なにであれそれが見つかりそうな小説 - 東京奇譚集の感想

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東京奇譚集

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文章力
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ストーリー
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演出
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感想数
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なにであれそれが見つかりそうな小説

4.04.0
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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演出
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目次

過去に彼に起こったいくつかの出来事、という始まり方

この本には5つの短編が収められている。その一番初めの「偶然の旅人」の冒頭部分で、作者村上春樹がこう述べている。「過去にいくつか自分に起こった不思議な出来事を綴ってみたい」としている。だからこの本の全ては村上春樹が体験した不思議な出来事を文章にしたとずっとそう思っていたのだけど、最近読み直してみてそれは違うのではないかという気持ちになった。一番それが顕著なのが「品川猿」だろう。色々考えた挙句、恐らく彼が体験したのは一番初めの「偶然の旅人」だけなのではという結果になった。多分それが正解なのかもしれないけど、そう考えると随分自分が分別たらしいみすぼらしい中年に成り果てたと感じてしまったものである。
とはいえ、実際彼の身に起ころうと起こるまいと、架空であろうとそうでなかろうと、ここに収められている物語全ては愛すべきものであり、時々読み直したくなるものであることは間違いない。
そしてもちろんこのタイトル「なにであれそれが見つかりそうな小説」は、ここに収められている「どこであれそれが見つかりそうな場所で」をもじったものである。そしてまさにこの小説はそういうイメージだと思う。

「偶然の旅人」

タイトルにもなっているこの小説は、村上春樹自身が体験したレコードショップやライブハウスでの出来事、そういうことが冒頭に書かれている。そこから繰り広げられるゲイの調律士の話は偶然という言葉では表しきれない何かを内包していると思う。虫の知らせとでもいうのか、なにか不思議な力が介在しているような、そんな気にさせられる。
ところで、私は村上春樹の小説の影響だろうと思うけれど、ゲイの人は繊細でどこか芸術的でというイメージがある。「海辺のカフカ」の大島さんしかり(彼はもっと複雑な立ち位置だったけれど)この「偶然の旅人」のピアノ調律士しかり。なにか儚いほど繊細な雰囲気がある。そこに女性が惹かれるのも無理はない。ましてや隣り合わせで同じ本を読むような“偶然”の元に結び付けられた2人なら、なにかそういうところに運命のような期待を抱いてしまっても無理はない。でもこの話はそこで終わらず、新たな偶然に話が進んでいく。そういう流れていくような展開がちょうど流浪する旅人のようにも思え、うまいタイトルだなといつも思う。

「ハナレイ・ベイ」

サチのような生き方に憧れたことがある。ピアニストがだめなら料理人になろうとし、そのために海外へ渡り、そして料理学校の資金を稼ぐためにピアノバーで働いて、という特になにも先を考えていないにもかからわず才能があるために流れるにしても何も途方にくれることもなく、その才能が場所を示すまま生きるといった生き方である。これはもちろんなにかの秀でた才能が不可欠なのだけれど、こういった生き方は先に何が起こるかわからない生き方としての醍醐味があるように感じられ、40を超えた今でもそういう生き方に憧れを感じる。
彼女の息子はハナレイ・ベイでサーフィン中鮫に襲われ死んでしまう。そしてその遺体を引き取りに向かって初めてそこに降り立ってからの話なのだけど、そこにはあまり生々しい悲しみは感じられない。もちろん悲しいのだけど、そこにある現実をそのまま丸ごと受け入れたといった感じで、見も世もなく嘆き悲しむといった描写はない。それよりも流れていく時間と出会う人々の描写に重きがおかれているように思う。そういった物語の進み方が幾分現実離れしていて、どこがどうというわけでないのだけど好きな話だ。

「どこであれそれが見つかりそうな場所で」

この話はなぜかわからないけど時々読みたくなる話のひとつだ。村上春樹の小説でよくこういうタイプのものがある。なぜかわからないけど急に、「あの階段の途中でいなくなる人を探す話が読みたい」気分になるのだ。他に「妹の恋人がなんだか気に入らないけど、コロッケ食べたいんだけど、ステーキでいいですよっていう話」が読みたいとかもある。まるで今日はどうしてもグラタンが食べたいとか、どうしても焼肉が食べたいとか、そう心に訴えかけてくる感じがするのだ。そしてこの話もそういった話のひとつである。質問に対しての答え方が何か神経質な依頼者だの、かりかりに焼いたベーコンを添えたたっぷりのパンケーキだの、棒を投げても取りにいかない犬を見る表情だの、そういったものがずっと心に残っていてまるでそれらが禁断症状を及ぼすように、あれが読みたいとなるのだ。おかげでタイトルはいつも忘れがちだけど、この物語の内容はいつも忘れない。
もうひとつ、村上春樹はハードボイルド的な描写もうまいので、この探偵のような役柄がとても魅力的に描かれているのも一役買っている。この物語は決してハードボイルドではないのだけど、なにかそのような要素も含んでいるような気がして、それがまた心の中毒性をあおっているのかもしれない。

「日々移動する腎臓のかたちをした石」

この物語はたくさんディテールがありきちんとそれが成り立って一つの物語になっているのだけど、その中で一番に印象的なのが高層ビル専門の窓拭き掃除という職業の女性がでてくることだ。その上高所での綱渡りもやっているという。その印象が強すぎてそれ以外の話はなんだかかききえてしまって忘れがちになってしまっている。そのような高所で歩く時何を考えるのか。そのために誰かと日常生活を共にすることさえ拒み、高いところで息をすることのみに情熱を注いでいる様は孤独に見えがちだけど、もしかしたら実は真逆なのかもしれない。その高いところで作業する様子のみが心に残っているけれど、実はもうひとつこの物語が私に残したものがある。山などですべすべした手ごろな石を見つける度に、「腎臓のかたちだ」と思ってしまうこと。それは確実にこの物語によって影響を受けたものである。

「品川猿」

村上春樹の小説に時々あるコメディー感があるのになにかシリアスな物語である。名前を盗む猿、その上言葉も話す。そういう動物が普通に村上春樹の小説にはよく出てくる。メタファーとしてでなく、きちんと登場人物としてであるから面白い。「羊をめぐる冒険」などにでてくる羊男、「あしか祭り」のあしか、様々である。この「品川猿」の話は猿がでてくるけど、その猿は人間の女性に恋するあまり名前を盗むのだけど、このあたりの展開は「緑色の獣」を彷彿とさせる。一見グロテスクで恐ろしそうなこの獣は、思いがけないほどの脆さを見せた。そういう怖さも感じさせながら、羊男のような優しさもなにか感じたりする話である。
ただ後になってあの話が読みたいという中毒性は、私にはなかった。けれど、一度読み始めてしまうと止まらなくなってしまったりはするけれど。

村上春樹の短編集の魅力

村上春樹の書く小説の魅力は、長編であるとか短編であるということはあまり関係がない。私にとってそれはいつも急に読みたくなるものであり、どこのページを開いても満足させてくれるものであり、疲れた時に読むとどこかさっぱりとさせてくれるものである。忙しくて頭がヒートアップしているときに、あえて読書をする時がある。そうすると脳が別のことを考えるので、自然にヒートダウンさせてくれてリフレッシュ効果があるように思う。そしてその時に読む本は、読んだことのない本でなく、何度も読んだ本であることが大事だったりする。私にとってはその役回りの小説が村上春樹のものであることが多い。そしてこの本もそういう役回りを時々果たしてくれている大切な本である。

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