エッセイと小説のイイトコ取り!文学職人小川洋子全部乗せ! - 偶然の祝福の感想

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偶然の祝福

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エッセイと小説のイイトコ取り!文学職人小川洋子全部乗せ!

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
3.5
設定
3.5
演出
4.0

目次

2000年刊行、この時期を勝手に中期と名付ける

1988年のデビューから12年、彼女の初期作品「揚羽蝶が壊れる時」や「完璧な病室」は繊細はあるが修飾語過多で正直なところかなり読みにくい。若手女流作家という肩書もあり、その時期独特の美しさはあるが、読み手を選ぶ作品が多かったように思う。

 10年の歳月を経て、表現力へのこだわりは修飾語の選別よりも語彙の洗練に向かっていった。2000年以降の彼女の作品は初期のゴテゴテ感は影を潜め、むしろスッキリしていて文章そのものは誰にでも読みやすいものなっている。独特の少し不思議な世界観は残したままで、しかし読み手は選ばない、という方向に進化したのだ。

2003年の「博士の愛した数式」でブレイクする間際のこの時期、多くの言葉を使って表現の限界に挑んできた彼女は、少ない言葉で豊かな表現をする境地への扉を開いたと言えるだろう。この傾向はさらに進んでいき、2010年代の「ことり」や「いつも彼らはどこかに」では簡潔さの極限に到達している。それでいて読み味が浅いとか、内容が薄いという事はない。

彼女は短編やエッセイを数多く書いており、正直なところ似たようなネタは多い。それでも「またか」とは思わせない。それはコピペして修正したようなものではなく、彼女の内側にある美しいものをその時々に進化し続ける彼女自身の言葉で表現しなおしているからだろう。

本作を手に取った時、私は全く侮っていた。単行本では表紙に犬が描かれており、文庫の装丁も犬と少年だ。彼女の得意な愛犬と息子を描くエッセイか、と予定調和の素晴らしさを味わう前提で手に取ったのに中身の深さに良い意味で裏切られた。

文学職人小川洋子全部乗せ!

本作はある女性作家を主人公としており、全体のつながりはまばらで、オムニバス短編集というスタイルを取っている。女性作家であること、犬を飼っていること、息子がいることなどは現実の小川洋子に共通しているが、音楽家である恋人がいることなどは創作だろう。 

彼女は文学職人だと私は思っている。長編、短編小説はもとより、彼女の場合エッセイを書く時も文章に隙が無い。

内容は「トホホ」や「ほんわか」なのに、しかしその文章どれも油断なく洗練されていて、とにかく美しいのだ。この「職人」という言葉は同年代の女流作家江国かおりも小川洋子を形容する際に使っており、まさに業界が認める文学職人なのだ。

本作はそうした職人の技がぎゅっと詰まっている。しかも本作の特異性はスタイルは短編で、しかし「私」はおそらく全編共通のキャラであるため長編ぽさもあり、しかも架空の人間である「私」のエッセイにも見える。

まさに「小川洋子の得意技全部乗せ」と呼んでもいい豪華な内容だ。 

厳しい困難になんとなく挑む、小川ワールドの不思議

本作収録短編にはおおむね二つのパターンがある。まず「私」が語る変わった人の話、これは「失踪者たちの王国」「盗作」「キリコさんの失敗」「エーデルワイス」あたりだ。

このタイプは彼女の短編の必勝パターンと言ってもいいような、ちょっと変わった人が、何か問題を抱えており、しかし全体にジェットコースター感は微塵もない、という展開が多い。緩いのに「読ませる」力があるのは、まさに彼女の職人芸である文章力と世界観のたまものだ。彼女の小説に過激な描写はいらない。研ぎ澄まされた言葉の向こうに深くて濃厚な世界が見えているからだ。

「キリコさんの失敗」だけは彼女にしては明確な盛り上がりがあり、ある意味本短編集の目玉ともいえるかもしれない。 

そしてもう一つのパターンでは「私」が直接苦難や困難に直面する。愛犬の病気、「私」自身の迷いや悩み。小川洋子作品の多くのキャラクターたちは、それに対して大きく狼狽したりしない。彼女たちは例外なく、窮地に陥り困りはてるのだが、激しい動揺は描かれない。むしろ困難は最初からあるもの、という具合に「寄り添って生きる」という姿勢を保つ。

「涙腺水晶結石症」で病気の愛犬アポロと息子と3人で嵐に合って身動きが取れなくなるシーンは、凡庸な作家ならひどい苦労話を書いてしまいそうだが、小川洋子はそんなありきたりなことはしない。「私」は「何故自分たちだけがこんな目に」などと境遇を恨んだり人をうらやんだりせず、むしろ「安らかな気分にさえ」なる。

また「蘇生」では作家である「私」が言葉を失ってしまう、という職業人として致命的ともいえる苦難に遭遇するが、物語は意外にも淡々と進む。

ここでも前述した深くて濃厚な世界が、アナスタシアが語る物語から垣間見える。アナスタシアがよどみなく語るその言葉たちは、これまで「私」が紡いできた文章の集積体なのかもしれない。「時計工場」の老人も「失踪者たちの王国」の伯母さんも深い深い描写の世界の中にいる。

小川洋子にとってジェットコースターのような展開は必要ない。彼女の作品にとって「展開」はあくまでも伴奏であり、重要なのは表現の美しさなのだ。

嘔吐袋、明らかに年上なのに「私」の弟と名乗る謎の男性、息子の睾丸にできた袋を飲み込む「私」、そのような誰が見ても不快、不気味などのネガティブな言葉しか思いつけないようなツールや展開も、文章職人小川洋子の手にかかれば、深く美しい世界のパーツになる。

読み返すたびになんて美しいんだろう、と思う短編集だ。

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