80年代を貫く、村上春樹ワールド初期を代表する2本の短編 - パン屋を襲うの感想

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パン屋を襲う

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80年代を貫く、村上春樹ワールド初期を代表する2本の短編

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文章力
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キャラクター
3.5
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目次

時代を読み解きながら、本作を理解しよう!

過去の文学作品を理解しようとするならば、まずその時代の背景を知っていなければならない。

この時期の村上春樹は間違いなくポップだった。ポップであることは確実にその時代の影響を受けているはずである。

それを踏まえて本作の初出である1981年と85年を追ってみよう。

81年から85年という時代

一作目パン屋を襲うのパン屋の主人は共産党員だった。

この時代の共産党は何を示しているのだろうか。

2010年代の日本共産党の主張はここでは触れまい。

我々に必要なのは80年代のそれだからだ。

戦前、戦後の共産党といえば極左思想、ソビエト連邦や中華人民共和国に代表する、マルクスやレーニンが唱えた共産主義そのものを主張していた。過激性もあり、多少荒っぽい事件もあったようである。

60年代から70年代にかけてはソビエト、中国と距離を置くようになり、そもそもの民主主義の対極である共産主義を主張しなくなる。

79年のソ連によるアフガン侵攻には明確に反対を述べているように、大国追随の思想は無くなり、平和や反核を唱え、自民独裁へ対抗すべしとの穏健な主張が増えた。

この時期はそれなりの指示もあったようで、議会での議席数にそれを見ることが出来る。

衆議院での戦後の最大議席数は79年の39議席、ちなみにこの時の自民党は248、社会党は107。自民優位は動かないものの、単独過半数を阻止していることと、前回の選挙から倍以上の議席数を得たことで大きな話題になった。

ワグナーとパンの等価交換は何を意味するか

さて、パン屋の話に戻ろう。

店内に日本共産党のポスターが何枚も貼ってある、という様子から、彼が積極的支持者であることが伺える。

主人公の判断では50過ぎ、明らかに戦争体験があるが、明確な年齢があげられていないのでどのような戦争体験かはわからない。81年当時50歳であれば終戦時点で14歳であり、直接戦闘の可能性は無いだろうが、仮に59歳であれば徴兵され、出征している可能性が高い。

この主人がこの時期揺れ動いた共産党のどの主張を指示しているか不明だが、そこは彼が心酔しているワグナーから紐解いてみよう。

ワグナーはドイツにかつて存在した王国、ザクセンで生まれて哲学や音楽を学び、貧困の中から作曲家、指揮者として身を立て、民主化を目指すドイツ3月革命に参加している。

これになぞらえれば、パン屋の主人はこの時期急激に共産主義を離れて真の民主主義を唱えた日本共産党の時流に乗っていたのではないか、と思える。

このパン屋の主人はおそらく、裕福ではないが貧乏では無い。

二人の若者は貧困故に暴力に走る選択をしているが、パン屋の主人にとってはそのような暴力の時期は終わっているのだ。

お話の舞台がこの10年前ならば、パン屋の主人も食うことに必死であっただろうから、パンを切るためのナイフで彼らを撃退しただろう。その時はそのようなマッチョな時代だった。

10年後なら、バブル時代の只中であり、パンを買う金すらない若者という構図が成り立たない。

この81年であればこそ、犯罪を働こうとした若者たちにパンをたらふく食わせるという、痛手ではあるけれど致命的ではない行為が成り立ったのだ。

そのようにして、革命を支持した作曲家を支持するパン屋の禿げた主人が供給したパンを、悪に走ったはずの若者が暴力によってではなく文化に触れることでで勝ち取る(?)という不思議な構図が出来上がった。

分かりにくいようだがこの構図はこの時期の混沌を表している。

本作は学生運動、70年安保のような暴力の時代が終わり、繁栄と文化と経済至上主義の時代が訪れる前触れを示す一夜を表しているのだ。

85年のマクドナルド

2010年代(現在)のマクドナルドについて、オシャレさや目新しさといったポジティブなイメージを持つ人は少ないだろう。もちろん一定のファンはいるが、どちらかといえば、安いけれどそれほど美味いものではない、ジャンクフード、子供や老人が行くところ、といった印象が持つ人が多いと思う。

しかしこの時期、85年のマクドナルドは違う。

若者はこぞってマックに行き、ビッグマックとコーラのLを注文した。

まさに主人公の妻もビッグマックは強奪するものの、コーラは金を出してきちんと買っている。

ちなみに70年代後半、コーラは骨を溶かす、という都市伝説があり、親が子供に与えたくない悪魔の飲み物だった。

若者たちはそんなわけねぇよ、と粋がりつつ内心はちょっとその危険性を案じながら、青春と退廃と反抗の象徴であるコーラを飲んだのだ。

主人公たちは81年とは違い、人並に働いており、パンを買う金に困るようなことは無くなっている。

80年代の幕開けとともに日本は世界最大の貿易黒字国になり、その恩恵は確実に庶民も潤していた。

わずか数年前には貧困の淵にいた人も、将来の夢を描ける時代になったのだ。

そんなわけで、力づくで襲う必要はなく、普通の手続きを経て購入すれば良かったのだが、何故か主人公の妻は襲撃する道を選ぶ。

4年前の未完成だった襲撃を、完成させるために。

80年代の村上春樹

村上春樹は1979年に『風の歌を聴け』でデビュー、翌年『1973年のピンボール』を発表している。

つまり1作目のパン屋襲撃執筆時はまだまだ駆け出しの作家であった。

作家活動は当時の本業であったジャズ喫茶ピーター・キャットの運営と並行して行っていたが、まさに本作発表前後にその店を閉め、作家活動に専念する、と決め、翌年『羊をめぐる冒険』を発表している。つまり、本作執筆時彼はまだ世界のムラカミではなく、30代前半の自由な若者であり(彼は1949年生まれ)、本腰を入れて創作に臨むぞ! という決意を固めた時だった。

そしてかつての彼の作品であるパン屋襲撃は81年的ではあったけれども、85年的ではなかった。

85年は日本の行き過ぎた貿易黒字に歯止めをかけるべく、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスの包囲網によりプラザ合意が締結された。

日本は急激な円高で一時的に苦境に立たされるが、日銀の公定歩合据え置きの判断で不動産や株式投資が加速し、バブル時代を迎える。

まさにその年に執筆されたのがパン屋襲撃の続編である。

バブル幕開けのこの年である。舞台は時代の寵児であるマクドナルドしかなかった。

ちなみに彼らは多数のコンビニエンスストアの存在も確認しているが、それは通過している。

この時既にコンビニは東京に浸透してはいたが、まだ文化のメインストリームではなかった。コンビニ文化は90年代からが主流だ。

では妻は何故、ショットガンなどという物騒なものを持っていたのか。

これは80年代中期が求めたエンターテイメント性を満足させるための娯楽アイテムだろう。

84年から85年に掛けてはハリウッド映画で明るいエンターテイメント作品が目白押しだ。インディジョーンズ、グレムリン、ゴーストバスターズなどの冒険活劇が主流となり時代や人間性を問うような作品は影を潜めた。

村上春樹はいわゆるノリノリ時代にそのまま乗っかったのだ。

そのようにして、主人公たちは襲撃を完成した。

呪いは解けた。

ではこれからこの夫婦はどこに向かうのか。

本作のエンディングでは静かな幕切れを迎え、ハッピーエンディングに見えるが、村上春樹本人はあとがきで以下のように記述している。

僕の印象では、この夫婦は少し姿を変え、『ねじまき鳥クロニクル』の世界へと歩を進めていくようだ。

『ねじまき鳥クロニクル』の場合は、ショットガンを持ってマクドナルドに押し入り、ビッグマック30個をせしめる、というコミカルな戦いではなかった。

夫婦は苦難の果てに、大きな犠牲を払うことになる。

しかしながら呪いを解く、という意味では確かに共通性はあるかもしれない。

何にせよ、この時代のパン屋襲撃は完成した。

ところで、2010年を過ぎて、70年代と違った意味での貧困や呪いが世界を覆っているように思える。

もしかすると世界は、パン屋再々襲撃と題した小説を欲しているかもしれない。

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