芋虫のような、肉塊のような夫
こんな姿で、生きてるって言えるの?
戦争から帰ってきた夫・須永中尉の姿はもう昔の夫の姿ではなかった。両手両足…四肢を完全に失い聴覚と味覚も失った。人の姿をした何か別のものにさえ見える夫を献身的に介護していくうちに須永の妻・時子は次第に夫を虐げることに快感を感じていく、「芋虫」と化した夫は最早人ではなく時子の玩具。世間から隔離されたような家で起こる異形の夫と妻の倒錯的小説。
この小説は1929(昭和4年)に本格推理小説雑誌「新青年」にて掲載された小説。初めは「悪夢」と題されていましたがのちに「芋虫」に戻された。小説内に反戦的な表現と勲章を軽蔑するような表現があったことで編集者が当局の検閲を気にして娯楽雑誌だった「新青年」に回された。それでも伏せ字だらけの掲載で発表され、この小説は戦争中江戸川乱歩の小説は一部削除が命じられたものが多かったことに対して「芋虫」は全編削除だった伝説とでも言っていい小説。当時は「蟹工船」などが代表のプロレタリア文学が盛んだった時代、それ故反戦小説は激励されていましたが乱歩自身この全編削除について「左翼より賞賛されしものが右翼に嫌われるのは至極当然の事であり私は何とも思わなかった」「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」と回答。「人間のエゴ、醜さ」を表現しただけに過ぎないらしい。
この「芋虫」は江戸川乱歩の小説の中でも群を抜いてグロテスクで官能的、好き嫌いがはっきり分かれるだろう小説ですが私はこの手の話がとても好きなのですぐに引き込まれてしまった。当時の男が常に女よりも優位という差別、夫婦間の感情、障害者の介護の辛さと見た目の醜さ、性欲、汚い欲望と本音を隠すことなくリアルに描かれグロエロ作品を得意とする乱歩の生々しい表現が素晴らしい。妻視点で話が書かれているところがよりリアルで考えさせられるところもあるミステリーさも微かにある小説は倒錯的愛憎劇と言っても言い。
江戸川乱歩という男、
ペンネーム・江戸川乱歩はその名の通り有名な推理小説家「エドガー・アラン・ポー」に由来する。デビュー作は「二銭銅貨」数々の名作を生み出し日本に推理小説を広めた人物。推理小説ではそのエドガー・アラン・ポーのトリックを若干取り入れたようなものもあるが乱歩の独創性もしっかりあり最後はすっきり解決出来る謎解きが仕掛けられている。中には「悪霊」という推理小説を連載していたがどうしても結末が思いつかずに連載を中止し読者に謝った作品まであった。でも江戸川乱歩の推理小説はあまり大衆にはウケが良くなく「赤い部屋」「人間椅子」「鏡地獄」などの奇怪で少し気持ち悪く好みが分かれるような小説の方が好まれた。日本が戦争体制を強化していくようになり芸術への検閲が強化されはじめた1937年(昭和12年)には表現の自由を制限。そして一説では内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたとか。「芋虫」は1941年(昭和16年)には原稿依頼が途絶えてほぼ絶版に、最早「幻の作品」と言える。
江戸川乱歩の生み出したキャラクターで有名なのは名探偵・明智小五郎と大怪盗・怪人二十面相。この二つのシリーズは特に沢山書かれており少年向け小説となっている。そんな一見子ども向けにも読みやすいかつ魅力的なキャラクターを書いた小説と推理小説家と名高いと思われる江戸川乱歩ですが、衆道・少年愛・少女愛・男装・女装・人形愛・サディズム・グロテスク等々残虐かつ官能さを書いた小説も多々あり一部大衆には大ウケ。明智小五郎が初登場した「D坂殺人事件」のオチはSMプレイの果ての不本意な殺人であったし「盲獣」は盲目の殺人鬼が繰り広げる「触覚の官能」乱歩自身が失敗作と言っている「盲獣」は「吐き気を催すレベルの変態小説」現代ではそういった性的趣向も存在することくらいノーマルな性癖の方でも知っていると思いますが、乱歩が生きた大正から昭和期にエログロ小説を書いていた江戸川乱歩はある意味時代の最先端をいっていた小説を書いていたのかもしれない
「ユルス」
次第に夫を虐げることに快感を覚えて行った時子は夫の唯一残った視覚さえも奪ってしまう。そのことを何度謝っても須永中尉は無視をし続けていたがある時「ユルス」と一言必死の思いで書き残し家から姿を消す、鷲尾少将と姿を捜し庭の方から何か這いずるような音が聞こえることに気づいた、そしてその後古井戸へ落ちるトボンと鈍い水音が聞こえた。
時子はこの時、闇夜に一匹の芋虫が不自由な自分の重みで真っ黒な空間へ底知れず落ちていく光景を幻に描いていた。そんな一文で終わる。不思議なことに読み手も深夜の雑草が生い茂る庭に波打ちながら蠢く肉体、ガクンと首をもたげて井戸の中へと落ちていく須永中尉とそれを放心して見ている時子・鷲尾少尉の光景がぱっと頭に描かれる。たとえ勲章を貰っても軍人としての威厳も男として夫としての存在さえも無価値になった芋虫のような肉体に耐え切れずに自殺をしたのか時子にこれ以上弄ばれることが辛かったのか、はたまた負担をかけさせまいとした夫としての優しさだったのか。ただの肉塊と化した須永中尉の心中はどんなだったのかと想像を掻き立てられる終盤の畳みかけが凄い。
そしてこの「芋虫」は2010年に寺島しのぶさんで映画化されている。題名は「キャタピラー」和訳すれば「芋虫」という意味。この映画で寺島しのぶさんは第60回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。原作を忠実に描かれており小説の通り時子を演じている寺島しのぶさんの圧倒的な演技力が素晴らしい。寺島しのぶさんといえば濡れ場がある作品が多いだけに今作でも四肢のない夫との情事が映像化されていて小説で想像する以上の倒錯が狂気に見える。
もし夫がある日突然、物を見ることも出来ず音を聞くことも出来ず一言も発することが出来ない、肺臓と胃袋を持っているただ一個の生き物…肉塊と化したら、愛せるだろうか。
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