小川洋子的要素が結集! 集大成とも言える作品
小川洋子が得意とするテーマが満載
30年近いキャリアを持つ小川洋子、彼女がその中で繰り返し書いてきたものがある。
それは、何かを極める人、欠陥を持って密やかに生きる人、人間の生と死、この三点のどれにも当てはまらない作品は、少なくとも長編では存在しない。
それほどに彼女がこだわってきた三つテーマが、なんと本作には全て揃っている。
つまり本作は彼女の集大成とも言える作品なのだ。
という乱暴なフリをすると、ベテラン作家がネタ切れして過去の要素を全部盛っただけ、と思われるかもしれない。
しかし、本作は違う!
それらの要素を過不足なくまとめ、小さな限られた世界をどこまでも深く丁寧に書ききっている。
書評サイトなどで彼女の最高傑作という評価もある。
私の個人的な順位だが、小川洋子作品に優劣をつけるとすれば、ことりか、貴婦人Aの蘇生、そして本作、猫を抱いて象と泳ぐ、この三つをを推す。
この考察では、まずは小川洋子特有の三つのテーマを確認し、最終的にはそれをどうまとめたかを紐解く。
何かを極める人
まず、何かを極めるということについて、小川洋子自身が、文章表現の極みを求める職人であることを書いておかなければならない。
彼女は文筆家として、情景描写や心理描写の追及を続けている。ただ克明に書くと言うのではなく、彼女は美しい文章を書くことにこだわり続けているのだ。
ある時はカタツムリの大群がうねる姿をどう表すかに全力を尽くし、また別の時は、彼女がイメージする鳥のブローチを表現することにこだわりぬく。
文章へのこだわりはデビュー当時から持っていた彼女だが、以前は言葉と修飾語を数多く使ってその道を極めようとしていた。
それは、確かに美しいけれど、読みにくい、言い回しがくどい、という傾向が強かった。
しかし歳を経るにつれ、彼女の文章はどんどん簡潔になり、美しさはより洗練されている。
それはつまり、彼女自身がその終わりなき道を登り続けているということのだ。
そんな彼女であればこそ、本作のリトル・アリョーヒンの美しい棋譜を極めようとする姿を描ききれたのだと思う。
彼女は彼のために、容赦なくチェスを極めるためだけの人生を用意する。
小川洋子はまず彼から普通の容姿を奪った。
そして両親を奪い、通常の学友ができやすい社交性を奪った。
そのようにして彼は他人の目を気にしない、自分に埋没しやすい人間として生み出された。
まさにチェスに出会い、一生チェスをプレイし続けるための環境だけを、作者は彼に与えたのだ。
そして彼女は、彼を一般的名誉や称賛を目指すプレーヤーにはしない。
極めるというのは、その世界に埋没して一体化する事であって、勝負に勝って賞金を手にしたり、誰かと優劣を競ったりすることではないのだ。
彼らが求めるもの、それはその世界でしか描けない、美しい棋譜なのだから。
小川洋子のこのジャンルで最も有名なのが、博士の愛した数式に登場する博士だろう。
博士もリトル・アリョーヒンも、金や名誉のためにその道を歩いているのではない。
彼らはそこにいること自体を喜びとしており、代償など何一つ求めない。
そのただ一つの道を求める潔さにこそ、我々は感銘を受け、涙するのだ。
密やかに生きる人
閉ざされた世界で密やかに生きる人を描くのも、小川洋子の得意技だ。
その例としては琥珀の瞬きや人質の朗読会などがあげられるだろう。
望むと望まざるとに関わらず、その人たちは非常に狭い空間に投げ込まれる。
しかしそこで、小川洋子は閉じ込められた悲しみやストレスを書いたりはしない。
彼女が描くのは、そのような中にあっても人は懸命な生を選ぶことができる、という訴えだ。
本作のリトル・アリョーヒンは、物理的にはチェス盤の下に自ら入り込むが、精神性としては体が大きくなることに恐怖を覚え、ある意味子供であり続けるという精神の閉空間に生きている。
これは小川洋子がまだ少女であった頃に読んだと言う、アンネの日記の影響が大きいのかもしれない。
アンネ・フランクは周知の通り、ナチスに迫害されたユダヤ人として非常に不自由な生活を送る。彼女は自由の無い日常を生き抜くために、日記の中にいきいきとした日々を綴りながら暮らしているのだ。
リトル・アリョーヒンもまた、自分の容姿や貧しさを嘆くことなく、美しい棋譜を描くことに没頭する。
それこそが小川洋子が描く閉ざされた世界で生きる人々なのだ。
主要な人物の死、あるいは別れ
彼女の作品に常に死が内包されているのは、今更語るまでもないことだろう。
長編作品で主要な人物の死が描かれていない作品の方が少ない。
それらを敢えて以下の三つに分類して整理してみよう。
a・物語の始まりとしての死…その物語世界を形成する要素
例として寡黙な死骸 みだらな弔いを挙げよう。
この作品は連作短編だが、一作目の主人公の息子の死が物語のキーとなっている。
また、最果てアーケードは主人公が、死んだ父と交わした約束が物語の根幹にある。
この場合、主人公の人生の方向がその死によって決定づけられたと言える。
b・主人公に近しい人の死…このパターンの場合、この死に至る人物が異世界を内包しており、主人公はその人に出会うことでそこに巻き込まれていく。
そして、その人に起因する世界が消滅するまでの過程を物語として描いていく。
ホテル・アイリス、貴婦人Aの蘇生、ブラフマンの埋葬は、主人公が特異な人(ブラフマンの埋葬では動物)に遭遇することから物語が始まり、その死をもって終わる。
この場合主人公の生活はその特殊な人に激しく影響されるが、その人の死でその世界が消滅し、喪失感を持って話が終わることが多い。
c・主人公の死…これはまさに結末を示しており、この場合主人公は永遠性を獲得していることが多い。
最近の作品では最果てアーケード、ことり、そして本作がこれにあたる。
彼、あるいは彼女の死は、世の中にはさほど大きな影響を与えない。その人々は非常に密やかに生きてきたからだ。
最果てアーケードの主人公の女性は、死によってアーケードと一体になった。
ことりのおじさんもまた、俗世から解放されて兄が待つポーポー語の世界に旅立った。
要約すればこの二人は死を持って自己の居場所を確立したと言って良いだろう。
では本作、リトル・アリョーヒンの死はどうだろう。彼は何かを成し遂げて死んだのか、また死によって周囲の人に何かを残したのか。
彼は物語の後半で、国際マスターS氏と対戦している。
この対戦の棋譜はビショップの奇跡と称され、作中で伝説化しているので、名勝負であったことは間違いない。
普通の作家なら、この対戦そのものをクライマックスとしそうだが、小川洋子はこのシーンを淡々と書き進めている。
彼はむしろ対戦相手であるS氏よりもミイラとマスターの二人と向き合っている。
当然作者は、勝った、負けたなどを語る気は全くない。
とは言え、国際マスターに勝利したことと、奇跡とまで言われる美しい棋譜を残したという二点において、リトル・アリョーヒンはひとつの頂点に立ったと言って良いだろう。
頂点に立って尚、密やかに生きる、それこそが小川洋子が書く極める人である。
そして彼はその人生を象徴するように、チェス盤の下に隠れたまま死ぬ。この密やかな生と死のありようは、小川洋子が何度も書いてきた死の中でも特に心を打つ。
小川洋子作品ヒロインの頂点
小川洋子は男女を問わず主人公を設定するが、それが女性である場合、自分自身を投影した地味でぼんやりした存在に描くことが多い。
女性主人公の美しさを引き立てて描かれているのは、私が記憶する限りホテル・アイリスのマリくらいではないかと思う。
しかし、男性主人公であれば、地味に描かれがちなその男性の憧れの対象としての美しい女性が登場しうる。
この法則に乗った存在として琥珀の瞬きのオパールも十分に美しいが、残念ながら兄弟の枠を超えない事、オパールがよろず屋ジョーに惹かれていく事の二点で、主人公から見た相対的ヒロイン性は薄れる。
ミイラは地味な女性ではあるが、リトル・アリョーヒンの視点で彼女の美しさは十分に書き出されている。
広い額に尖った顎、黒々とした瞳とカールした睫毛、潤んだ唇、真珠色の肌、耳の脇で二つに結ばれた真っ直ぐな髪……
この文章では、彼女は美しいのかもしれないがはっきりしない、と思う読者が多いだろう。
しかし、物語の展開を含めて判断すると、彼女は小川洋子作品中の屈指のヒロインであったと言える。
彼女は常にリトル・アリョーヒンを支え、いたわり、理解しようと努めている。
そして深海での人間チェスでの悲劇と突然の別れを超えて、手紙でチェスを交わすという手法を持って主人公の生き方に完全に寄り添った。
主人公の特殊性を描いた作品は過去無数にあっても、恋愛の対象である人物がここまでその特殊性に寄り添った例は他の小川洋子作品には無い。
最後に、降参を示す手紙を携えて彼に会いに来るもそれは叶わず終わる、という流れも美しい。
彼の死後も彼女は多くを語らず、ただ棋譜を見れば彼という人間がわかる、という姿勢を貫く。その中に自分は無く、ただひたすらに彼の理解者であり続ける。
彼女こそ小川洋子作品のヒロインの頂点であると私は評価する。
文筆家としての覚悟が込められたエンディング
私は本作から小川洋子の覚悟を感じた。
本作をより売れる作品にするためには、エンディングでミイラとリトル・アリョーヒンが出会って幸せに暮らす、という展開もあったはずだ。
そのわかりやすいカタルシスがあれば、本作は数倍の売り上げを記録したのではないだろうか?
しかし、小川洋子はそのような安易な結末に走らない。
リトル・アリョーヒンはビショップの奇跡と呼ばれる伝説の美しい棋譜を残すためにこの世に生を受けたのだ。
その達成に加えて、ミイラと密やかながらも美しい棋譜を二人で紡ぐことにも成功している。
ありふれたエンタメ作品では劇的な愛のシーンを求めるだろうが、この二人の愛はここで完結したのだ。
芥川賞をはじめとする数々の賞を取り、100万部を超えるベストセラーも生み出した小川洋子。
彼女自身もまた、リトル・アリョーヒンと同様に名誉のために小説を書いている訳ではないのだ、と私は思っている。
2000年前後にはハートウォーミングでわかりやすい作品を多発する彼女だが、2006年以降はその作風を捨て、再び密やかな世界を描写することに立ち返ったように見える。
本作はその中でも最もシンプルな構成で、最も深い世界観を持っている。
彼女は本作を契機に更に深い文学の海に潜っていく覚悟をしたのだ。
小川洋子の最高の作品と言われながら、特に賞を取っていない本作にこそ、私は彼女の覚悟を想い、ひたすら感銘を受ける。
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