正直期待はずれ、スタイリッシュ感のみのアンソロジー - 私らしく あの場所への感想

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私らしく あの場所へ

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正直期待はずれ、スタイリッシュ感のみのアンソロジー

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目次

6人の作家が書く、それぞれの“自分の場所”

この本は6人の作家がそれぞれの解釈で、“自分の場所”や“自分のいるべき場所”を短編にしたものが収められている。この本は、もともと谷村志穂作品が読みたくて、例によってアンソロジーと知らずに手に取った。いつもそうだ。そしてアンソロジーと分かると、がっかりした気持ちとわくわくした気持ちが半々くらいになる。谷村志穂をしっかり読みたかったのに、という気持ちと、誰かいい作家に出会えるかなという期待だ。しかもこの本には角田光代の作品もある。個人的にはアタリのアンソロジーかなという気を持ちながら読み進めた。
結果、短編ながらも心に残る内容だった話は、角田光代の「ふたり」だけだった。谷村志穂でさえ、今回の作品は私好みではない。
正直がっかりしてしまったのが本当のところだ。

角田光代「ふたり」

角田光代の表現力はさすがだと思う。ストーリーのためのストーリーでもないし、意味のないスタイリッシュさに溢れてもいない。地に足が着いた文章というか、実直というか、だからこそなんてことのない日常の描写にリアリティを溢れさせる。
この作品はささいな理由でケンカした夫婦の物語だ。誕生日を何歳まで祝うか祝わないかで口論した挙句、妻は家を飛び出す。出て行ってと怒鳴るかわりに、出て行ってやるという捨て台詞を残して。そこから彼女は車でただひたすら走るのだけど、その描写が実にいい。そもそも運転が久しぶりだったこともあって大して飛ばせないし走れない。それでもその道すがら、夫聡史と行った店や、二人ではまだ見ていない店を通り過ぎる。このままどこでも行けるという自由感をかみ締めながらも、何かを見るたびに心の中で聡史に話しかけていることに気づくのと同時に、聡史抜きの自由や身軽などさほど面白くもないことにも気づく。その場面の文章がいちいち腑に落ちるというか、体に吸収されていくというか、そんな不思議な感じがした。
妻が思う「結局私はそんな不自由を選んだんだ」と納得するところはとても好きだ。一人でどこでも行ける自由でもなく、誕生日を祝われなくても平気な自由でもなく、どこに行くにも相手に連絡し、誕生日を祝われないことでケンカをしてしまうような不自由を選んだんだと思うところが、とても心に残っている。
私も夫婦ゲンカをした時はこの言葉を思い出してみようと思った。

谷村志穂「風になびく青い風船」

この物語はあまり感情移入せず、きっとさらりと読む作品なんだろうと思う。とはいえあまりにも軽すぎた。
物語の主人公佐枝子は、会社をやめ、いきなりフランスへ旅立つ。パリで夢のような贅沢な暮らしがしたいと思い続けていたことを実現させたのだ。そして会社員時代に貯めた1000万を持ってフランスで生活を始める。でも思い描いていたような暮らしはなかなか実現せず、そんな時に子犬に出会う。ブランと名づけられた子犬のおかげで、家を借りることができ、仕事も見つかった。すべてが夢に向かって進み始めたころ、佐枝子は白血病を発症する、といった話なのだけど、すべてがどこかで読んだような、まるで最近のJ-POPの歌詞のような、そんな薄っぺらさが感じられた。
そもそも佐枝子がフランスにそれほど憧れて単身で渡った、その動機もよくはっきりしない。憧れていただけで、いちOLがそこまでやるだろうかという気もする。行動の動機が理解できないと、どうにも感情移入しにくくなってしまって、どうしてだろうということばかり気になり、ストーリーにのめりこめないのだ。
またブランに出会って物事がうまく進みだしたというのはわかるのだけど、ブランの外見があまり描写されないのでうまく想像できない。かろうじて子犬だろうということは分かるのだけど、毛並みはどうかとか、どこか特徴はあるのかとか、ひとつでいいから知りたかった。ブランと名づけるからには白い犬なのだろうけど、そこももっと情報が欲しかったところだ。クリーム色の車に鮮やかなブルーの風船を結びつけ、ブランを残し、車ごと差し上げますというメッセージを残すところはいかにも映像的だ。でもそれだけで心に何も残らない。
谷村志穂作品はそれほど読んだわけではないけど、「尋ね人」など多くの取材と下調べを必要としただろう深い話で、とても印象に残っている。それに比べてこの「風になびく青い風船」は、あまりにも軽すぎる仕上がりに感じた。

有吉玉青「BOADER」

この作品は比較的まだ読めた方だ。登場人物の二人ともボストンで暮らす日本人留学生。英語に関わりすぎるわずらわしさや、日本語で心置きなく話せる気軽さから親しくなり、二人は恋人同士となる。読み手としては、なにもボストンくんだりまでして日本人と話さなくてもいいのにとか、恋人が外国人なら一気に英語力もあがるのにもったいないとか、余計なおせっかいを焼きたくなるものだけど、この二人は二人でいることが自然なのだろう。
とはいえ、人間は楽な方楽な方に走りがちだ。英語を勉強しにきたはずなのに、二人でいる楽しさや心地よさから、彼女は学校に行くことさえさぼりがちになっていく。このどんどんだめな方向に進んでいく感じが、少し読み手をハラハラさせてくれた。
こういうことではいけないと、別れを決意して彼に会う彼女だけど、結局は彼のペースに巻き込まれてしまう。国境を越えたら別れるはずが、カナダについたらついたで、彼がいてもいいかもしれないと思う。ちょっとわかりにくかったけれど、読み様によっては、恋している女性のあやふやな気持ちが感じられなくもない。
ただ、彼女がどんどん悪い選択をしてしまうときのハラハラ感は、あるはあったけれどさほどではなかった。短編にそこまで求めるのは酷かもしれないが、福澤徹三の「東京難民」とか、奥田英朗の「最悪」などどんどん落ちてしまうところのハラハラ感はこの比ではない。
もっと言うと、この作品は国境を越えたら別れると、アクセルを踏み込んだところで終わっておけば良かったと思う。終わりかと思ったらまだあるし、しかもよくわからないはっきりしない終わり方だしで、あれだと、あそこで終わっていたほうがすっきりして良かったのではないかと思った。

まるっきり好みではなかった他の作家たち

アンソロジーで出会える好みの作家は確かに少ない。好みの作家を見つけるのは難しいので、いろいろな作家が書いた短編ばかり収められているアンソロジーでそれを見つけられたら言うことがないのだけど、それでも小さな出会いはあるにはある。しかし今回のこの「私らしくあの場所へ」ではそういう収穫はなかった。
収穫がないどころか、他の作家たちは読み進めるのもできないくらいだった。もちろん好みがあるので、作家の力どうこうではないだろう。にしても、あまりにもだめすぎて、逆に角田光代のすごさを思い知らされたくらいだった。
村上春樹の「ノルウェイの森」で永沢さんが「時の洗礼を受けていない本は読まない主義だ。人生は短い。」と言うセリフがあるけど、こういう好みでない作品を読んで時間を無駄にしたなと思うたび、このセリフを思い出す。

読む気がしない“往復書簡”、聞く気がしないCD

この本のもう1つの特徴は、それぞれの作家に対して、モデルやアーティストが手紙を書いている。それの返事を作家たちが書いている“往復書簡”というコーナーがある。それがまた内容がない。その作家たちのただのファンなのか、なんのためにこのモデルの文章を読まなくてはいけないのか、文章の魅力どころか必要性さえ感じられなかった。
これだったら作家自身が憧れている人へ手紙を出すとかにしたほうがいいと思う。少し前に奥田英朗が憧れ続けていた山田太一と会談していた文章を読んだ。手紙という形ではないから長文だったけれど、それでも興味深く読めた。
だからこのコーナーは最初こそ読んだけれど、内容はまったく頭に入ってこなかった。文章が目すべりして、読むことさえできないというのはなかなか久しぶりの経験だ。
だからこの“往復書簡”のコーナーはまったくいらないと思う。
ちなみにこの本にはイメージソングなるものが収録されたCDまでついている。どこまでスタイリッシュを求めるのか、読書というのはそういうものではないだろうと、軽い苛立ちさえ感じられた本だった。

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