実験的本作を経て、小川洋子はベストセラー作家になった?! - やさしい訴えの感想

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やさしい訴え

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実験的本作を経て、小川洋子はベストセラー作家になった?!

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目次

小川洋子らしからぬ、俗っぽい作品?

最初にはっきりと言っておくが、私はこの『やさしい訴え』をあまり高く評価していない。

正直に言うと小川洋子作品の中で最も俗っぽい駄作だと思う。

誤解のないように言っておくが、私は小川洋子作品をこよなく愛している

わたし自身も小説を書いているが、彼女の影響を色濃く受けた小川洋子チルドレンと名乗るほどだ。

その私をして、俗っぽいと言わせるこの作品、語ることに多少の痛みはあるが、勇気を出して分析してみた。

正直、彼女の作品を評価して、これほど苦言を呈したことは無い。

しかし、本作を語ることだけで終わらない論点を確認することができた。

前半は批判口調になるが、小川洋子ファンも最後までこの分析を読んで欲しい。

彼女がベストセラー作家になるための挑戦が、この作品にはあるのだ。

以下でそれを語ろう。

ありがちな恋愛テレビドラマのような展開…どうした、小川洋子?!

本作はかなり恋愛要素を前面に出している。小川洋子作品の中でもまれに見るレベル、と言って良いだろう。

もちろん、彼女のあらゆる作品において、男と女が登場する。

男女が存在する以上、恋愛の気配は存在するし、そこに至る過程や、性的関係を思わせるシーンも珍しくはない。

しかし…

この作品のように露骨な三角関係や、恋のさや当てを描いた作品は、他に無い。

それもかなりストレートに描かれており、彼女が得意とする、密やかな愛は見えない。

詩的に言えば、他作品で彼女が用いる愛の表現は、静かな水面に小さな波紋が広がるような、しかししっかりと存在する奥ゆかしいものだと思う。

ところが本作の恋愛表現は、安っぽい恋愛テレビドラマを見ているような錯覚さえ覚えるほど安直である。

何と言っても小川洋子作品にしては、登場人物がかなり普通である。

主人公瑠璃子は、夫の浮気に悩む中年女性。

職業はカリグラファーという聞きなれないものだが、小川洋子がしばしば描く、世界の隅っこで密かに自分の仕事を追求し続ける人、という位置づけではない。

なんだかわからないけれど、なんとなくオシャレな職業、という程度で選んだのかもしれない。

そのあたりも80~90年代のトレンディードラマにありがちな、欧米由来のカタカナ職業をとりあえず出しておこう、的な安直さの表れに見えてならない。

瑠璃子は、遠慮はしながらもスキルアップや、ステップアップを望む雰囲気も持っており、価値観がごく普通だ。

例えば近年の彼女の作品であれば、『猫を抱いて象と泳ぐ』リトルアリョーヒンはチェスという世界にいて、世界上位クラスの実力を持っている。

しかし彼は、収入や地位、名誉など考えもしないし、勝利すら求めていない。美しいチェスの世界にいて、それを構成することにのみ喜びを憶えているのだ。

小川洋子の代表作である『博士の愛した数式』博士や、『琥珀のまたたき』アンバー氏も同様のタイプである。

本作の主要な登場人物であるチェンバロ製作者・新田氏とその助手・の二人は、それに近い価値観を持っているように思える。

しかし、当然ながら主人公である瑠璃子の心情が優先して描かれるので、その二人の特殊性はむしろ近寄りがたい奇異なもの、という雰囲気を帯びてしまう。

私はこの作品を呼んでいる最中に、その雰囲気を感じ取り、何やってんだ小川洋子! あなたが進む道はそっちじゃないだろう! と叫んでしまうほど違和感を憶えた。

小川テイスト(猟奇性・趣向の特異性・不可思議さ)が薄くて味気ない

2000年以前の小川洋子は、身体の欠損や欠陥をしばしばモチーフとして描いている。

『完璧な病室』『薬指の標本』『寡黙な死骸 みだらな弔い』などがそれにあたる。

それらの作品の中では、その特異性を悲しんだり悔やんだりすることなく、むしろそれが自分自身と受け入れて生きていく人が、話の核となっている。

本作でも、新田氏が突然ピアノを弾けなくなったことが話の中核に位置し、終盤に指を欠損してしまう展開もあるのだが、それらは小川洋子風味の特異点としては扱われず、ごく世間的な価値観の中の、残念なこと、痛ましいこと、としてのみ描かれている。

薫の婚約者が刺殺されたところには猟奇性を感じるが、全体の中ではかなり比重が低く、ふわりと漂うフレーバー、程度で終わっている。

例えよう。

普通にお好み焼きを頼んだのに、出てきたものにはソースもマヨネーズも青のりも乗っていない、生地だけのものだった、と言えば納得してもらえるだろうか。

生地にあたる部分=小川洋子の持ち味である文章の繊細さ、よどみない展開は健在なのだが、本来あるべき味付けが施されていないので、違うメニューを食べているとしか思えないのだ。

更に、前述の普段扱わない具材である三角関係や嫉妬が乗っかっているのだから、それはもう小川洋子食堂に入ったつもりの客としては?の嵐である。

お好み焼きの生地にチョコバナナを載せてクレープ風に仕上げた、というくらいの違和感だ。

更に、なぜだか村上春樹テイストが無理に乗っけられて、もう意味不明…

小川洋子は村上春樹作品を好んでいる事、影響を受けたことを公言している。

最も好きな短編小説のひとつとして、彼が書いた『午後の最後の芝生』を挙げてもいる。

そのため、と言って良いのかどうかわからないが、本作には村上春樹が使いそうなモチーフが随所にちりばめられている。

そもそもタイトルが曲名であることから、村上春樹っぽい気配を感じる。

『ノルウェイの森』は完全にビートルズの曲名だし、『国境の南、太陽の西』ナットキングコールの曲名に関連している。

タイトルではなくても村上作品の中では実在のミュージシャンや曲名が随所に登場するのは誰しもが知る所だ。

ピアニストとして期待されていた新田氏が、原因はわからないが人前で演奏できなくなったというのも、『ノルウェイの森』レイコさんを思わせる。

また、新田氏と瑠璃子が訪れる森の景色も『羊をめぐる冒険』を思い出させる。

小川洋子があまり扱わない離婚という題材も、村上春樹作品では定番アイテムだし、三角関係という本作の核の部分も『ノルウェイの森』のオマージュと言えなくもない。

このように自分が使うアイテムやテイストを薄めて、リスペクトする作家のオマージュを加える、ということから考えるに、彼女はこの時期作家としての今後に迷いを感じていたのだろうか?

事項でそれを検証しよう。

1996年の小川洋子

本作の初出は1996年9月、発行は文藝春秋社から行われている。

同じ年に『刺繍する少女』(角川書店)、『ホテル・アイリス』(学習研究社)が出ていることから考えて、この時の彼女は売れっ子だったと言って良いだろう。

1988年に『揚羽蝶が壊れる時』海燕新人文学賞を取ってデビュー、91年に『妊娠カレンダー』芥川賞を取っており、この時期の彼女は既に中堅作家として地歩を固めつつあった、と言って良いだろう。

同年に発行された三作の中で、最も評価されたのは『ホテルアイリス』だ。

老人と少女の退廃的な性愛を題材としており、彼女の作品の中でもトップクラスに前衛的な作品に仕上がっている。

これについては本サイト内レビューで記しているのでそちらを参照願いたい。

https://reviewne.jp/reviews/28580

一方『刺繍する少女』は彼女が以前から得意としてきたフィールド(猟奇性、身体の欠損や欠陥、世界の片隅にいる人々の密やかな生活)を描いた短編集で、小川洋子ファンにとっては安心して読めるものに仕上がっている。

さてそこで本作の話に戻ろう。

私は、この作品が『ホテルアイリス』とは真逆の方向への挑戦だったのではないか、と分析する。

『ホテルアイリス』を前衛的と評したが、本作は間違いなく『保守的』だ。

それも彼女自身のスタンスを守った保守ではなく、世の中の価値観に沿った保守である。

デビューから7,8年を経て、それなりの地歩も固めつつある中で今後を見据えた時、一つの可能性としてこのようなものを書いたのではないだろうか。

その実験とも言える取り組みは以下の要素で行われている。

1・一般読者に受け入れられやすい価値観を持った人物を描く

2・一般読者に受け入れられやすいストーリー展開を行う

3・彼女がリスペクトする作家が持つ要素を積極的に取り込む

このように考えれば、今作の成り立ちに納得は行く。

そして、全く同じような書き方の作品はその後描かれることは無かったが、その後の作品にこの実験の成果が垣間見えている気もしてくる。

この実験によって、彼女はベストセラー作家になった

1と2の実験が最も生かされたのは、本作から数7年後に執筆し、彼女をベストセラー作家に押し上げた『博士の愛した数式』だろう。

この作品では博士が非常に特異な人物であるが、主人公であるは普通の価値観を持った女性だ。では本作と何が違うのか、というとその特異性を受け入れるかどうかにある。

本作の瑠璃子は、新田氏と薫の特異性を受け入れられないままに、愛情や性欲だけを手に入れようとしたため、その世界からはじき出された。

一方、『博士の愛した数式』博士とその特異性を受け入れることによって、話が非常に分かりやすく落ち着き、ハートウォーミングな作品に纏まった。

この構図は彼女の人気作品である『ミーナの行進』『貴婦人Aの蘇生』『琥珀のまたたき』に生かされている。

小川洋子は本作の失敗で、以下のことを学んだのだ。

それは、世間の人を代表する価値観を持った人物が存在する方が、作品として親しみやすい。しかし、その出し方を注意しなければ自分の作品ではない、という教訓だ。

当然の結論ではある。

が、作品というのは書いてみなければわからない、という側面もある。

では、あまり一般的価値観を有する人物が登場しない作品は、評価されないのか、というとそうではない。

『ブラフマンの埋葬』『原稿零枚日記』『猫を抱いて象と泳ぐ』『最果てアーケード』『ことり』は彼女の従来のテイストを守ったまま、他人の理解を求めず、自分たちが持っている価値に準じて生きる人々を描くことに、さらに磨きをかけていった名作だ。

当然これらの作品は大ヒットには至らない。

しかし、私たち小川洋子フリークはその良さを噛みしめ、感動に打ち震える。

小川洋子ここにあり、という作品はむしろこちら側である、と思う。

とは言え、あまり世の中に認められないのも癪なので、まあ時々多数の人に受け入れやすい作品を書くのもいいだろう、と寛大な気持ちにもなれる。

とにかく、彼女はこの彼女らしからぬ作品を書かずして、小川洋子道を突き進むことはできなかった。

私は本作を単体ではあまり評価しないが、ターニングポイントとなった一作として、記憶に刻んだ。

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