ぎっしり詰め込まれた内容の考察 - 壬生義士伝の感想

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壬生義士伝

4.504.50
映像
4.20
脚本
4.70
キャスト
4.70
音楽
4.20
演出
4.30
感想数
5
観た人
5

ぎっしり詰め込まれた内容の考察

5.05.0
映像
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脚本
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キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

上映時間137分

昨今の映画作品として、本編が長いものといえるのではないでしょうか。

本編部分だけで2時間を超えているのです。小説が原作で、映画化された作品です。原作の小説は、上・中・下という形の3部構成です。長編の物語に分類できる作品だと考えられます。そして、それを映像化するにあたり、2時間17分という長さが必要だったのだとも考えられます。そして、原作のエピソードをできるだけ映像化したい、という制作スタッフの意図を感じ取れる部分です。

制作スタッフの原作・コンテンツに対して、強い愛情や思い入れが感じられる事実なのではないでしょうか。時間を優先するのであれば、映像化する場面をカットして絞り込むこともできたと考えられます。

しかし、それをせず、これだけの本編時間で制作したことは凄いことなのではないでしょうか。また、映画化される前に、ドラマ化され、地上波で放送もされています。ドラマ作品においては、約8時間ほどの本編時間だったと記憶しています。それを2時間ほどの本編時間にまとめているので、断腸の思いで省いた場面もあったのだと考えられます。

ドラマ作品からカットされてしまった場面を書き出していきます。

「吉村貫一郎」の息子である「嘉一郎」を描いた場面は、明らかに少なくなっていました。また、妻である「しづ」が「吉村貫一郎」の元に押し掛ける場面もカットされていました。さらには、娘である「みつ」の幼少期を描いた場面も少なかったです。

ゆえに、「吉村貫一郎」に焦点が当てられた場面が多く、家族愛や夫婦愛を描いた場面が少なくなり、ドラマ作品と比較して弱くなってしまいました。

また、「吉村貫一郎」の親友だった「大野次郎右衛門」も、その最後が描かれませんでした。

すなわち、内容を詰め込んでも、詰め切れずに136分と長い時間構成の本編になっているのだと考えられるのです。また、それでも原作の魅力を描き切ることができず、観客を泣かせる場面がカットせざるを得なかったのだと考えられます。

回想シーンという構成

上記で述べた137分という本編時間の長さについて、考察していきます。

映画作品として、137分という本編時間は長いです。長すぎるといっても、過言ではないでしょう。

しかし、原作の魅力を伝えるのに必要な時間、という観点ではどうでしょうか。前述の通り、ドラマ化された作品は約8時間もの本編時間で映像化されています。それだけ描ききれなかった原作エピソードは多かったのだと、容易に想像ができます。また、それは映画本編の構成にも表れています。

映画本編における時間の大部分は、回想シーンによって描かれています。

時系列で原作を映像化してしまうと137分という時間でも足りない為、回想シーンを中心に映像化することにより、本編が構成されているのです。原作の抽出したい部分だけを、回想シーンとして描くことにより成り立たせているのです。

時系列で構成した場合、「半年後」「一年後」「数年後」と、時間が跳躍してしまうことが多くなり、映像として不自然なものになったことでしょう。

時間の跳躍を不自然に感じさせない為、回想シーンを中心に本編が制作されていると考えられます。そして、それは137分と一般的な映画作品としては長いですが、原作の魅力を伝えるには足りないことも表している、というようにも考えられます。

ドラマ作品による時間の軸は、「吉村貫一郎」が自害する直前からになります。

自害する直前に、自分自身の人生を振り返るようにして、「吉村貫一郎」の幼少期からの物語が始まっていきます。

しかし、当映画作品は、吉村 貫一郎も亡くなり、時代も江戸から明治に移り変わり、「大野千秋」と「斉藤一」が、昔話をするようにして、物語が始まっていきます。回想をする人物がすでに、物語冒頭から、ドラマと映画で異なっているのです。

上記のことから言えるのは、原作の魅力をできるだけ再現できるように、回想シーンを多用する脚本になっていると考えられるのです。

主演による印象の違い

ドラマ作品の主人公「吉村貫一郎」を演じたのは、渡辺謙さんです。

しかし、当作品で主人公「吉村貫一郎」を演じていたのは、中井貴一さんでした。

演じられる俳優が違うと、「吉村貫一郎」の印象も違うように感じられます。まずは、その違いについて、考察していきます。渡辺謙さんと比較して、中井貴一さんの身体の線は細いです。そのことで、中井貴一さんの「吉村貫一郎」は弱そうな印象です。

しかし、新撰組で最強だった「吉村貫一郎」は、謙虚な性格と、鬼神のような強さを持ち合わせた人物像です。

強さという点では、渡辺謙さんに軍配が上がりますが、普段の姿と戦う姿とのギャップという点では、中井貴一さんに軍配が上がるのだと考えられます。また、「吉村貫一郎」という人物像は、人間味があり、とても優しいです。リアルな人間味という点では、渡辺謙さんなのかもしれません。しかし、優しさという点においては、中井貴一さんの印象の方が合致するのだと考えられます。

そして、「吉村貫一郎」という人物像で、特に重要なのが守銭奴という部分です。

その点においては、中井貴一さん演ずる「吉村貫一郎」の方がリアリティーが高かったのだと考えられます。そう感じさせるのは、それぞれの顔の造りに起因するのではないでしょうか。渡辺謙さんより、細い顔である中井貴一さんの方が、貧乏という印象の再現度が高いと考えられるのです。そして、貧乏という印象から、守銭奴という印象の再現度も高くなるのだと考えられます。

ドラマ・映画の結末について

ドラマ作品と映画作品の結末は、違う内容で制作されていました。

ただ、物語の内容が違っているのではなく、違う人物に焦点を当てていることで、違う結末を描いているのです。この部分は、ドラマ作品を観ている方にとっても喜ばしい内容だったと考えられます。ドラマ作品においては、「吉村貫一郎」の娘がどうなったのか、明らかにされていませんでした。

しかし、映画においては、その部分を抽出して描いていることで、ドラマ作品と映画作品のどちらの結末においても整合性があり、納得のいくものだと考えられます。

そして、ドラマ作品においては、描かれていなかった娘に焦点が当てられていたことは、不明だった物語の分岐先が明かされたのだと感じられます。映画作品しか観ていない方においても納得のできる結末だったでしょうし、ドラマ作品を観た方においても違う人物の結末が描かれたことにより嬉しい気分になるのです。

ドラマ作品を観た方にとっては、得した気分になると言い換えることもできます。

以上のことから、脚本においても、ドラマ作品を観た方にも満足のいくものであり、作り込まれた結末であると考えられます。

映画作品の意義を考える

やはり、前項で挙げていることを考えれば、原作の小説やドラマ作品の魅力の一部しか、映画では再現できていないと考えるべきです。

すなわち、映画作品を観てもらうことで、原作の小説やドラマ作品を観てもらう、という位置付けの強い映画作品なのだと考えられるのです。これはこれで、充分に魅力あり、面白い作品だといえます。しかし、回想シーンが多過ぎて、時系列で纏まっていない為、観客が理解しづらいというデメリットもあるのだと考えられるのです。これでコンテンツの魅力を感じてもらい、他の小説やドラマ作品に触れてもらうことこそ、当映画作品の意義なのだと考えます。

逆に、当作品も充分に魅力的であるからこそ、小説やドラマ作品を読んでみよう、観てみようという気になるのだと考えられるのです。

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