「1973年のピンボール」は後の傑作を生む実験に満ちている - 1973年のピンボールの感想

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1973年のピンボール

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文章力
4.25
ストーリー
4.00
キャラクター
4.38
設定
4.13
演出
4.25
感想数
4
読んだ人
15

「1973年のピンボール」は後の傑作を生む実験に満ちている

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.5
キャラクター
4.0
設定
3.0
演出
3.5

目次

独立か、繋ぎか・・・

村上春樹作品は周知の通り、謎や不思議な場面が描かれることが多く、「読後にいろいろ考察を重ねることで何度でも楽しめる」という特徴がある。

最近では村上春樹作品が刊行され、書店で平積みされた翌月、その解説本が平積みされるるのが当たり前となっているフシすらある。

ある意味書店業界にとっては一粒で2度おいしいことが約束されている、とさえ言える。

たしかに「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」などは解説本が欲しくなるのは当然と言えるほど不思議と謎のオンパレードだ。

しかし、「風の歌を聴け」だけは考察しない方が良いのではないか?考察するほど作品の良さを消してしまうのではないか?と言うのが私の結論である。

デビュー作である事、それ以降の作品と明らかに作りが違うことなどから、考察しても何も出てこない、ただそれぞれの出来事をさわやかな文章でつづっている作品だと思っている。

文中でも出てくる「ビール」に対する記述と同様に「全部小便になって」「何も残りゃしない」のど越しやキレを味わう作品だ。

では、本作「1973年のピンボール」はどうなのか?

同じキャラクターが登場しながら、明らかに前作とは違う文体、違う構成、違う表現が目立つ。

以降、本作品がどんな位置づけなのか、を考えるが、私にとって最も考えるべき主題は本作が、1つの独立した作品=この後の「羊をめぐる冒険」は関係ない、のか?

3部作としての繋ぎ、起承転結の承なのか?という点だ。

繋ぎ説に立って考えてみる

まず、本作に漂う秋の雰囲気、「風の歌を聴け」はどこを切っても夏のまぶしさに満ちているし、「羊をめぐる冒険」は明らかに冬のイメージだ。

そして本作は明確に秋をイメージしている。

前半でも「1973年9月、この小説はそこから始まる」と宣言している。

忙しかったジェイズ・バーが夏の終わりとともに客足が遠のく様や、「僕」と「双子」がセーターを用意するシーンなどで明瞭だ。

 文体も前作の爽やかさは影を潜め、情景描写や心理描写が多く、切なさ、悲しさ、そして「死」という言葉も初めて登場する。

キャラクターたちの扱いも前作から変化している。

「鼠」は自分の弱さと向かい合う中で「町から出る」選択をしている。

「僕」は事業の成功で社会的には発展しているが、「直子」を失った悲しみ、「スペースシップ」への妄執、など過ぎ去ったものに思いを馳せ、「喪失」感を漂わせ始める。

この辺りを読み解くと、第3部「羊をめぐる冒険」の構想がある程度あり、その中間を描いた、と考えることに無理はない。

独立説にも立ってみる。

前作の続きである事は明確なので、2項で書いたことは3作目があろうがなかろうが当てはまることではある。

デビュー作を発表直後に一定の評価を受けていることを考えれば」、2作目は続編である事は無難ではある。

しかし、同じようなものを書いても面白くない。

そのような作家性の吐露を考えれば、1作目に対するカウンターとして、対比的な表現、内容になることは十分に予想も説明もできる。

実際に「羊」が書かれるまでの期間を考えると、本作は続編ではあるが「単なる繋ぎ」ではない、と考える方が妥当だろう。

本作の独自性と今後の作品への継承

・不思議を象徴する女性の誕生

前作では登場する女の子たちに名前は無く、1970年当時に生きた女の子たちを記号化した存在だったと言えるだろう。

今作では早い段階で「直子」への記述がかかれる。

前作ではおそらく意識して書かれなかった固有名詞がある特定の女の子だ。

ところがその直後、対照的に個性を抹消した特異なキャラクター:双子の女の子が登場する。

村上作品初の「不思議」「メタファー」の登場と言えるだろう。

とはいえ、「名前が無い」「容姿が全く同じ」「どこからきてどこへ行くのか分からない」などの特徴を除けば「コーヒーを淹れるのが上手い、無邪気で可愛い女の子」でもある。

本作以降、あらゆる作品で登場する「不思議」「異世界」「死」を象徴するキャラクターが誕生したといってよいだろう。

この点でも村上作品の一つの分岐点と言える。

・2つの相対的世界の同時進行

前作では同じ空間を過ごしていた「僕」と「鼠」は今作では出会う事無く、それぞれに生きている。

別の空間や舞台を同時進行で描き、作品に深みを持たせる村上春樹得意の手法の原型と言えるだろう。

その作風の代表的なものは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「海辺のカフカ」などだ。

・無理に解説せず放置する作風

前作では「僕」の後日譚まで書いているが、本作から行動の結果を投げっぱなしにする傾向が見られる。

本作で投げているのは「鼠はどうなるのか」「双子はどこからきてどこへ行くのか?」「双子は何者か?」という点だ。

以降の作品では、キャラクターたちの行動は描いても、その帰結は描かない事が多い。

本作では、「僕」やその翻訳事務所は細かく描写しているが、双子については容姿もほとんど記述が無くかなり「ふわっとした」存在で、そのコントラストが全体の厚みを増している。

以上の考察から、以降の傑作「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」などはこの作品を起点に生まれたと断言する

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5.05.0
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