笑い、女性あるある、社会性、どこを切っても死角なし 森絵都初の本格短編集!
森絵都 初の短編集!
彼女の小説業が児童文学からスタートしたことは、誰もが知る事実だ。数々の児童文学系の賞をとり、満を持して一般向けの文学に転向、いくつかの中編、長編の執筆を経て、本作が初の短編集となった、らしい。
本作執筆の2年前に風に舞い上がるビニールシートという作品が発表されているが、執筆枚数70枚前後の作品たちを彼女は短編とは考えていないのだそうだ。
そんなわけで20枚前後の本作が堂々たる森絵都自信が納得する、初の短編集と呼ばれている。
2017年4月の文芸春秋社のインタビューでは、児童文学の世界にいると短編というものを書く機会がない(中略)。だから苦手意識があって、それを克服しておきたかった、と語る。
しかし本作を見るに、短編がニガテとは全く思えない。
情景描写はキレキレだし、くすりと笑えたり、爆笑できたり、ちょっと切ない気持ちになったり、読者の感情をくすぐる作品も多い。
ホームレス、難民などの社会性のある題材もあれば、社会のやるせなさや、大人の女性目線の日常など、バラエティーにも富んでいる。
本考察では個々のストーリーを追うのではなく、内容をカテゴリー分けしつつ、森絵都初の短編ワールドを分析してみたい。
彼女はユルくてシビアな社会性を持っている
彼女は外国人を主人公として話を書くことを得意としている。
作家デビューを果たした後、1年間イギリスに滞在していたらしく、その経験が生きているのではないかと思われる描写が多い。
本作では海外、または外国人を題材にした話として、ハチの巣退治、ドバイ@建設中、太陽のうた、彼らが失ったものと失わなかったもの、の4編がある。
ハチの巣退治はコミカルなタッチではあるが、雇用関係などにみられる日本との感覚の差をさりげなく書いているところが上手いと思う。
また小国が隣接するヨーロッパならではの風情がある。主人公の出身地はアイルランド、彼女が働くロンドンとは700~800km程度の距離があり、日本で言えば東京と広島くらいの距離感。
遠い故郷を想って涙する、という程の距離ではない。十分日帰り可能なのだが、とはいえ外国ではある。
そんな微妙な郷愁と気安さを表す位置関係を選んだところもナイスである。
ドバイ…の雑多で無国籍なにぎやかさ、私は行ったことが無い場所なのにありありと情景が目に浮かぶ。
太陽のうたは重い話だ。難民などを扱うのは前述の風に舞い上がる…以来、作者も興味を持っているテーマなのだろう。
日常の何気ない話が多い本作品集の中で、この一遍の存在が全体をぐっと引き締める。
女性は16歳で既に行き遅れ、何歳まで生きられるかわからない子供たち、無理解な世界、どこにもたどり付けない悲しみ、解決のない怒り、忌まわしい過去の記憶、そういうものが19ページに詰め込まれている。
孫という言葉で我々は老女を想像してしまうが、この物語の主人公は未だ30代なのだ。
おそらくこの本に出てくる、恋愛や子育て、転職に悩む女性たちと同じ年代。
我々は彼女の人生の一端を見たように錯覚するが、それは髪の毛の先ほどの、ほんのわずかなものでしかない。
何か欲しいものを言ってくれ、という白人同様に、我々は気まぐれに役にも立たないなにかを、恵んでやることしかできない。
それ以上の事、それはもう知る、ということだ。
この重い話でこの本が終わっていたら、残酷なことだがまた森絵都の本を手に取ろうとは思わない人が多いかもしれない。
そんな配慮からか、これに続く彼らが失ったもの…で、さりげなく粋な話を挿入して幕を閉じる余韻の引き方が上手い。
また森絵都を読みたい、もっと彼女の作品を読みたい、そう思わせる効果が絶大だ。
女流作家ならではの目線
男性である私が女性作家の作品を読む楽しみ、それはやはり女性ならではの目線と自分自身の目線の違いを味わうことだ。
表題作架空の球を追うのラストで、わが子たちの練習風景を見つめる母親たちが、子育てあるあるに苦笑いしつつ、いつかやって来る親離れの時を想う。
こういう話はやはり男性には書けない。
自分たちが生んだ子供、それだからこそ可愛くもあるし憎らしくもある。
そしていつの日か子供たちが口にする巣立ちの時を、頭で思うと切ないのだけれど、許さざるを得ない母親という生き物、そういう複雑な思いが、わずか1ページに濃縮されている。
続く銀座か、あるいは新宿かでもガールズトーク作品が続く。
転職や離婚など人生の転機を重ねても尚共有できる関係、男の友好関係は意外にも家庭に邪魔されやすく、環境や距離の隔たりがあると続きにくいように思うが、女性の方が普遍性があるのかもしれない。そう思わせてくれる一遍だ。
くすくすから爆笑まで、児童文学で10年培った笑いという共通言語が冴える
さりげない笑みを浮かべたくなるあの角を過ぎたところにも上手いが、私は本作品の中の最高傑作を選べと言われたら、パパイヤと五家宝を押す。
冒頭から富裕層へのソコハカトナイ憧れを匂わせつつも、2千円のパパイヤに怯む姿で、主人公は明らかにこちら側の人間=庶民と理解させる。
そこに現れる四十前後の和風美人、彼女は何の気負いもなく高価なパパイヤを籠に入れる。
思わず後を追う主人公。
女性を勝手にパパイヤ夫人などと呼ぶあたりから明らかにコメディタッチであり、どこでオチが来るのかという笑いのサスペンスを約束する展開だ。
高級な牛肉を買うか買わないかという葛藤で、男も牛も同じ肉だ、と言い切るセンスが爆笑を誘う。
ここで登場する五家宝に主人公は目を奪われるのだが、残念ながらこのお菓子は埼玉で製造販売されているので、地方出身者にはなじみが無い菓子だ。
ここで親近感を持てずにノリから振り落とされてしまう読者が出ることだけが、唯一本作の欠点と言える。
検索してみたところ、埼玉三大銘菓の一つに上げられるほどメジャーなものらしい。(ちなみに他の二つは草加せんべいと芋菓子である)
しかし銘菓とは言え12本入りで300円台と、かなりお求めやすい価格、パパイヤ夫人にかけられた魔法(主人公が勝手にかかったのだが…)も瞬時に解けてしまうような庶民的な食品だ。
同時に牛肉の誘惑からも解放され、心が豚肉の生姜焼きに落ち着いたころにはワインではなくビールへの郷愁も漂う。
所詮我々は庶民、そんなオチかと思った矢先、最後の仕掛けとして牛脂が残っていた。
レジ係の目線と、なぜか言い訳がましい主人公、そしてその脇を静かに通過するパパイヤ夫人、完璧なサスペンスの完成だ。
森絵都の懐の深さ、恐るべしである。
笑いの要素として二人姉妹も見逃せない。
前半は得意の女性目線での女の関係あるある、かと思わせる。
しかし中盤から姉が恋人と別れた原因の一端が妹にあるというカミングアウトもあり、姉妹の断絶の危機を匂わせる。
どう決着を着けるのか、とページを繰ると、何の前振りもなく後半にぶっこまれるUFO騒ぎ。
唐突なんだがシンプルに笑える。
兄弟なんてこんなもんだよね、という予定調和なのだが、露天風呂に並んではいる姉妹がほほえましい。
森絵都の作家性に死角はない
最初の項で作者は短編に自信を持っていなかったと書いた。
だが、本作の11編を見るに、それは全くの杞憂であったと言い切れる。
笑い、情景描写、納得感、切なさ、社会性、そんな全てをわずか10数ページに詰め込める彼女は、十分に短編でも生きていける。
いや、むしろこのジャンルの方が向いているかもしれない、とすら感じる。
本人も手ごたえを感じたのか、これを契機に異国のおじさんを伴う、気分上々、漁師の愛人など次々と短編を執筆していく。
前述した難民問題や、教育問題、貧困問題などに取り組む社会性も十分にある。
2017年、間もなく50歳を迎える彼女、おそらくまだまだ作家生活は長いだろう。
今後も良質の作品を書き続けてくれることを望む。
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