人間として真の自我に目覚め、他の存在を尊敬すると同時に、自分の存在を尊敬するという生き方を説く夏目漱石の「三四郎」
夏目漱石の中期の写実主義的な小説「三四郎」を久しぶりに再読し、「三四郎」だけでは何か消化不良の感が否めず、講演録の「私の個人主義」へと読み進めました。
このレビューでは、「三四郎」についての読後感を述べてみます。
この小説「三四郎」のテーマは、青年の自我意識の問題を取り上げて、漱石が言うところの"他本位"と"自己本位"への時代の繰り返しがあって、初めて世の中が進歩するという立場からの、一つの時代にとどまらず、長い時代を見通した上での文明批判を述べた小説だと思います。
この漱石の思想が最も色濃く描かれている場面の、『すると広田先生がまた話し出した。-----「近ごろの青年はわれわれの時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。われわれの書生をしているころには、する事なす事ひとつとして他を離れた事はなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。----君、露悪家ということばを聞いた事がありますか。」「いいえ」』
小説「三四郎」は、1908年9月から12月にかけて、朝日新聞に連載されたもので、主人公は三四郎であり、広田先生は三四郎に思想的な影響を与える人物として描かれていますが、当然の事ながら、広田先生というのは、漱石自身の分身で、広田先生を通して、漱石自身の思想を語らせている訳ですが、この小説の中に、『「お互い憐れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。----」と言って、またにやにや笑っている。
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いもよらなかった。』といった場面が出てきますが、この内容からすると、少なくとも作品の中の時代は、日露戦争に勝利をおさめた1906年直後の年代であるように思われます。
そして、この小説が1908年に書かれていますので、作品の時代は1907年(明治40年)前後だと考えられます。
つまり、漱石はこの小説を現代小説として書いていて、"近ごろの青年"というのは、明治40年頃の青年であるといえます。
一方、漱石自身の思想的な分身である広田先生は、"男はもう四十だろう"と書かれているので、広田先生がいう"われわれの書生をしているころ"の昔とは、恐らく、明治20年前後の頃ではないかと推定されます。
因みに、漱石研究家により、小説中の人物のモデルは、三四郎が小宮豊隆、与次郎が正岡子規、野々宮が寺田寅彦、美彌子が平塚らいちょうと推定されていますが、広田先生は漱石自身の思想的な分身として、この時期の漱石の思想的立場を語っているのです。
つまり、「三四郎」という小説は、夏目漱石が自分の体験して来た明治20年前後の青年と、現在(明治40年前後)の青年の考え方を対比して、そこに明治維新以後展開して来た、"日本近代の思想的な推移"を語っているものと思われます。
「近ごろの青年はわれわれの時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない」----という表現がありますが、これは、恐らく、明治の日本人が、これまで40年間の歴史を積み重ねる事によって、近代人としての人間的な自覚、つまり自意識を育てて来たという事を言い表していると思われます。
しかし、広田先生、つまり漱石は、それを強すぎていけないというように批判しています。
当時の日本は、江戸時代から近代へ脱皮する事によって、「君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった」封建的な人間意識というものから脱皮し、徐々に"自己本位"な"自我の意識"を個々人の内部に確立していきつつあったのだと思います。
しかし、漱石の青年時代には他本位な自己を軽んじた考え方が、まだ青年の心を根強く支配していて、それに引きずられていたというのが、当時の実情でしたが、いまや、そのような封建意識を粉砕出来たのは良かったのだが、その自我意識が極端に走って、いわば利己に偏り、それをむき出しにする"露悪家"ばかりを生み出していると表現されています。
ここから読み取れるのは、明治20年前後の漱石の青年時代は、明治維新から20年経過して、社会のしくみが新しくなっても、その中で生きている人間の内面は、漱石のような当時のインテリ中のインテリですら近代的な"自我の意識"は、持ち得ていなかったというのがわかります。
漱石が真に自我に目覚め、"他本位"から"自己本位"な生き方へと人生を転換出来たのは、彼の英国留学時代であっただろうと推察出来ます。
この漱石における留学時代の"自我の目覚め"の体験を、如実に物語っているのが、漱石が学習院の生徒に話した1914年の講演録「私の個人主義」なのです。
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