太宰治が創作した文学作品の中で、最も完璧な芸術作品「お伽草紙」
私は太宰治が創作した文学作品の中で、最も完璧な芸術作品は「お伽草紙」ではないかと思っています。
この「お伽草紙」は、太平洋戦争の最も激しい時期に、防空壕の中で娘に聞かせた、これらのお伽噺は、彼の芸術的な資質が最も発揮された作品だと思います。
この作品の中で太宰治は、日本の子供ならたいてい知っている物語の筋立ての中で、原作の軽快な感じを少しも損なわず、しかも世の中を暗鬱にみせるという、彼独特の"皮肉なおかしみ"に満ちた世界観を繰り広げていくのです。
太宰治の作品を時系列的に読んできて思うのは、この太宰の持っている"皮肉なおかしみ"は、「道化の華」という作品以後、ずっと彼の作品の中に流れている、一つの重要な要素ではないかと思うのです。
考えてみれば、彼の自伝的な作品の中には、幼年時代から、どれほど道化の役を務めたかを示す場面が多いような気がします。
しかも、晩年の辛辣な諸作品の中にさえも、そのおかしみは消えることなく流れていると思います。
このように思うのは、「斜陽」とともに彼の代表作の一つである「人間失格」の最後の部分にある、病的な性質と胸の病気に悩まされている主人公の葉蔵は、よく眠れるようになる前に、睡眠薬を十錠も飲む。
しかし、一向に眠くならない。そこで薬の箱をよく見ると、それはカルモチンではなく、ヘノモチンという下剤だったことがわかるという描写などがあったからです。
この「お伽草紙」では、おかしみは全くおかしみそのものであって、それが"純粋な笑い"を引き起こしているのです。
この物語集の楽しさの一つは、太宰の他の小説の中によく出て来る、お馴染みの人物----聖人のような顔をしているが実は無慈悲な男、生活力のない芸術家、悪だくみに長けたおかみさんなど----が、効果的な掴み方で描かれていることです。
そして、その掴み方は、太宰の分身と思えるような主人公を持つ、幾つかの小説よりも、もっと巧妙に出来ていると思うのです。
太宰治という人間を終始悩ました社会の偽善は、彼の代表作である「人間失格」の中でよりも、より一層効果的に、この物語集の中の「浦島さん」の中に描き出されていると思います。
恐らく、太宰はこの物語を書く時に、自分自身の切羽詰まった必要性から解放されて、伝統的なお伽噺の枠の中で、自由に想像力の翼を広げ、尚且つ、優美に描いているのだと思います。
この「お伽草紙」という作品のおかしみは、"自己憐憫"や"自己憎悪"で損なわれていないために、より一層、鮮やかなのだと思います。
太宰治という作家の文体に対する、異常なほどの心遣いは、一つ一つの言葉の持つ意味に示した、ほとんど取り憑かれたような姿勢でわかりますが、この「お伽草紙」の文体も、最も太宰らしい文体であると同時に、他の作品では見られないような"純粋なおかしみ"を色濃く持っていると思います。
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