燃えよ剣の感想一覧
司馬 遼太郎による小説「燃えよ剣」についての感想が5件掲載中です。実際に小説を読んだレビュアーによる、独自の解釈や深い考察の加わった長文レビューを読んで、作品についての新たな発見や見解を見い出してみてはいかがでしょうか。なお、内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。
新選組副長である土方歳三に、組織のオルガナイザーの役割を与え、武士道の美意識という衣を着せることで、本物の"男の生き様"を描いた「燃えよ剣」
司馬遼太郎の「燃えよ剣」、上・下巻あわせてのレビューです。かつて新選組と言えば、鞍馬天狗の敵役。近藤勇は、芝居や講談で有名な「今宵の虎徹は血に飢えている」という名文句の豪傑然としたイメージの人物だ。沖田総司は、結核を病む薄幸の美剣士。そして、最も損な役回りだったのが、策謀をめぐらす冷酷非情な軍師・土方歳三であったと思う。その土方が、今日、一躍理想の男性像として受け止められるようになったのは、ひとえに司馬遼太郎の「燃えよ剣」のおかげではないかと思う。この作品で土方は、武州多摩の田舎剣客から身を起こし、風雲急を告げる京洛の巷に、甲州勝沼に、あるいは北の果て函館に、落日の徳川家に殉じ、果敢に散っていった男として、実に魅力的に描かれていると思う。そして、同時に彼が取らざるを得なかった"非情な行動"は、頑なまでに徳川家への、いや滅びゆくものへの節義を守るため、自らに"鉄の掟"を課した男のロマンとして...この感想を読む
土方歳三と武士
新選組副長土方歳三の一生と新選組を綴った物語です。戦国時代の武士VS武士の覇権争いとは違い、江戸幕府末期に起こった争いの構図は武士VS庶民や下級武士という面もあると思います。今までは決して逆らうことのできなかった上級武士達に対しての不満が爆発し、士農工商という絶対的だった身分制度を覆してやろうと立ち上がった人達も多かったのではないでしょうか。そんな中、新選組の中心的存在である土方歳三や近藤勇は農民という身分で武士階級に叛旗を翻していくのではなく、あくまでもあこがれである武士になろうと励んでいく姿が切なくもあり面白くも感じました。土方歳三は新選組において隊士の細かな心情やちょっとした心の移り変わりなどを鋭く読み取る鬼副長として描かれているにもかかわらず、倒れ行く江戸幕府や終焉を迎えるであろう武士の世といった大きな時代の変化には目を向けることなく、一心に武士になろうとする姿勢が無邪気にも感...この感想を読む
新選組といえばまずこれ!
新選組の鬼の副長、土方歳三を主人公に据え、物語は進む。武蔵の国のバラガキだった、トシが、新選組を立ち上げ、作り上げて行く。新選組といえば、官軍に逆らった謀反軍であるために、それまでは取り上げられる機会も少なかったのが、この燃えよ剣発表後は一変したといいます。また、おおらかな局長近藤、鬼の副長土方、薄幸の美少年剣士沖田など、個々の隊士の印象を燃えよ剣が印象付けたと言われるぐらい。新選組関連の創作は数あれど、やはり燃えよ剣を読まずには語れないでしょう。司馬氏の筆致は、まるで彼らがそこにいるかのような気分を味わえます。男の信念というべきか、本当にかっこいい彼らがそこにいます。組織論として読むのも面白いのではないでしょうか。とにもかくにも、おすすめできる一作です。
燃えよ剣
司馬遼太郎の「燃えよ剣」は、北海道出身の子母澤寛の「新撰組始末記」がベースとなって書かれているといいます。隊長の近藤勇同様、多摩時代から新選組結成を経て各地での戊辰戦争、隊長の近藤は途中で戦死するが、土方は蝦夷地での箱館戦争で戦死するまでの生涯を描がいています。新選組時代の土方は鬼の副長として恐れられていたが、次第に角が取れて丸くなり、箱館戦争においては仏の隊長として尊敬されているのです。北海道・函館の五稜郭は観光名所として大勢の観光客が訪れているが、戊辰戦争の最後の戦いの地としては、余り知られてはいないようです。江戸から明治に改元する1868年、京の“鳥羽伏見の戦い”に始った戊辰戦争は、明治期になっての1869年の箱館戦争でもって最終的に終了するのです。土方は、官軍が函館の総攻撃を開始する頃、敗色が濃くなっても新選組や前線兵士を救うため、わずか人数を従え騎馬で出陣している。元より死を覚悟して...この感想を読む
これを読まずして
新撰組における土方歳三が主人公となって物語は進みます。今では新撰組を題材にした作品といえば小説、ドラマ、映画、アニメ、漫画などジャンルを問わず多すぎるくらいにあふれています。しかし、そのイメージの多くはこの司馬遼太郎の「燃えよ剣」によるイメージが強いのです。上巻は新撰組を作るために京都に向かうところから物語は始まります。やっぱり随所に見られる男たちの熱い思いと、信念の真剣なぶつかり合いの表現は胸が熱くなるものがあります。新撰組が良かった時期なんて言うのはこの小説でもほんの僅かな時期でしかないのですが、基本的に単なる敗者の物語がこれだけ人を引き付けるというのは日本的だなぁとおもいます。司馬遼太郎の文章なので素晴らしく読みやすく、小学生にもおすすめしたい本です。