綿矢りささんにしか描けない現代版のおとぎ話
「しょうがの味は熱い」という言葉のズレ
綿矢りさ著作の本を久しぶりに手に取った。
「整頓せずにつめ込んできた憂鬱が扉の留め金の弱っている戸棚からなだれ落ちてくるのは、きまって夕方だ。」
と始まる冒頭文を読んで、いきなりビビビっと背筋に電流が走る。
「しょうがの味は熱い」は恋人同士である奈世と絃の2人の視点でリアルな同棲生活を描いている。奈世はまるで初恋の熱が抜けきっていない乙女みたいで、盲目的に、少女漫画の主人公のように彼に愛されたくて仕方がない。その感情を、同棲といういつでも好きな時に会える恵まれた状況のなかで、持て余してしまっている。その感情は純粋で可愛らしくみえるけど、どこかがズレていて怖くなる。少しずつ曲がって縫われていく布が組み合わさって、出来上がり図がめちゃくちゃになってしまうような。他の著作もそうだけれど、綿矢りささんは女性がもつ、赤い剥き出しの傷を描くのがとても上手いと思う。
婚姻届が出てきてから雲行きが怪しく
「小林奈世。婚姻届の妻の欄にそう書いたとき、私はひさびさに自分の名前を取りもどした気がしてうれしかった。」
奈世が少しずつ壊れていく姿にぞくぞくする。勝手に婚姻届を持ってきて絃に結婚しようと言えば喜んでくれると思っている行為は、言葉にすれば滑稽なのだけれどなんとも言えないもやっとした感覚がよぎる。結婚すればなにもかもがうまくいくはず、という妄想にとりつかれて当事者である相手のことを無視するという行為は女性だからなのだろうか。
例えば奈世が仕事をしていたり、他の趣味に没頭しているのならば考えは違ったのかもしれないけれど、奈世はやっぱり少女漫画の主人公ように恋愛のことしか考えられなくて、絃を見ないで絃の幸せを願うのは、やっぱりホラーだな、と思う。
結婚という夢から覚めたら
3か月間2人は離れて暮らし、奈世が諦めかけていたときに絃がやり直そう、結婚しようと言う。このタイミング感が素晴らしい。男女の仲が続く理由ってこういう心変わりのタイミングの繰り返しのように思う。一人が引っ張ればもう一人はそれにつられ、ずるずるとどっちにも行けないまま時間が過ぎていくのが同棲生活というものかも知れないな、と感じた。おとぎ話のお姫様は「結婚をして幸せに暮らしました」で終わるけれど、奈世はこの先どうするのだろうと、その後がとても気になった。結婚を夢見たお姫様は、同棲生活で得られなかった幸せを得られるのだろうか、と。
「結婚はいまがチャンスと焦ってするものじゃない。ほんとに合っている二人ならもっと、自然に、スムーズに、結婚まで至るものなんだ。」
という奈世の父の言葉を思い返すときが奈世には必ずやってくるだろうと思った。
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