旅の終焉に知らされた途方もない役割
人気シリーズ第一章・完結編
小野不由美の代表作・十二国記シリーズ。その完結編となるのが、『月の影 影の海 下』である。
上巻から続いた陽子の旅が終わりを迎え、いよいよ何のために「こちらの世界」にやってきたのか真相が明かされる。「ケイキ」という男の正体、なぜ陽子がこちらに連れてこられたのか、なぜ陽子が妖魔に狙われ続けるのかーーその謎が明かされる解き明かされる話でもあり、「十二国記」という物語の「王と麒麟」というキーワードが詳細に語られる大事な話となっている。
「十二国記」シリーズを一通り読んだ読者なら承知であろうが、第一章『月の影 影の海』終了後、「初心者のための世界観の説明」は乏しくなる。のちのシリーズで「これ(この用語)どういう意味だっけ?」となるのは必定なので、十二国記にはまった人は何度もこの『月の影 影の海』を読みこむ羽目になるだろう(ちなみに筆者は読みすぎてボロボロになり、ホワイトハート文庫から新潮社文庫へ買い替えた。設定が重厚な人気作というのはかくも罪作りなものである)。
シリーズ通して重要なエピソードだけに、まず一回では理解が出来ない
突然話が飛んでしまうが、読者諸兄は本を読む際、どのように読み進めていくだろうか?
筆者の周りにも読書を趣味とする人間は多いが、「最初から熟読派」と「最初はとびとび、二度読みでじっくり」という二大派閥に分かれる。
手間を省く意味でも時間を節約する意味でも前者になりたいところではあるが、残念ながら筆者は後者の人間で、セリフとおおまかな流れをつかんで一回目は読了する。
十二国記シリーズも「最初はとびとび、二度読みでじっくり」で読み進めてしまったのだが、これはあまり良くない読み方だったと後に後悔している。
というのも、十二国記シリーズは「なんとなく読んで」いては絶対にその魅力も、物語の全体像もつかむことが出来ない作品だからである。
それは、先に述べた「世界観の説明」が関係していることにある。『月の影 影の海 下』では、後半部分(陽子が景王であることを知らされたあと)から、怒涛のように説明が続く。王と麒麟の関係。王と国の関係、王の役割などだ。どれも読み飛ばしが出来ない重要な話ではある。
しかし、あまりにも突然に説明量が増すので、「なんとなく読んで」いる読者はあまりの情報過多に大混乱に陥ってしまう。
筆者は長年小野不由美を愛好しているが、たまに読者の理解の範疇を超えることを平気でやってのけるのが玉に瑕だ、と思っている。『残穢』にしても『屍鬼』にしても、人名が多くなりすぎて凡百のものには初見で理解が不可能なのである(もとから頭の良い人間は、平凡な人間に歩み寄った教え方が出来ないというが、小野不由美もこのあたり、頭の良い作家ならではの特徴なのかな……と痛切に感じてしまう)。
小野不由美は小説家としてはすでに「完成された」作家ではあるが、もう少しティーンの読者にすり寄った書き方をしてくれれば、もっと良いんじゃないかなぁ、と素人考えながら思う次第だ。
わずかに見え隠れする小野不由美のメッセージ
もともと、小野不由美はライトノベル出身であるためか、キャラクターの思考・内面に沿って物語を描いていくことが多い。これは最近、「一人称的三人称視点」と呼ばれている書き方だ(余談ではあるが、ライトノベル業界はこのような書き方が非常に多くなっている)。
十二国記シリーズもその例にもれず、『月の影 影の海』では陽子の視点に立って物語が進んでいく。
上巻では出会う人々の多くに裏切られていく陽子だが、下巻では楽俊と出会い、激しい疑心暗鬼に陥りながらも克服していく姿が見どころとなっている。
その克服するシーンーー陽子が蒼猿と最後に対峙するシーンで、小野不由美は『月の影 影の海』における「この物語を通して伝えたかったこと」をぶち込んできた。
それは陽子が吐き捨てるこのセリフだ。「裏切られてたっていいんだ! 裏切られたって、裏切ったやつが卑怯になるだけだ」「 善意でなければ信じられないか! 相手が優しくしてくれなければ、優しくしてはいけないのか! そうではないだろ。 わたしが相手を信じることと、相手がわたしを裏切ることとは、なんの関係もなかったんだ(中略)わ たしは、だれも優しくしてくれなくても、どんなに裏切られたって、だれも信じない卑怯者にはならない!」
散々人に裏切られ、どんな善意もはねのけてきた陽子が、楽俊と出会ったことで「成長の萌芽」が生まれた。その末にたどり着いたこのセリフは、読む者を震え上がらせる問答無用の名セリフだ。
どんなに裏切られても、ひどいことをされても、こちらが人を信じられなくなることとは無関係。
陽子のたどり着いたこの結論は、ただ漫然と流されるままに人間関係を送っている我々読者の目を覚まさせてくれるだろう。
またこの蒼猿との一連のシーンは、ただの非力な少女だった陽子から、「王の器」を感じとれる重要なエピソードでもある。
これ以降のシリーズにも、小野不由美は物語を通して痛烈なメッセージを投げ込んでくる。そのどれもが、我々の心にえぐりこむような圧倒的な人生観なのである。
勉強不足で、十二国記の書評を読んだことはほとんどない筆者であるが、この強烈なメッセージ性こそが、十二国記シリーズの真の魅力となっていることは自信をもって語れる。
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