魅力的なミセス・ダウトのキャラが作品の命
深くて可笑しいナンセンスコメディ
ロビン・ウイリアムズ主演の代表的なコメディ「ミセス・ダウト(Mrs. Doubtfire)」。大好きな映画で、劇場やテレビ放映でも観たし、DVDでも何度も観た。
この映画の良い所は、離婚訴訟で子どもたちと引き離された主人公の中年男性が仲間の協力を得て女装し(しかも英国出身の大きなおばあちゃん)、亡霊のように家族を守るというありえない設定のドタバタ・ナンセンスコメディーかと思いきや、いまアメリカのみならず世界中で問題になっている離婚による家庭の崩壊、両親の間で葛藤する子供たちの心情を描いているという点だ。あるいは一昔前なら「性格や価値観の不一致」で片づけられていたであろう離婚原因のひとつである“大人の発達障害”について語っているようにも感じられる。
ロビン・ウイリアムズ自身、何度も結婚と離婚を繰り返しているし、前妻との間には子どもも何人か居るから余計に説得力がある。ミセス・ダウト自身が映画の中で語っているように、「縁あって愛し合い、子供まで設けた夫婦」がなぜ最後には憎しみ合うのか。お腹を抱えて笑った後で、いろいろ考えさせられる深い作品だ。個人的なコンプレックスや生活習慣における細かいこだわりなど、もとは他人だった男女が家族として共同生活を続けていくためには、愛情以外の邪魔なものをいかに認識し、排除することは不可能でも一旦横に置くことが大切なのだと思った。
アカデミー主演女優 サリー・フィールドの顏芸
アカデミーメイクアップ賞を受賞した特殊メイクもさることながら、この映画の大きな見どころのひとつは、妻ミランダ・ヒラード役のサリー・フィールドが見せる見事な“かお芸”だろう。実写なでありながら、まるでアニメーションでも見ているかのような錯覚に囚われるほど豊かな表情の変化が素晴らしい。途中、所どころで挿入される子ども用アニメのシーンとの境目があまり感じられないほど面白いのだ。
首に青筋を立てて激怒し、夫の奇行に憐れみの表情を見せる百面相が、作品のスピード感をさらに加速させる。ありえないドタバタが続く中盤以降も観る者をまったく飽きさせない。無職の夫と子供3人を養いながら、女性としても輝きたいと願うキャリア・ウーマンにピッタリのキャスティングがリアルだった。彼女がミセス・ダウトに寂しい心の内を吐露したり、コーディネートのアドバイスを求めるシーンは、「夫婦が親友なら人生は楽しい」という幸せな結婚の秘訣を教えてくれているようだ。
離婚後に再開したふたりの話し方から察するに、ピアース・ブロスナン演じるスチュワート・ダンマイアとミランダの破局の原因には、ダニエルの存在が関係しているようだった。非の打ち所のない男性を捨ててまで結婚を選んだダニエルとの結婚が生活が終わった理由を、ミランダが何と説明したかは覚えていないけれど、とても離婚経験者に寄り添う空気が感じられたのが印象的だった。
結婚とは
夫婦というものは結婚生活が長くなれば互いに色気もなくなり、色々な意味で男女の関係ではなくなる。それなのに、出会ったころの気持ちを引きずっているせいか男女の“嫉妬”のような感情はいつまでも捨てないし、世間的にもそれが当たり前とされている。そんな拗れた感情がネガティブな表現を生み、お互いを傷つけてしまうというのに。
この作品でも、離婚したあとも互いの交友関係が気になって仕方がないふたりが描かれる。ふだんは上品なイギリス英語を話すミセス・ダウトが、ダニエルに戻って毒舌を吐くシーンはこの映画の真骨頂だ。ジェームス・ボンド並みの超イケメンエリートに嫉妬して辛辣な発言を繰り返すシーンは、60歳の老婆と元妻を横取りされそうな男の心情が妙にオーバーラップしていて心底おもしろい。一周まわってゲイバーのママさんみたいな可笑しさがある。
この頃になると、ミランダ目線でも、子どもたちの目線からも、ミセス・ダウトがかけがえのない存在になっていることに気付く。いつまでもこんな生活が続かないという予感が、ミセス・ダウトとの悲しい別れを想像させてちょっと切ない。ナンセンス・コメディと切ないヒューマンドラマの接続がとてもスムーズなところも、この作品の好きなところだ。
育児とは
父親時代には子どもたちを叱ることができなかったダニエルは、厳しい家政婦として子供たちの長所を伸ばしていくが、いままで叱れなかったのは自分に自信が無かったからか。そんな過去の自分を反省してミセス・ダウトのキャラを作ったのだろうか。家族だった頃よりも貴重な「パパの時間」にその方法を選んだというところに、その答えがあるのかもしれない。
叱らない育児は世界中で主流となっているらしいが、専門家が提唱するようになってまだ日が浅いため、その結果はまだ出ていないといわれている。叱って躾けるか理屈で説明して理解させるかで子育ての結果が変わると思うのは、未熟な親が抱く幻想なのだという人もいる。子どもを持った時点で教育方針を選択する必要があると考えるのも間違いなのだろう。子どもはもっと親の内面的な何かを感じて成長しているのかもしれない。
クライマックスシーン
この作品で何度見ても笑えるのは、ジョナサン・ランディ社長との大切な会食の席で主人公のダニエルがドタバタと仕事を片づけ、ミセス・ダウトファイアーが社長のテーブルに戻ってスコッチのグラスを煽るシーンだ。観ている側も少しのあいだその違和感に気付かないほど目まぐるしくストーリーが展開するが、ダニエルがヨッパライが徐々に完成していく過程も完璧すぎてすっかり引き込まれてしまう。
厨房に紛れ込んで料理にイタズラするシーンが無条件に可笑しかっただけに、このシーンはインパクトが大きい。上品な英国夫人が素に戻って悪態をつくところがカッコいい。これまで必死に取り繕ってきたすべてのバランスが一遍に崩れてヒラード家の家政婦が消滅し、大人気番組のホストである“ミセス・ダウトファイアー”が誕生する瞬間。ミセス・ダウトの表情が妙に色っぽい。
心に残る魅力的なキャラクター
軽い身のこなしと心温まるキャラをもつチャーミングな家政婦さんは消滅してしまったが、みんなの人気者としてテレビに戻ってきた。こんな番組あったら観たいと思えるような魅力的なホストだ。そこでこの作品のコアなメッセージが語られるシーンも良かった。この作品を観終わったあとの爽やかな感覚は、安定(家族)を必要とする傍らで、刺激(恋愛)を求めてしまうニンゲンにとって、結婚がいかに不自然な制度であるかということを笑いながら学べるところにあるのかもしれない。
それはもちろん結婚や離婚の否定ではなく、人間生活の肯定に他ならない。だからこそこの映画の結末は完全なハッピーエンドではなく、あんな風でなくてはいけなかったのだろう。ナンセンスなストーリー展開のコメディにはやや不似合いとも思える結末は印象的で、強いメッセージ性を感じさせるものだった。ラストシーンのあと、家族はどんな風に変化したのだろうか。
1993年の世界的大ヒットを受け、数年前には第2弾の公開が予告されたように記憶しているが、ロビン・ウイリアムズ死去によって永遠に観ることができなくなってしまった。ほぼ毎年のように話題作に出演していたロビン・ウイリアムズだが、若いころからアルコール依存症やうつ病などで苦しんでいたようだ。後にそれも自殺の原因のほんの一部に過ぎなかったと発表された。それにしても悔やまれる早すぎた逝去だ。もっともっと一流コメディアンが演じる心温まるヒューマンドラマが観たかった。
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