八日目の蝉は本当に悲しい存在なのか
”たった七日で死んでしまう蝉よりも、八日目の蝉のほうが悲しい。” 主人公の恵理菜はそう言います。 0~4歳までの「薫」として過ごした時間が終わり、実の両親のもとへ帰されたときから、彼女は「恵理菜」として生きなければならなくなった。 本当の母親のために「薫」という存在を殺してしまわなければならなかった。そうすることができたら、彼女自身もどんなにか幸せだろうと思います。 消したくても消せない、自分の中だけで生き続ける「薫」という存在、それが彼女にとっての八日目の蝉なのでしょう。 愛情を持って育てたとしても、彼女に植え付けた深い葛藤や家族関係に及ぼす影響を考えると、やはり希和子のしたことは許されざる行為だと思います。 ただ、悪意からではないだけにとても複雑な気持ちにさせられます。 それは、希和子だけではなく出てくる人間全員に言えることで、みんな何かを守りたいだけなのに、結果的にお互いを傷つけていることがとても切ない。 先にドラマ化されたこの作品、両方見ましたが、ドラマのほうは希和子目線で描かれています。 時間枠が長い分ディテールが細やかな点はドラマのほうがよかったですが、恵理菜目線で描かれたこちらのほうが、より共感度は高かったです。 薫としての自分に決着をつけようとする主人公の姿に感動しました。
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