射抜くような洞察力。
本命くんとキープ君
ようは都合のいいように事を運ぼうとする女性の話だな、と思いました。しかし、そこまで頭の中がお花畑ではないところが妙にリアルで、キープ君からはアプローチを受けていて本命くんの心理ははっきりとわからないという状況でもがいています。嫉妬ももちろん当然の過程のごとくきちんと描かれ、きちっきちっと時間の流れに乗っています。むしろここで劇的な変化をもたらすことも小説の醍醐味ではあるのですが、この作品で綿矢先生は求めませんでした。それこそ「ひらいて」のような刺激に溢れた内容にしなかったのです。そこがまた巧みなんですよね。高校生の恋愛と社会人の恋愛の熱量といいますか、大人の冷静さが可愛げをなくしている描写なんか比較するとぞっとするほど見事です。悲しいかな、大人になると将来というものが現実に成り代わって目の前に迫ってきます。好きだけでは幸せになれない、生活できないことを肌で直に感じてしまうのです。まっすぐ本命くんだけを目指して恋愛を楽しむなんて、よほど乙女チックでなければ無理な話です。世間体というものをぺたりと貼ってしまうと、自由奔放には生きられない一例だと思います。主人公は本命くんがいいのです。しかし、条件や可能性ではキープ君が今のタイミングではベストな選択なんです。嫌ですね、大人って。
名前が出てこない
イチ、ニ、という呼称で表現されています。本命くんはイチ、キープ君はニ。優先順位でしょうか、最初はただ気持ちの順番を名付けたのだと思いましたが、実際には本命くん名前にイチ、が含まれているのだと比較的最初の方でわかります。小学生のとき、好きな人をイニシャルで呼ぶことが流行りました。しかしそれでは周囲にバレる確率も高く、また被ってしまい紛らわしいとのことで自分と近しい友人にのみわかるよう、名前には関係のないアルファベットを与えたり、手紙も誰のことを話しているのかわからないよう友人とだけの約束事を暗号のように交え、会話に色をつけていました。そんなことを思い出しました。まるで日記です。この作品は日記のようだと思いました。しかしながら、ただ名前を伏せて主人公の中での呼称を用いている、という単純なものではないような気もします。読み返してみると、イチ=本命くんは主人公の名前がわからず、君、と呼びます。そのことに関して主人公はその場では深く思わなかっただろう演出、はたまた後述するために詳しく記述せず場面展開をさせたのか、あとあとタイトルにもなっている一文を強く思います。イチに対して勝手にふるえてろ、と思うのです。いじめに近いイジリをされ、いつも周囲を警戒しつつ、その場の空気に身を寄せて本格的ないじめに発展しないよう努めたイチ。それを傍目で観察して勝手に羨んでいた主人公。名前がないからより個人性を薄くさせ、イチにとって主人公は唯一の存在だったと思います。しかし、それが発展することはないのです。発展しそうな要素なのに、主人公がショックを受けてしまうんですよね。名前を覚えられていない、という事実に。不思議です。
お望みの回答。
ニの要求する回答をしてみせ、本当の自分を必死に隠してきた主人公のほころびは、少し引っ張っただけでするすると解けていきます。発端は未だに処女だということがニの口から可愛いという言葉を付け足され、二が認識していることを知らされます。できる女、非処女を演出していた彼女にとってこの上ない辱めのように書かれています。ある一定の年齢を超えると処女という価値が急落するんですね。女の子は大変です。何かの書物に性体験が遅い方が身体にはいい、というようなことが書いてあったような気がします。よくわかりませんが、処女だからという点で日常生活に支障をきたすことはあまりないんじゃないかと思います。人それぞれでしょうが、そんなに思い詰めることもない気がします。むしろ、大人になってから目にしていない片想いの相手を大事にしてきたという、一途な女性も素敵だと思います。という私の見解は二の思う可愛いに近い意見なんだなと、ここまで書いて納得しました。彼女はそう思える立場にいたかった。けれど、イチに夢中になっていた時期はそんなことにこだわりはなかった。しかし、賞味期限が切れた今、結果として残ったものは処女という周囲とは違う未経験な自分だけ。これに付け足すかたちで主人公は父親にいい加減大人になりなさいと叱咤されます。とここまで書くと26歳で偽装妊娠を装って今後どう弁解しながら会社で働くのか、自分のことではないのに胃が痛くなります。そんな状況に追い込ませたのは誰だ、と犯人探しのように文章を辿ると、やはり主人公の見栄のせいだと結論づいてしまうんですよね。少しでも救ってあげたいけど、実は処女、とか、本当はアニメイトに行きたい、とか言わないと例えイチといい関係になったとしても幸せは感じても安らぎはないんだろうなと思ってしまいます。恋する乙女からの脱皮はニの腕の中へ飛び込んで叶ったかのように見えますが、果たして将来どうなるのか。
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