「somewhere」役割の脱皮から、自分探しへ
映画の冒頭、主人公のジョニ―が荒地をフェラーリで疾走し、ひたすら旋回する。響きわたる爆音とスピード、そして焦燥感。この映画は、ジョニ―の存在の不安定さが大半を占めている。その脱出に至るまでの過程、つまり不安感の果てに自分探しへと旅に出るまでが、この映画の物語なのである。彼の存在意義を探しに行くという始まりが 、映画のエンドロールなのだ。以下、女性と家族(娘)の関係とその役割のなかで、ジョニ―の存在基盤が揺るがされていく点に着目し、この映画について語りたい。俳優としてのジョニーと、女性たちの存在承認主人公のジョニ―はフェラーリを乗り回し、泊まる先々で出会う女性達と関係を持つ。ホテルの隣室、俳優の女性、デリバリーのダンサーとセックス三昧な生活を送るやや堕落した日々。一見すると、髪の毛はボサボサで、だらしなくお腹が出た、どこにでもいるただのオッサンだ。そんなオッサンが、自己顕示の象徴であるフェラ...この感想を読む
4.54.5
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