ロスト・イン・トランスレーションの評価
ロスト・イン・トランスレーションの感想
リアルと言葉の粉飾性
オリエンタリズムこの映画は、欧米からみた異文化に対しての憧れや好奇心が強く表れています。美術や文学の領域ではその東洋趣味をオリエンタリズムと呼び、西欧の上流階級のたしなみのようになっており、この映画でも、日本人が好奇な的として出てきます。後半のほうに酔い狂ってカラオケを歌うアメリカ人も出てきますが、作品の中で多く登場するのは「日本人の変なところあるある」です。日本の文化に誇りを持ち、盲目的にその価値を信奉している人にとっては、いささか感じの悪い映画であったでしょう。ソフィア・コッポラは、この作品でアカデミー脚本賞を受賞していますが、やはり「アカデミー賞」が欧米中心的な賞レースであると確信させる一幕でした。二人の関係性とはいえ、さすがと言えるのは、アジア対欧米で終わらないところです。むしろ、それは二人の環境を整える、あるいは二人を社会から孤立させるための演出に過ぎなかったのです。そして、...この感想を読む
それぞれの東京
ロスト・イン・トランスレーションは、外国人から見た東京のイメージのかたまりのような映画です。しかし、日本に精通しているソフィア・コッポラ監督らしく、富士山、芸者・・・のようなイメージよりは、もっと未来的で、清潔で、洗練されたイメージが映像から漂ってきます。新宿や渋谷の喧騒、西新宿などの高層ビル群、六本木の異国情緒、さまざまな側面をコッポラの目線、ツーリストの目線で映し出していて、新鮮な印象です。東京の雑踏も、どこか浮遊しているような不思議な感覚で切り取られています。東京の街に放り出されたスカーレット・ヨハンソン、ビル・マーレイの迷子感がとてもいいです。
ニッポンの魔界都市・トーキョー。
日本という国は、外国人の目からはこういうふうに映っているのかと、見ていて不思議な気分でした。普段よく知っている景色が、まったく知らないどこかの大都市のように撮られていておもしろい。京都に見られる古い伝統と、まったく対照的な東京の猥雑さとの「融合することのない差異」が、ある種の外国人にとっては、たまらない魅力なんだなと思いました。そしてその「差異」は、主人公2人がそれぞれ持っている孤独や、彼らをとりまく「どうにもうまくいかない」様々な出来事ともリンクしていて、なんとも切ない。それでも映画の最後で、スカーレット・ヨハンソンが笑顔を見せてくれたことで、全てが報われる気がしました。それにしても、ここに描かれている日本人って…。ちなみにサントラ盤も購入しましたが、こちらもなかなかよろしいです。