お願い、愛させて! ------とアデルは叫ぶのです。
あなたの上官に訴えてやる、と脅かし、あなたの賭け事の借金の足しにして、とお金も差し出す。だが、すがりつく彼女のキスも拒んで、彼は金だけ受け取って去って行く。身も世もなく、泣き崩れるアデルの哀れ------。ここまで決定的に、男の心変わりを宣告されて、なぜアデルはあきらめないのだろう。恋とは、幻想であり、妄執であり、執着なのかもしれない。"いま"ではなく、"かつて"であろうとも、愛された過去に、記憶に、女はすがって、自らの情念を燃やすのかもしれません。
かつて、アデルをくどき、夜会のテーブルの陰で彼女の手を握り、廊下で彼女を愛撫し、彼女を求めたのも、彼ピンソンであった。そんな彼にアデルは恋したのです。あの全てが嘘だったというのか。彼女は、それゆえに彼を忘れられないのです。
その一方で、私は、ピンソンを"悪玉"だと決めつけたくはない。"白い狼"と評判の女たらしで、賭け事の莫大な借金もある、やくざな彼が、それこそ、かつてアデルを愛したのは、本心だったかもしれない。だが、あまりに偉大で高名な彼女の父ヴィクトルは、この軽薄な美青年と愛娘との結婚を許さず、劣等感と意地で、彼は彼女を棄てたのだと思う。同時にアデルの激しすぎる情熱が、彼には重荷にも、うとましくもなったのだろうと推察できる。そうした彼を責めることはできないけれど、いっそうの無惨はアデルなのだと思う。
そして、アデルは男を尾行して、自虐的にも彼の情事を盗み見る。兵営に忍びこんで、男の軍服のポケットというポケットに手紙を入れる。そのくせ、激しさを嫌われるのなら、優しくしようと、彼女は思う。あなたは自由でいていいのよ。女の人とつき合っても、情婦を持ってもかまわないわ。だから結婚して、と。結婚が嫌なら、せめてひとこと「愛している」と言って。
恋に憑かれる、という。だが、憑かれた恋にも、いつか終わりがくる。それは、"時"だ。時の流れにさす光が、苦しみ悶える恋の深淵から、人をすくいあげてくれる。立ち直らせてくれる。だが、アデルの場合は、時こそが、いよいよ彼女の恋慕を、炎の情念をかきたてていく。
観ている私は、その凄まじさに、ぞっとしてしまう。そして、彼女は父に、中尉と結婚式を挙げた、と偽りの報告をする。そして、それは新聞にも報道される。しかし、それは彼女の願望だ。また彼女は、娼婦を買って"贈り物"だと中尉の部屋へ送り込む。抱かれる娼婦は、抱かれぬアデル自身の身代わりなのだ。さらには、奇術師を雇って、催眠術で男の心を取り戻そうとする。そして、挙句の果てに、男が婚約した金持ちの娘の家へ押しかけ、彼の素行を暴き、彼の子を身ごもっていると告げるのです。
もはや、まさしく狂気の沙汰だ。服の下にクッションを入れてふくらませ、彼女は中尉を教練の海岸まで追って、馬上の彼に札束を差し出す。札は風に舞い、中尉は振り向きもしない。アデルは無一文になって下宿を出て、救済施設の貧民ベッドに寝て、なおも兵営の中庭をうろつくのです。そして、父から最後の送金がある。母の死を新聞で知る。折から中尉の隊は、遠くインド諸島カリブ海のバルバドス島へ移駐となるのです。
このピンソンは、美しい新妻を伴い、大尉に昇進している。またしても追うアデルは、灼熱の異郷で熱病に倒れ、貧しい黒人女に助けられ、だが回復して町をさまよう時は、完全に狂っているのです。それは、まさしく幽鬼のようでもあるのです。髪は乱れ、黒いマントは汚れて、だがひたすら恋しい男の姿を求めて、憑かれた足取りの彼女は、そのピンソンと真正面に出会い、アデル! アデル! と彼が呼んで立ちはだかってさえ、今は無反応で通り過ぎていく------。もはや彼女が追うのは、現実の彼ではなく、彼女の心の中のピンソンなのです。なんという痛ましさ。
さらに、私の胸を打つのは、このアデルが故国フランスへ連れ戻されて、精神病院で40年を過ごすことです。その間に先立った父は、盛大な国葬の礼を受けますが、再び正気にかえることのなかったアデルは、第一次世界大戦のさなか、ひっそりと死んでいきます------。85歳でした。彼女がガーンジー島を発ち、ピンソンの後を追った日から、実に50余年の歳月が流れてしまったのです。その長い長い歳月を、歴史の変転にさえ関わりなく、ひとりの女がひとりの男を思い続け、自ら打ち立てた"恋の幻想世界"に閉じこもるのです。それは、本当に感動してしまいます。
50余年前に、若く美しく希望にあふれた彼女は、男を追う旅立ちの直前の日記に、こう記しています。「若い娘が、旧世界から海を渡って、新世界に待つ恋人のもとへ行く。この信じがたい冒険を、私はやってのける」。
アデル・ユゴーは、偉大な父の娘であることから、自立した女として抜け出そうとして、だがピンソンに恋をした。やくざな男と承知で、けれど、身も魂も捧げた男はただひとりでなくてはならぬ、と旧倫理にも縛られた。結婚は自己の確立への屈辱だと考えて、でも彼との結婚を熱望したのです。恋と理知は相反したのです。彼女は新しい目覚めと、古い執着とのはざまに揺れ動き、知性と感性の相剋のうちに、いよいよ研ぎ澄まされていく感性を、狂気にまで追いあげてしまったのではないだろうか。
いっそ愚かであれば、浅はかであれば、彼女は狂わなかったであろうと思う。「ひたいには思想を、胸には愛を」と日記にしたためて、その「愛を神聖なものと考える」ゆえに、彼女は自ら高みに押しあげていった愛を追いつつ、狂っていくのです。
彼女が中空になした恋は虚しく、だが狂った世界でこそ、彼女と愛とは一体となったのだと思う。そして、その姿は崇高でさえあると思う。我々に果たして、これほどの恋ができるであろうか。
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