アンネ・フランクへの思いがこもった巡礼の記録 - アンネ・フランクの記憶の感想

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アンネ・フランクの記憶

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アンネ・フランクへの思いがこもった巡礼の記録

4.04.0
文章力
4.5
ストーリー
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4.0
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3.5
演出
3.5

目次

巡礼の旅の始まり

多感な十代の頃にアンネの日記を読み、自身の書きたい欲求に気づき作家の道を目指した著者が、書くことの原点となったアンネの生涯をたどる旅に出る。

小川洋子はアンネの日記から多大な影響を受けている。例えば1994年出版の『密やかな結晶』は、主人公の女性が知人を秘密警察から救うために隠し部屋に匿うという、まさにアンネの日記の世界をそのまま小説の舞台にした、アンネへのオマージュに満ちた作品となっている。

今回、小川洋子の『アンネ・フランクの記憶』を読むにあたり、まずアンネの日記を読む必要があると思い、アンネの日記・完全版を読んでから引き続き『アンネ・フランクの記憶』を読んだ。

アンネの日記は、よくこんな膨大な記録が残せたものだと感心する量で、日常の些細なことが書かれた箇所も多かったが、隠れ家にいる間のアンネの成長を感じとることができ、またそのユーモアのセンスも光る、決して読み手を飽きさせないものだった。

 

小川洋子も今回のアンネをめぐる旅に出る直前、アンネの日記・完全版が出版されたことを知り手に入れて読んでいる。完全版では、アンネの父親オットーの要望により削除されていた性に関する部分や、アンネが母親を批判するくだりなどがそのまま載せられている。

小川洋子は、自分が長年親しんできたのは旧版のアンネの日記であるが、完全版によってアンネのイメージが覆ることはなかったとしている。

 

アンネの親友ジャクリーン

小川洋子はまずアムステルダムで、アンネの親友であったジャクリーヌ・ファン・マールセンさんの家を訪れる。ジャクリーヌさんとアンネの親交はわずか十か月足らずの短いものであったが、隠れ家生活に入る前のアンネの様子を知ることのできる貴重なインタビューとなった。

 

「それは、もう、本に書きました」ジャクリーヌさんへのインタビューで、二度発せられた言葉だ。

はじめは、「本に書いてるんだから当然読んで知ってるはずでしょ。」というやや突き放した言い方のように感じたが、繰り返されるそのセリフに、彼女にとって当時を語ることは過去の痛み、大事な人を多く失ったあの時代を思い出させる、つらい作業なのだと思い至った。

 

ジャクリーヌさんは、アンネ一家が突然消えたことを、悲しいことではなく、むしろアンネたち一家が生き延びる道を見つけられた喜ばしいことだったと語る。彼女はキリスト教徒の母親の計らいで、ユダヤ人の迫害が凄惨を極める前にユダヤ人の目印とされた黄色い星をはずすことのできた、まれな経歴を持っている。だが彼女は、クラスメイトや周囲のユダヤ人が姿を消し、あるいは強制収容所に送られていくその悲惨な状況の中、自分だけその難を逃れることができたことに申し訳なさも感じていたであろう。

 

勇気と信念の人、ミープ・ヒース

 

このアンネを巡る旅で最大の山場となるのが、間違いなく隠れ家の住人の支援者であり、隠れ家の住人が連行された後に危険をおして隠れ家に入り、日記を救い出したミープ・ヒースさんへのインタビューである。

だが、この旅はかなり行き当たりばったりな要素もあったようで、現地に到着してからもミープさんと会えるかどうか交渉が続き、かなりハラハラさせられる。ミープさんは『思い出のアンネ・フランク』という本を出版しており、出版元との契約を気にして、他の出版社とのインタビューは受けられないと言うのだ。結局、スイスのアンネ・フランク財団に連絡を取り、そこからミープさんがインタビューを受けるのに何の問題もないとの回答が得られたことで、ようやく小川洋子とミープさんの面会が実現する。

 

ミープ・ヒースさんは面会にこぎつけるまでのやりとりを見ているだけでも、自分の意思をはっきり持った人だということがわかる。隠れ家の住人を守り続けるために、その意思の強さは絶対に必要なものであったと推測できる。彼女はさらに自宅に、抵抗運動で警察に追われている大学生もかくまっていた。ナチス政権下にあった日々、どこにいても気の休まることがなかっただろう。

 

小川洋子は、自分がもしミープさんと同じ立場だったら同じことができたかどうか…と繰り返し自問したことをミープさんに告げる。ミープさんの答えは明白だ。時代の問題であり、それを仮定することはできないと。私もアンネの日記を読んだときに著者と同じ問いかけを自分にしたが、自分もミープさんと同じことをした、とは残念ながら断言できない。迫害されていたユダヤ人を匿うことは、自分自身だけではなく、家族も巻き込んでのリスクを背負うことになる。だが、ミープさんはアンネの父親、オットーから潜行の計画を打ち明けられ、援助を頼まれたときに、即座にイエスと答えたそうだ。いくらアンネの父親との間に固い信頼関係があったとしても、なかなかできることではない。

ユダヤ人を平然とガス室に送り込んでいた人たちがいる一方、ミープさんたちのように自分たちは正しいことをしていると絶対的な確信を持って、自らの危険も顧みず、ユダヤ人を助けた人々がいたことは、繰り返される歴史の中で、まだ人類は正しい道を選ぶことができるのかもしれないという希望につながっている。

 

負の遺産アウシュビッツ、そこから生まれ出るもの

アウシュビッツに足を踏み入れた小川洋子は、きれいだ…というその場に不釣り合いな感想を持ち、世紀の虐殺を象徴するような場所をそのように形容すべきではないと、自分に言い聞かせようとする。

私もアウシュビッツの写真を見たことはあるが、その場所で何が行われていたのかを知らなけば、一見きれいに整備された工場のように見える。

小川洋子は今は博物館となっている収容所の中で、確かにアンネ一家の名前が書かれた名簿を目にする。小川洋子が目にした殺された人々が残したメガネや靴、歯ブラシ、ヘアブラシの山…。それらは著者の脳裏に刻みつけられ、負の歴史を、おびただしい人々の死を決して無駄にしてはならないという決意とともに、作家らしく新たな物語を生み出すきっかけともなったようだ。

 

小川洋子のこのアウシュビッツでの体験は、生きてきた証を永遠に残すことを目的として作られた不思議な博物館をめぐる物語『沈黙博物館』(2000年出版)に形を変えて表現されている。主人公が所持しており、作品の中でも何度か取り出される二冊の本の一冊が『アンネの日記』であるのが象徴的だ。本作を読んでから『沈黙博物館』を読み直すと、初めて読んだときとは違い、根底に流れる重いテーマを感じる。人は二度死ぬと言われるが、沈黙博物館は亡くなった人が二度目の死-すなわち、誰からも忘れ去られることを防ぐために作られたものだ。ナチス・ドイツによって殺害された数百万の人々の死を決して忘れないという著者の想い、鎮魂の祈りをそこから感じる。

 

そして旅は終わりを迎える

アンネを巡る旅の最後に挿入されている二人のユダヤ人へのインタビューは、少し後付けな感じもなくはないが、著者がおびただしい亡くなった人の死を単なる数字の羅列ではなく、一人ひとりが個性を持った生身の人間であったことを実感するために、必要なものだったのかもしれない。

あの時代を生き延びた人々は、まさに地獄を見てきたと言える。そして、その地獄は人類が自ら作り上げたものなのだ。その事実から目をそらすことは、アンネの悲劇を再び繰り返すことにつながるだろう。

 

このアンネを巡る旅の記録は、特に小川洋子がアンネを実際に知っていた人たちに会い話をしたことは、私たちが生きているこの世界がアンネが生きていた時代と地続きであることを教えてくれる。

小川洋子はジャクリーンさんとのインタビューの最後に「あの時代の存在を消し去らないために、私たちは事実を知る努力をしなくてはいけない」と語っている。小川洋子はこの作品を書き上げることで、アンネのいた時代の確かな存在を、決して忘れてはいけない人類の負の遺産を改めて私たちに突きつけたのだ。この巡礼の旅を著者の目や耳を通して共に体験できたことを、幸運に思う。

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