ストーリーも後味も悪い小説
魅力のない登場人物たち
この小説は片桐という主人公がバンコク空港に降り立ったところから始まる。空港の描写はリアルで、旅立つ人や戻る人たちが行きかう活気のある様、異国の空気が香る感じがよくでていたと思う。片桐は積極的に観光をするでもなく、それでいて決して旅慣れている風でもなく、ただそこにいる。羽振りのよさは感じさせるけれど、この時点ではその理由は分からない。最後まで読めば、もしかしたら片桐がこのようなぼんやりした雰囲気をまとっているのは、自分のしでかしたことに対しての茫然自失感がそうさせているのかもしれないと判断できるのだけど、この時点ではなぜそうなっているのかが分からないため、ただただぼんやりして力のない男だなという印象が残った。
立ち寄った屋台の店で津田という若い男と出会う。3年タイで働き、タイ語も流暢に操る彼はどこかしら自由人のような雰囲気を出そうと頑張っているようだけど、それよりもどこか人を見下したような、自分はすごいでしょうという空気を出すまいとしても出てしまうような、そんな印象を受けた。時々バックパッカーにそのような人を見ることがある。世界を旅し、現地に馴染み、貧乏を自慢しといった青臭いものと同じものを津田にも感じだといえる。
冒頭からこのような魅力のない登場人物が2人もでてきたので、この先読み通せるかなと少し不安になる展開だった。
生き生きとしたタイの街並、夜の描写
とはいえ、水かけ祭りの最中の街並や屋台の描写は浮かぶ光景は色鮮やかで、この物語のいいところではある。特に屋台で食べる食べ物のおいしそうな描写や、象にバナナをあげることのできる観光客目当ての少年など、リアルに思い浮かべることができる。また祭りというのがいい。外国の祭りというのはそれだけでワクワクさせられる。タイの水かけ祭りは話では知っているけど見たことはないし、この場面だけでタイに行きたくなってしまった。同じように水をかけられる祭りでインドのホーリーは経験したことはある。でもあれは水だけでなく色粉みたいなものもふっかけてくるし、ただ水びたしになるだけでは済まないスリリングさがあった(またその色が洗濯でも落ちない。普通のティーシャツとかはものすごく色落ちするくせに)。あのあたりはそれを思い出したりして、楽しい場面だった。
おしゃれなカフェとかも出てくるが、やはり心惹かれるのは土地の匂いのする場面である。そしてそれはいつもリアルに頭で想像できて、そこはいいところだと思う。
片桐の横領に至るまでの展開
もともと経理だった片桐はわずかな金を会社の金庫から手に入れることが簡単にできてしまったことで味を占め、横領する金額がどんどん大きくなっていき、どうしようもなくなっている。初めは小さいことから始まり、そこから止めることができずに金額が大きくなっていく設定はリアルでいいと思うのだけど、そこになにか目的というものが感じられない。欲しいものもさほどなさそうだし、高価なものを手に入れても自身はなにも満足しているようには見えない。何か欲しいものがあるからというよりも、そこにお金があるからというか、手に入れたものの価値もやったことの大変さも分かっていないような鈍感さを感じさせる。そこがリアルと言われればそうなのかもしれないけど、そもそも片桐の性格や行動の描写があまりにもぼんやりとしたままだったので(そこがどうしても鈍感な感じを受ける)、どういう背景があるのかが見えづらい。だからこそ彼の行動に何一つ感情移入ができなかった。
私も経理は経験したことがあるのでそもそも金庫で金額が合わないことはよくあるというのは分かる。なぜか昨日よりも残高が多いということも確かにある。でもそれは「現金過不足」という科目で処理するはずだと思う(そうしないと後で面倒だし、個人的には硬貨がきちんと並んで揃っているところに余計な硬貨ががちゃがちゃとあるのはあまり気に食わなかったというのもある)。確かにそれはそう処理をしなければ浮いたお金だし、担当ならいつでも手に入れることが出来ると思う。だけど経理屋はいくら現金を扱おうとそれは八百屋でいう野菜のようなもので、なにか自分が使っている現金とは違うもののような感じになっているので、あれほどの大金を横領するにはそれなりの理由と、それなりの肝がないと無理だと思う(女性が横領する理由が恋人に貢ぐためというのも、その熱情は原動力としては十分なものなのだろう)。だからどうしても片桐があれほどのことができるようにも思えないのだ。
津田の感情と行動
ミントと一夜を過ごしながらも次の朝、無理やり彼女を部屋から追い出した日、片桐が津田に言った言葉が津田を激怒させる場面がある。これに似た場面がもう一つあるのだけど、この津田が怒ったポイントがどうしても腑に落ちない。誰にでも、そこに触れられたらいきなり怒ってしまうというポイント、いわゆる“怒りの琴線”とでも言うのかそういうものがあるとは思う。でもなぜそこに触れられると嫌なのか、自らお金持ちのマダムと不倫をしている後ろめたさから余計そうなるのか、いまいち実感として理解できなかった。そもそも津田のセリフもよく分からない。「日本だと5円でも安い卵を買うためにスーパーをはしごする」ような奥さんは商社勤務のマダムでないと思うし、また駐在として赴任するとメイドを雇うのも、運転手を雇うのも、現地に労働と賃金を提供しなければならない義務という風潮もある。なにも好き好んでメイドを雇い(金庫や冷蔵庫の管理は面倒だし)運転手つきの車(どこにいくか言わなければならないのも面倒くさい)で出歩いているわけでないと思う。このセリフは「2人のメイド」と言い切っているから、やはり不倫相手のことを言っているのだろうけど、それを一般的意見として言われるのは違うと思う。ましてや「皆自分を偽って楽しんでる」というのは少しベクトルの違った怒りに感じて、白けてしまった場面でもあった。
津田は津田なりにマダムとの不倫に悩み先のセリフは恐らく自分のことを言ったのだろうけど、いわば子供の駄々のような論点のずれを感じさせる。その分かっているような分かっていないようなセリフも若さゆえのリアルなのかもしれないけど、まったく感情移入はできなかった。
ミントと片桐の擬似恋愛
なにかしら楽しげな2人だが、もちろんそこには金銭が介在している。有頂天になっているようにも見える片桐は若干水商売の女の子に入れあげるような鬱陶しさを感じさせるが、ミント自身は実にさっぱりしていて魅力的で、この小説で唯一かわいらしさを感じるものの、彼女自身の意見とかどういったものの見かたをするのかの描写が皆無で、奥行きが感じられなかったのも事実だ(2人の会話が拙い英語だけというのも原因かもしれないが)。
同じような擬似恋愛を、中島らもの「頭の中がカユいんだ」で読んだことがある。本当に夢のように楽しくて飲んで騒いで、でもそこには確実にお金の存在があることを時々思い出すところがリアルだった。あの話の最後の場面は実際はそうなんだろうなという現実に満ち溢れていて読み応えがある。そして名前は忘れたけど同じような仕事をしていた彼女も、ミントよりはっきりとした存在感があり魅力的に感じた。
弟の怒りと片桐の帰国
ムエタイの試合に負けた直後のいらだった状況の中、姉のいわば仕事相手を紹介されて弟がカッとなったのはわからないでもない。さすがにいきなり殴ることはないだろうと思ったけど、いつも何やら薄ぼんやりとして覇気の感じられない片桐に対してはなにも同情ができなかった。この小説でこの弟の怒りだけが唯一純粋なもののように思えたくらいだった。そこで終わればよかったのに、そこから人を見下した態度で悪態をつき、出来うる限りの不遜な態度で国を出る片桐の姿に、かなりの後味の悪さを覚えた。もしかしてあれが彼の本性なのだろうか、そう考えるとぞっとする。
後味の悪い暗い小説は決して嫌いではないし、むしろ好きなくらいなのだけど、この後味の悪さは好きではなかった。映画で言うと「セブン」は好きだけど「ミスト」は嫌いといったような感じだろうか。
吉田修一の暗さと後味の悪いところは好きなのだけど(「さよなら渓谷」は良かった)、これはどうもいただけない作品だった。
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