悪い意味での女らしさ
恋は人を狂わせる
本作のテーマはこれに尽きると思う。主人公の水無月は、離婚経験から恋愛はもうしないと決心しているが、タイトルからも察せられるように、その誓いが守られることはない。
離婚後に水無月が恋をしたのは、相手は水無月より二十ほど年上の、傍若無人で女癖の悪い金持ちで妻子持ちのタレント兼作家・創路である。
かくいう私(この文章を書いている筆者)はこの男の魅力にはいささか同感しかねるが、彼が物語において水無月を狂わせる存在となる。
だが、物語の早い段階でも、創路の魔性というより、水無月の性格に原因があることは明らかだった。
離婚経験という明白な事実だけでなく、読書や他人への探求など、彼女の集中力及び没頭力が強いことは文章の中で繰り返し示唆されている。
それでいて仕事には精を出せず、人付き合いが苦痛、というのも、排他的な彼女の性格をよく表していた。
基本は排他的であるからこそ、心の内側に入った人や物にはその分強く思い入れる。非常に依存状態へ陥りやすい性格であると言える。
水無月の創路への依存が本格的に開始したことが文中ではっきりと読み取れるのは、排他的でどこか冷めた水無月が彼との会話に「担当編集者」といういっぱしの単語を持ち出し、悩みごとを打ち明けるシーンだ。
目立つのを嫌う水無月がどうでもいい相手に自己顕示欲を発揮するとは思えないし、悩みを打ち明けるというのは、自分の心をさらけ出すということだ。他人との密な関わりを避ける彼女が、それを気軽にできるとは思えない。
恋は盲目とはよく言ったもので、物語序盤、創路が不倫の常習犯であろうが、水無月はそれを不誠実に思う気持ちよりも、自分を(愛人として)求めてくれ、条件の良い仕事をくれる創路を自分を幸せにしてくれる王子様のように慕っている。
やがてそれが苦しみを伴い出しても、冷めた態度を取りつつ、不満と不安を募らせ、ついには爆発させる。
その瞬間には体よく耐え忍び、後からそれを爆発させるのは、とても陰湿で女性らしい性質だと言える。
女という生き物
女性らしい性質と前述したが、本書はそういった(主に悪い意味での)女性心理というものが多く散りばめられている。
例えば女は男のステータスに惚れるというが、創路がモテるのもおそらくこのためだろう。
金持ちで有名人というのは言わずもがな。妻子がいる、愛人が多い、ということは彼がモテる男だということを裏付けることになり、これによって創路に『誰もがその価値を認める男』というステータスがつく。
印象的なのはその創路が「可哀想な女が好み」だということ。男はか弱い女を好み、女は強い男を好むという性質を如実に表している。終盤で創路が娘につきっきりになったのも、父性というより、愛人たちより圧倒的に社会的地位がなく、より自分に従せやすい存在だから本能的に意識が向いた、ということを描きたかったように思える。閑話休題。
そういうわけで、創路は人間としてはどうかというところがあっても、男としては非常に優れており、それが女の本能を惹きつけるのだろう。
それでも人間としての部分に欠陥があることは愛人たちも分かっていて、水無月以外の愛人たちは他に恋人を作っている。
けれど水無月だけはそれをせず、創路一人に自分のすべてを委ねていた。
その狡猾さも愚かさも、どちらも女性的な性質であると言える。
少女漫画が少年漫画と違って恋愛物で埋め尽くされていることからも分かるように、基本的に男よりも女の方が恋愛脳である。
水無月も他の愛人たちも、誰かに誠実な恋愛を求めている。それが創路に向いているのか他の誰かに向いているのか。それだけの違いなのである。
女はもとより恋愛に依存しやすい生き物だが、水無月の場合、それによって自ら破滅へと向かっている節がある。自立の道を閉ざしてでも不倫相手の創路にしがみついたり、孤独感に苦しみつつも常に他人を遠ざけるような言動を選んだり。
女はもともと悲劇のヒロイン願望がある、とどこかで聞いたことがあり、実際彼女は何度も創路や元夫に傷つき、それでも彼らとの関係を絶とうとしない。対照的に(創路の愛人や家族が多くではあるが)自分の両親や同性(つまり絶対に恋愛関係になりえない相手)のことは疎ましく思い、なるべく関わらないようにしていることからも、恋愛という悲劇に依存し、中毒状態になっていることが分かる。
本書における恋愛観と依存性
あなたは彼を美化しているだけ、と創路の元を去った元愛人の陽子と水無月が口論をする場面がある。
それこそが本質で、絶対的な魅力のみを持つ人間はいないのだというように、誰もが優しさ示しながらも非道徳的な行動を取ったり、逆に自分本位で口が悪くても同情的で親しみやすい一面を見せたりする。(唯一萩原が緩衝材のように思えたが、彼も過去には水無月と一悶着あり、彼女を受け止められないからこそ彼女に親切にして罪悪感から逃げている)
おそらく創路があれほどモテるに値しない人間に見えたのも、恋愛は非常に主観的なものだということを表現するため、作者が意図的にやっていることなのだろう。
物語ラスト、水無月と創路の関係は終わる直前のような冷めた温度でずっと続いているらしいことが描かれている。
それはもはや創路への未練というより、恋愛という行為への未練だったように思える。恋愛とは中毒性のあるものであり、彼女との関係を切らなかった創路もまた、恋愛という行為への中毒症状から愛人を多く作っていたのではと私は思った。
恋愛に依存しているのは水無月だけだが、中毒になっているのは創路も同じだということなのだろう。
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