奥田英朗らしいコメディタッチのドロボウたち
目次
タイトルから想像した内容とはまるで違った展開
「真夜中のマーチ」という可愛らしさを感じるタイトルからして、恩田陸の「夜のピクニック」のような内容の話かなとなんとなく思っていた。そうしたら内容は、それとはほぼ真逆の展開で冒頭から一気に引き込まれてしまった。
主人公である健司は、派手好き社交好きの性格が高じて高校の頃からビジネスに手を出し、それが簡単に成功してしまったため、世の中をなめたような態度のいかにもな若者である。ビジネスといってもパーティーを主催して上前をはねたり、女子高生の下着を売ったりと決して人に言えるようなビジネスではないけれど、需要を見抜く手腕は大したもので、そういったもので年齢からすれば不相応なくらいの収入を手にしている青年だ。そしてその健司が主催する美人局目当てのパーティーにひっかかったのが、三田だ。実は全く関係ないのに三田財閥出身のように匂わせて、勘違いした周囲の人間がもたらしてくれる特別待遇に味を占めているこの男は、登場当初はいかにも頼りにならないバカまるだしといった優男だったのに、後半どんどん頼りになってくるところは、主人公の健司よりももしかしたら三田が主人公なのかもしれないと思わせた。
基本的にこの2人が、自分の度量の器以上のものを狙いだしたところから、ドタバタ感溢れるドロボウ劇が繰り広げられていく。そしてこのコメディ感が実に絶妙でやりすぎることなく、最後まで素に戻らずにストーリーに没頭することができた。
クロチェの登場
男2人でいわくつきの部屋を調べていたら、なんとヤクザたちが帳場を開いていることを知る。そしてその部屋から大胆にも稼ぎを掠め取ろうとするところは、ヤクザ(フルテツ)に頭の上がらなかった健司の普段の言動からすると考えられないことだったけれど、彼も自分の愛車をフルテツに取り上げられている以上、いつもの冷静な(というより負け戦の匂いを嗅ぎ取る)判断が鈍ったのかもしれない。しかし、そこの金庫を開けようとするのに鍵屋を呼ぶところは、ここで第三者を入れないほうがいいだろうと素人でもわかりそうなものなのにそれをまるっきりわかってない様子に、この計画は失敗だろうと感じていた。だけどここから三田が絡んできて、2人で一緒に行動をしていくつもりが、今度はクロチェなる女に邪魔される。健司と三田が何をしても邪魔されて何一つ成功していないその描写もコミカルで、しかも映像的で、男2人がいかにも鈍臭いその様子とクロチェの敏捷な動き(シェパードのストロベリーのシャープな体型も手伝って)が対照的で、鈍臭さと敏捷さがそれぞれ際立って感じた。これはミステリアスな美女の登場の仕方としては申し分ないものだった。この映像的な描写の手腕と展開の早さは、奥田英朗ならではだと思う。
ヤクザたちの描写の詳しさ
健司や三田を追いかけるフルテツはもちろん、クロチェの父親のダークなところとか、そういった闇の世界に生きる彼らの描写は奥田英朗はうまいと思う。クロチェの父親はヤクザではないものの胡散臭さ満載のところが目に見えるようだし、フルテツの恫喝は鬼気迫るものがあり、生半可なチンピラである健司の舎弟などが音声だけで振るえあがるのも無理もないと思えるものだった。
奥田英朗の「純平、考え直せ」でもヤクザの描写は多かったけれど、その時もヤクザらしい真に迫る恐ろしさと、それと同時に人の情に厚い仁義のようなものを感じさせる描写で、ハラハラしながらも一気に読むことができた。この「真夜中のマーチ」はそういった裏社会に生きる人々がメインに書かれているわけではないけれど、所々ストーリーのスパイスとしてピリッと効いているように思えた。
何度も裏切られるストーリー展開の面白さ
10億ものお金を強奪しようとしては雑誌の詰まったジュラルミンケースをつかまされたり、逃げ切ったと思えばクロチェの弟が捕まったり、思いがけないところでフルテツに恩を売ることができたりと、ストーリー展開に気を抜くところが一切ないのもこの物語の魅力だ。映画なら大どんでん返しの大どんでん返しといった連続で、きっと息もつけないものになるのだろう。
このいい意味での裏切りの連続は、映画で言うと「ゲーム」とか「スコア」といった作品を思い出させる。これで終わりだろうと思ってもまた展開がひっくりかえるあの頭の中がぐるりとなるような感覚は映画を観るときだけではなかったなと、思い出させてくれた作品でもあった。
またストーリーのためのストーリーという印象もなく、3人全てがそれぞれの個性のまま違和感なく話し行動しているところにリアリティがあったところも、物語にのめりこむことの出来た大きな理由でもあると思う。
少し残念だったところ
主人公の健司は前述したように荒れたビジネスのせいで高校さえまともに出ていない青年だけれど、なぜか音楽、特にジャズやクラシックの精通しているところがある。三田が聞いているビードルズに嫌悪感を示し、ジャズのミュージシャンに造詣が深い様子は何かしらの背景がありそうなのだけれど、そこに一切ストーリーが触れないのが残念な気がした。
村上春樹の「海辺のカフカ」で、星野青年が偶然入った喫茶店でクラシックに造詣の深い店主と交流することによって、学歴などない彼が新しい世界に触れ、感覚として音楽を理解する場面がある。それは彼の狭かった世界が確実に広がった瞬間を一緒に体験したようで、とても好きな場面だ。
健司にも同じような瞬間が過去にきっとあったと思う。そこの描写は少しでもあったほうが健司にもっと感情移入できたかもしれないと思った。
荒々しい健司の持つ意外な好みと言う設定はとても好みだっただけに、ここは少し残念に思ったところでもある。
少し消化不良にも思えたラスト
10億もの金を強奪し完全犯罪かと思えた彼らの犯行は、意外な結末を迎える。結局お金は元々の持ち主に返し、チャイナマフィアの残していった1億のみが彼らの取り分となったわけだけど、クロチェがあれほど嫌っていた父親に対しての態度が思っているほど嫌えてはなかったのだと感じるものだった。クロチェ自身も自分が振舞っているほど強い女性ではないところを感じさせ、口と態度が違うところにリアリティを感じたものの、もっとすっきりした終わり方があってもいいのではないかと感じてしまった(あくまで金銭的な面でという意味でだけど)。
とはいえキリバスに移住できた三田のハガキは彼が初めて自分をさらけだすことができたのだろう自由感にあふれており(にしても泊まっているホテルが一泊2600円は高いと思うのだけど)好きなところだ。
と同時に、キリバスという国に興味を覚えた。
奥田英朗の他の作品と比べてみて
精神科医・伊良部シリーズが有名な奥田英朗だけれど、長編もその目を離せないストーリー展開で一気に読んでしまったものも多い。伊良部シリーズが代表するコミカルなものばかりでなくシリアスなテーマもあり、その間口は広いと思う。今回の「真夜中のマーチ」は決してシリアスではないけれど、虚勢を張っている若者の弱さや役に立たないとされている人間の意外な才能など、人は決して見かけによらないというようなことを示唆しているようにも思える。
「邪魔」や「最悪」といった長編作品よりも「サウスバウンド」や「ララピポ」といったコミカルながらも少し温かみを感じるような、そのような仕上がりになっている作品だと思う。
また奥田英朗の意外な発見としては、エッセイがけっこう面白いということだ。エッセイというものを敬遠していた私だったけれど、彼のエッセイを読んで、こういう気軽な文章も悪くないなと思わせてくれた。
今回の「真夜中のマーチ」を読んでいると、奥田英朗の「この展開は思わなかっただろう」と少し得意げになっているような笑いを所々で感じることができる。それは以前彼のエッセイを読んだからこそ感じられることかもしれない。
この作品は奥田英朗の懐の深さと遊び心が垣間見える、かわいらしい作品だと思った。
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