壮大な古代ロマンとファンタジーの融合 - 三つ目がとおるの感想

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三つ目がとおる

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壮大な古代ロマンとファンタジーの融合

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画力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
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目次

悪と善の入れ替わりの描写が軽快で心地よい

主人公の写楽保介は不思議な三つ目の持ち主で、普段はその三つ目部分をバンソウコウで覆っている。バンソウコウを貼っている普段の彼は幼稚園児と遊ぶような無邪気な心の持ち主で、とても中学2年生とは思えない。しかし一旦そのバンソウコウがはがされて三つ目が出ると、驚異的な知能と不思議な超能力の持ち主に変化するという、いわゆる“封じ込め型”のストーリーとなっている。読み始めた時はこの写楽保介の不思議な生い立ちとその生き方がずっと物語として展開していくのだと思っていたのだけど、実際はほとんどの物語が一話完結で、短い話がずっと収められている形となっている。個人的にはこの形はどこかで飽きが来るのではないかと思ったのだけど、短いながらも印象的な話が多く、確かに飽きてきたなと感じたところもあったけれど、また別の話で盛り返す(時折入ってくる三話分くらいの長編ストーリーなど)といった繰り返しで、最後まで読みきることができた。
主人公の写楽保介とヒロインの和登千代子と言う名前の組み合わせからして、シャロック・ホームズをオマージュしているかに思えたけれど、ストーリーのほとんどは遺跡や古代文明の謎がらみのオカルトが多く、個人的にもこちらのほうが好みなので面白く思えたと言うのもある。

実在の遺跡との絡み

奈良県にある酒船石遺跡や京都の龍安寺石庭の石の配置、イースター島のモアイ像など実在の遺跡と写楽の出生の謎を絡めていくストーリー展開は短編ながらも面白く、古代のロマンの不思議さに思いを馳せてしまう。個人的にはストーンサークル、いわゆる環状列石に興味を持ち調べたこともあったので、それにまつわるエピソードも面白く読んだ。また、それぞれの遺跡の特徴を三つ目族由来の文化としてしまう解釈、いわば想像力の豊かさがこの奇想天外なストーリーに彩りを添えているように思う。そしてそこには、もしかしてそうかもと思わせるリアリティもあり、読んでいてとても楽しい。もしこれを小学校や中学校に読んでいたらまるっきり信用してしまい、考古学関係者にでもなっていたかもしれない。
確かこの年代には「ムー大陸」についての話が多くあったように記憶している。沖縄沖の海に沈んでいる遺跡だの、太平洋沖にある謎の階段など、色々なものがテレビや雑誌で取り上げられていた。そういったものを背景に、写楽と和登さんのコンビが生き生きと動きまわるストーリーが面白くないはずがない。
ただ、この作品と出会う年齢はいささか遅すぎたかもしれない。もっと早くに読みたかったなあと思わないでもない。

天使と悪魔、「BASTARD!」との対比

バンソウコウをとった写楽は“悪魔のプリンス”として悪の組織に協力したり、自分のみが操れる三つ目族の遺物で世界征服を目論んだりと、悪の部分ともなると目が離せなくなってしまう写楽と、バンソウコウを貼っているときの天使のような写楽とはまるで内面は違う。けれども外見はまったく同じなので(若干目つきが悪くなるくらい)、ここは少し物足りないところでもある。あのピノコを彷彿とさせるような可愛らしい容姿では、悪の魅力というのがいまいち発揮できないように思うのだ。和登さんはそこは関係なく惹かれているようだけど、読み手としてはもう少し外見に変化があっても面白いのではないかと思った。
バンソウコウをはがすことができるのは和登さんだけという設定とか(実際はいろんな人がはがしているけれども)、純粋な心が封じられ悪が目を覚ますところとか、なんだかんだいって和登さんに頭があがらないところとかを考えると、マンガ「BASTARD!」を思い出す。普段は純粋な子供のうちに封じられている邪悪な魔法使いダーク・シュナイダーを呼び覚ますことができるのは、ティア・ノート・ヨーコだけであり、ダーク・シュナイダーはなんだかんだいって彼女に頭は上がらないし、愛してもいる。そしてなによりヨーコの一人称は“ボク”であり、和登さんもそうだ。また主人公であるダーク・シュナイダーを蘇らせる呪文も何度も詠唱され、写楽も自身の武器を使う時や力を強める時に呪文を詠唱する場面が多くでてくる。ダーク・シュナイダーが封印されているルーシェ・レンレンは14才とも思えないあどけなさだし、バンソウコウで封印された写楽も同様だ。この二つの作品にはぱっと見るだけでもこのように多くの共通点がある。もしかしたら「BASTARD!」の荻原一至もこの「三つ目がとおる」を読んだのかもしれない。
“封じ込め型”の作品は他にももちろん多くあるけれど、個人的にはこれが一番よく似ていると頭に浮かんだ作品だった。

時折出てくる女性軽視のセリフや場面

この時代だからしょうがないのだけれど、作中時折登場人物たちが女性を見下したような発言をする。言い合うもの同士そこに愛情があればいいのだけど、ただ「女ってやつは」とか「女のくせに」という言葉を連呼されるのはあまり気分のいいものではない。逆に言えば、この頃はこういう発言が当たり前で、この時に生きている女性はこういう言葉を日常的に受けていたのだろうなと当時の文化を思ったりもした。
またこの「三つ目がとおる」は「少年マガジン」に連載されていた。少年マンガだからなのか、意味もないようなサービスショットが多い。女性が裸になるのが嫌というわけでなく(そこまでフェミニストなわけではない)、ストーリー状あまり意味もなく裸だったり、意味もなく服が脱げたりといった描写がただ男性読者数を増やすためだけの短絡的なものにしか見えないのだ。またヒロインの和登さんが写楽をかばったり周りの男性をどなったりすると、「ウーマンリブが来た」などと揶揄されたり、どうもこのあたりの手塚治虫の女性の扱い方にどこか違和感を感じる。当時何かあったのか、編集者からなにか言われたのか、気になるところだ。
というのも彼の作品でそういうことをあまり感じたことがないからだ。もちろん全部読んだことはないけれど、「ブラック・ジャック」にしても「ブッダ」にしても読み応えこそあれ、そのような引っ掛かりを感じることは全くなかった。だからこそこれを書いたときの手塚治虫の心情が少し気になったところだ。

写楽のバンソウコウと和登さんの関係

三つ目の目が出ていると悪のプリンスになってしまい、邪悪な力で世界征服をたくらんだり、古代の武器を自在に操り殺人さえ犯している。そのような危険な目をバンソウコウひとつで貼り付けているというのはどういうことかと初めのほうは気になって仕方がなかった。巻が進むにつれて、特殊なニカワで貼り付けているということになっていたけれど、初めのころはヨチヨチ歩きの赤ちゃんにひっぺがされていた。そうだとしたら危なっかしくて仕方がないだろうと犬持医師の危機管理能力を疑いたいところだ。また特殊なニカワであればなにも和登さんだけがはがせるわけでないし、どうもこの設定には穴があるような気がする。
もっと絶対に和登さんしかできない方法であった方が面白かったのではないかなと(ヨーコさんがルーシェを開放する方法のように。でもあの方法もシーラ王女がやっても開放できていたが)ちょっと思ったりした。
思い余った犬持医師が三つ目を手術で取り除くと言い出したときには、選択肢としてはいきなりすぎて少しやりすぎ感があったけれど、苦渋の選択であったことは頷ける。逆にそこに和登さんが医者のふりして病院に潜入し、犬持医師を論破して手術をとりやめさせたのはそっちのほうがやりすぎではないかとも思った。
ともあれ、この「三つ目がとおる」には記憶に残るようなストーリーも多いながらも、時間がなかったのかなあと感じさせるような軽く浅いストーリーも多く目立ったことは否めない。こういうのを含めてすべてが味があるともいえるのだけれど、それはもしかしたら手塚治虫という巨匠だからこそそう言わしめるのかもしれない。

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