久しぶりに人を羨ましく思ってしまった - 野球の国の感想

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野球の国

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久しぶりに人を羨ましく思ってしまった

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目次

奥田先生の珍しい一人旅

奥田英朗のエッセイは野球などスポーツがメインのテーマになっていることが多い。今回読んだこの作品「野球の国」もタイトルの通り色々なところで行われる野球の試合を一人旅で見に行っている。今回の本では沖縄から台湾、東北まで1年に実に6つの場所を巡っている。そしてそれぞれの場所で行われる野球の試合や旅先で感じたことを奥田英朗らしい目線で書いている作品だ。
奥田英朗のエッセイは好きだ。彼のエッセイは、エッセイなんてあまり好きではないと思っていた気持ちを覆してくれて本を読むことに幅を与えてくれた。そして今回のこの作品もやはりいいなあと思えるものだった。
今までは旅なんて編集者に尻を押されてセッティングされないと面倒くさくて行く気がしないなんて言っていた奥田サン、今回は自ら切符を購入しホテルも予約し、全て自腹で旅にでている。旅に出たかと思えば悪天候に会ったり、電車に乗ろうと思ったら次まで1時間まちだったり段取りはグダグダなのだけどそこが等身大で、それなりに売れている作家なのに妙に親近感を感じてしまった。
また、作家なのに“ポケットが膨らむから本は買わない”とかで立ち読みで済ましたりする辺りにただの“おっさん感”を感じたりして、笑えるところもたくさんあった。
きっと文章にかっこつけていないところがいいのだと思う。思ったことをそのまま書いている感じが自然で、イヤミがない。自慢していても靴がいくらでジャケットがいくらでと言っていても、はいはいと思ってしまう可愛さがある。
そういうのが奥田英朗の文章の不思議な魅力だと思う。

心が弱っていたのか、「沖縄編」

ストレス続きでなんとかするべきと急に中日のキャンプ目当てに行った沖縄では不幸にも天候には恵まれなかったけれど、長嶋に会ったり江夏とぶつかったり、なかなかの運の強さを見せていた。
屋台のタコライスを食べたりしているのも庶民だ。そして野球場に行ってどんどん元気になってきている様子もよくわかる。
気分が落ち込んでいるときには何を見ても落ち込むものだ。奥田英朗がテレビを見ては他人の悪意や嫉妬に憂鬱になり、内定率が下がっては落ち込み、景気が悪いと聞けば気分がふさがり、そんな彼が沖縄に来たのはきっと大正解だったのだと思う。
“沖縄は無職が許される社会”という言葉が妙に心に残った。仕事がなくともなんとかなるのが本当の豊かさなのだろうと、ちょっとしんみりしてしまったのは、奥田氏のネガティブ気分が移ったのだろうか?
心が緩んでしまったのか、たまたま注文を聞きに来たウェイトレスにプロポーズをしたくなった気持ち、なんとなくわかる気がする。人恋しくて偶然居合わせた人の善意が途方もなく優しく感じられて涙腺が緩みそうになった気持ちは誰でもあるのではないのだろうか。
次の「四国編」ではこのことを小娘編集者にからかわれ、本人も笑い飛ばしている辺りが一過性の落ち込みだったことがよくわかる。こういうあたりがとても親近感が沸いてしまうのだ。

アローンではあるがロンリーではない、「四国編」

前回の「沖縄編」で見せた気の弱さを拭い去るように、出発当初から不敵な態度を見せる奥田氏だったけれど、確実に前回の沖縄一人旅で味を占めたことがよくわかる。自分で思っていた以上に快適だったのだろう、出発からワクワクしている様子が伺える。それは読んでいてこちらもニヤニヤしてしまうくらいだった。
平日に道後温泉に入り鮨をつまみ、自転車を引いたおじさんに話しかけられ、明日は野球と、なんとも自由なスケジュールだ。しかしここでもやはり天候には恵まれなかったのが少し面白かった。奥田先生もしかして雨男?
ここでは泊まったホテルが中日ドラゴンズ様ご一行と同じで、朝エレベーターで居合わせた井上に対する当たりがきつくて面白かった。そもそもファンが会釈をしても無視ということは気に入らないが、成績よりも年齢が上ということで後輩に威張れる体育会系に対しても“観れて良かった”というような観光名所的扱いだったのも笑えたところだ。
そしてこの井上に対する当たりのキツさは随所随所に書かれていて、そのしつこさに笑いが止められなかった。
この「四国編」では讃岐うどんのおいしさにも触れている。私自身初めて高松に行ったときにそのおいしさが衝撃的だったので、奥田英朗が感じたその感激と感動がダイレクトに伝わってきた。奥田英朗自身はそれほどおいしさに対しての詳しい描写はあまりないけれど、逆にだからこそおいしさが素直に伝わる気がする。この讃岐うどんのおいしさも“くそお。何だか知らないが、くそお。”これだけで過剰な修飾詞など必要ないくらい伝わる。そう、人はなにかに感動させられたときに、“くそう”とか“なんやねんこれ”と否定的に頭に浮かぶ人は多いと思う。そしてそれを文章にされると、うわーと最高に単純に同調してしまうのだ。
この時のうどんのおいしさは本当にすごかったのだと思う。それがひしひしと伝わる、なんだかこちらも涙が出そうになる場面だった。

その短編はどれか気になってしまった、「東北編」

自分がどうやっても失敗作と思える作品をどうしても仕上げなくてはならない作家のつらさもさることながら、作家自身が失敗だと言っている作品が普通に発行されることに驚いた。そうなるとその“失敗作”がなにか気になる。この「野球の国」に収められている作品は2002~3年に発行されたことを思うと、時期的には短編集の「マドンナ」か「東京物語」かどれかかなあと想像してみたりした。実際はいつ書かれたものか分からない以上、いつ発行されたかということはあまり意味はないのかもしれないけれど、ちょっと気になってしまった。
しかし映画でもそういうものがあるということにも驚いた。小説を書くことよりも比べものにならないくらいのお金がかかっている映画では失敗したとは誰も言えない。だけど傑作だと言わざるを得ない作り手側のつらさはもしかしたら小説家よりも上かもしれない。しかしそのような愚にも付かないことを徒然と書く始まり方はとても好きだ。
そうこうしながらいやなものを振り払うように秋田に向かう。着いた日以外ホテルもとっていないのは面倒くさがりの奥田英朗らしいのか、らしくないのか。しかし翌日ホテルから出て駅に向かったのはいいものの、次の電車まで1時間もあるような段取りの悪さは彼らしいが。
ここでは野球の描写はさることながら、竜飛岬でウミネコにポップコーンをあげる場面が好きなところだ。奥田英朗の別のエッセイでもどこかで鳥にえさをあげていた。また、こういうことが似合う気もする。
自分の作家としての才能のなさを嘆きながらも、ホタテの雑炊ですっかり機嫌が直るところがなんとも親近感の沸いてしまう「東北編」だった。

ここではないどこかで

それにしても奥田英朗の野球のプレイの解説の仕方は相変わらず良い。野球に全く興味のない私でも、なんだか球場に足を運びたくなってしまう。それは多分その辺にいる野球ファンとは目線がちょっと違うからだと思う。チームが勝った負けたで機嫌が悪くなったりするのではなく、野球そのものが好きなのだと言う気持ちが伝わってくる。そして野球場も好きなのだろう。その愛情とこだわりがそこかしこに見えて、とても楽しい。それは“野球というものは本来牧歌的なもの”という言葉につきると思う。その辺のファンとは少し違う、いわば映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような愛情が感じられるのだ。だから読んでいて抵抗がない。そういうところはとても好きなところだ。
そしてどこかに旅に出るたびに、ここで住みたい!と願う奥田先生に本当に感情移入してしまう。
今回の作品も心弱さからプロポーズしたいと思ってみたり、うどんがおいしすぎて泣いてみたり、そのような小市民ぶり炸裂の作品である。そしてこういう話を読むたびにどんどん奥田先生に親近感が沸いてしまうのだ。
そしてこのような自由な旅ができる人がいることを本当に羨ましく思った。
ていうか、「最悪」も「邪魔」もプロットなしでいきなり書いてあんな長編書き上げたというのもすごすぎる。
…また奥田英朗の作品を読み直してみよう。読み終わったあとにそう思ってしまった作品だった。

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