小説版『ICO』視点による再読のススメ - ICO—霧の城の感想

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ICO—霧の城

3.653.65
文章力
3.70
ストーリー
3.50
キャラクター
4.00
設定
3.90
演出
3.20
感想数
2
読んだ人
3

小説版『ICO』視点による再読のススメ

3.33.3
文章力
2.9
ストーリー
3.5
キャラクター
3.0
設定
3.8
演出
2.9

目次

語られていなかった主人公の出生を明かす

タイトルの「ICO」がこの本を動かす男の子の名前だ。

小説版『ICO』では、原作となるゲームで語られることのなかった ICO(以下イコ) の出生や環境について深く掘り下げたものとなる。

恐らくこの本を手に取ったひとの大半がゲーム『ICO』をすでにプレイした、またはゲームの存在を知っているひとだったのではないかと思う。

かくゆう私もそのひとりで(実際には友人のプレイを観るいわゆる観る専だが)、ゲームの世界観を楽しんでいる最中、偶然に本屋で見かけたことから手に取り読むことになった。

さて、本題へうつるが、ゲームではイコの出生などについては細かい説明は一切ない。それがよりファンにとっては考察やプレイ中のワクワク感につながるのだろう。

おおざっぱなことを言ってしまえば、どんな形態のどの物語でも、主人公の出生や生い立ちはなくとも楽しめるものだ。(生い立ちについては賛否あるだろうが、大雑把にということで穏便にしてほしい。)

だが、小説ではあえて彼らを掘り下げている。これは非常にリスキーといえる。

それはなぜか?理由としてはいくつかあるが大きくふたつにわけられるだろう。

ひとつは後付けとなる彼らの出生や生い立ちによって人物の性格にズレが生じてしまうこと。

そしてもうひとつは、詳細を書き、それが販売されることによって生まれる意識上での公式化だ。(うまい言い方はないものかと思ったが、これがしっくりきたので。)

まず、ひとつめだが、こちらは私的にはとても良かった。大きなズレなどはなく、人物が生き生きして動いてみせてくれた。

ゲーム経験者を頷かせる一面も非常に多く、ついこの場面は!と思い返してしまうほどだ。他にもプレイ中にイライラした場面の理由などは逆に面白く捉えられたくらいだ。

もちろん、細かな、いわゆる小ネタが存在しており、なかなか読みごたえもあった。人物の生い立ちや思考が入ることで、寂しさや恐怖だけでなく、彼らのもどかしさも加わり、より一層色づいている。

小説を読み終えた後で、ついついもう一度ゲームで見たい…!と思えてしまうほどだった。

そしてもうひとつ、これは非常に難しいところだが、悪い結果にはなっていないと私は思う。

それではなにが問題なのか、友人の言葉をそのまま借りるなら、

「小説は小説、ゲームはゲームってわかってる人はいいけど、ゲーム=小説ってなるのは違くない?」

だ。

私も、この物語はあくまで小説版とされるわけで、イコたちの生い立ちやその行動の理由はゲームのそれとは決して完全なイコールではないと完全に区分けしている派だ。

だが、ネット上に数多ある非公式の創作や考察とはちがい、小説版へはある種の公式といってもいい意識が生まれるはずだ。

実際のところ、入り口が本のひとがゲームをする機会があったとしたら、小説で語られたイコたちの生い立ちを決して捨てられないだろう。また捨てることは難しいのでは?と思ってしまった。

だが、それのどこに悪いところがあるのかといえば、ないのである。

もちろんどちらが正しいかとバトルが始まってしまっては苦い雰囲気になってしまうため、嬉しい事態とは言いがたいが、これを言い換えるなら、それだけこの小説版『ICO』にはそれぞれを巻き込むインパクトがあるということだろう。

もちろんこれが杞憂で、誰も気にしていないとすればリスキーと思えたものはひとつで済み、また、彼らの語られていなかった出生を描いたことは大成功だったわけだ。

ゲームが織り成した世界観、景色の文字化

正直なことをいえば、この小説において非常に惜しいといえることは、彼らを取り巻く景色や世界観の文字化の失敗だろう。

前述したようにこの作品に手をのばした多くのひとは、ゲームの『ICO』をすでに知っている人たちだろう。

つまり、視覚によってすでに情報を得ているひとが多い。もちろん、それを差し引いても、描写について私には問題があるように思えてならなかった。

この作品の売りはイコたち以外にも、そのそもそもとなるひろい世界観や舞台となる「霧の城」だ。

だがどうしたことか、その売りが非常に霞んでしまう自体に本作は陥っている。

私の考える、ファンタジー小説にとっての最大の致命傷は、作中で現実に引き戻されるという事態だ。

この小説では、これが起こってしまっている。

ではなにがその致命傷を引き起こしているか?

物語の流れがわるいのか。違う。

彼らの描写がわるいのか。いや、違う。

視点となる景色の描写がわるいのか。これだ。

そう、まさにこれに尽きる。

私たち読者は、活字によってその物語世界を組み立てていくが、これには著者の手助けが非常に必要となる。

では、この本では著者の手助けがないのか?

その真逆だ。恐らく著者はこの作品の世界観を読者に見せたくて魅せたくてたまらなかったのだろう。

著者はこの美しく、かつ畏縮させてしまうかのような城を体現してほしかったのだろうが、細かに精密に伝えようとしてしまったがために、私は混乱におとされ、結果現実へ引き戻されてしまった。

この部分がもう少し読者へ委ねられていれば、おそらくこの小説はもっとより深い楽しみを味わわせてくれたに違いない。

視点による影響

『ICO』は実に様々な視点によって語られる物語だ。あるときはイコ、あるときはヨルダ。もちろんそれ以外にも、トトや神兵など、本当に様々だ。

そして、作品を通して一貫していることが、ぼくは、や私は、から始まる行動がないという点だ。

ここは恐らく著者の意識が強いのだろうが、視点が強すぎないためか、ころころ変わる視点にもついていきやすくなっている。

私はこの物語を最初イコの物語として読み、そしてヨルダの物語としても読んだ。

では、それだけなのだろうか。先にも書いたように、この小説には複数の視点が存在している。もちろん登場した人物すべてとまではいかないにせよ、実に多くの視点がある。

まず、物語の大部分がイコとヨルダによる視点となるが、そのふたりの視点ですらふたつにわけることができる。

それが時間だ、イコは現在動いている視点と、過去起こったとされる視点、ヨルダは過去に動いた視点と、現在の止まった視点だ。

成長と脱却が『ICO』の根底にあると仮定した場合、この視点は実にうまくまわっている。

仮定する根拠としては、停止していた時間の稼働や、母体を連想させる城の崩壊、加護の消滅など様々あるが、この場では長くなるので割愛したい。

さて、彼らの視点について話を戻すが、原作となるゲーム『ICO』には視点はたったひとつしかない。

この差によって向きがちだったイコやヨルダへの私たちの視点は実に自由に、そしてふたり以外への物語へも向けられることとなる。

イコやヨルダの視点以外にはいったいどんなものがあるか。それは彼らへの視点だろう。

彼らへ注がれる視点には様々な立ち位置が存在している。登場した人物たちには役職があったことを覚えているだろうか。

神官、神兵、村長、実に様々だ。

そしてそのすべてが一様に彼らのふたりへ注がれている。生け贄を映さない神官の視点、生け贄となる少年への嘆きや抗えない神兵の視点、イコへ期待する村長の視点などだ。そしてそれらは私たち読者へも、決して大きい波ではなくとも影響を与えている。

物語の視点は移り変わらない方が感情移入しやすく、それゆえに入り込みやすいものだ。

だが、イコたちの物語を読み終え、結末を知ったからこそ、その視点を颯爽と読み進めるのではなく、着目しそれぞれがどのように思いイコやヨルダを見つめていたか見てみてほしいと思う。

疾走しきれない文量でもあるかとは思うが、一章ごとでもいいので、ぜひ今一度小説を手に取ってみてほしいと思う。

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