キャラクター小説? ラノベ? どこに行くんだ島本理生!
今回の島本理生はキャラクターサスペンス!
本作はFeel Loveという雑誌に2010年連載開始し、雑誌上では2014年夏に終了している。
完結までに4年を要し、更に三年を経て2017年に刊行されている。
単行本化にあたって加筆修正されているらしいが、連載を読んでいないのでどの程度変わっているのかわからないままレビューを書くことを申し訳なく思う。
なんにしても本作はキャラクター性を前面に出したサスペンス仕立ての作品である。
作者は文芸春秋社のインタビューで、本作について恋愛に似ているけれど恋愛ではなかったというものを書いてみたかった、と言っている。
http://bunshun.jp/articles/-/253?page=3
また、最近になって純文学誌は卒業して、今後はエンターテイメント誌でがんばります、とツイッターに書き込みしている。
確かに本作は文学性よりもエンタメ性を重視した作品に仕上がっている。
まさに彼女の分岐点とも言える一冊なのではないか、と言える本作、以下で詳細に語ろう。
本作のエンターテイメント性について
サスペンス、ミステリー、本作を形容する方法は色々あるが、誰が犯人なのか? と読者が考え込むような推理性は無い。
前半は笠井と景織子(きょうこ)の恋愛がテーマなのかと思うが、景織子が笠井に求めているのが、愛ではない何か、と言うことは第2章の前半で明らかになる。
笠井の相棒を務める七澤の人間性が謎めいており、彼は何を考え、何をしでかすのか? という含みあり、中盤以降は以下の四つの要素が軸になる。
- 景織子は高橋の呪縛から逃れられるのか? そもそも逃れる気があるのか?
- 七澤は何かを知っているようだがそれは何か?
- 七澤が破壊的あるいは破滅的な行動をとるのではないか?
- 笠井と景織子の関係はどのような結末を迎えるのか? (笠井にとってのハッピーエンディングはあり得無さそうと読者は薄々考えるだろうが…)
上記を要約すると、本作は事件の行方や犯行動機などを予想するのではなく、キャラクター性を推理することがメインなのだとわかる。
このような意味で、文学性を前面に出した過去作品と一線を画し、エンターテイメント性が高い作品に仕上がっている。
今時珍しい闇が無い主人公
笠井修吾は本作主要人物の中で、唯一心に闇を抱えていない人間として描かれている。
そのあまりにも正しい価値観は、例えて言えば昭和のヒーローアニメの主人公的と言ってもいいほどだ。
景織子、七澤、高橋はそれぞれの暗い部分にとらわれて生きているが、笠井は自分自身が闇の部分を持っていないので、それを理解できない。
彼の中では法を守ること、社会の理念を守ることは当然である。
自分の欲望を全てとしてストーカー行為を行ったり、交際していた女性を監禁したりする高橋は、彼から見れば、唾棄すべき卑劣漢でしかない。
しかし何故か自分が愛している(と思っている)景織子が、その犯罪者と一緒に行動している。この行動は彼には謎でしかないだろう。
この笠井の正しさに共感できるかどうかで本作の評価は大きく異なるだろう。
笠井にしか共感できない人にとっては少々気分の悪い作品だろうし、笠井を全く理解できない人にとっては主人公がなんとも野暮ったい、と映るのではないか。
私としては、この男の融通の利かなさが鬱陶しく、あまり馴染めない作品と感じた。
作品のバランスとしては、病んでいるキャラが多いことを踏まえて、主人公である笠井はそこに理解を示す人間であった方がカタルシスは得やすかったのではないか、と悔やまれる。
余談に近いツッコミだが、異常に記憶力が良いと言う設定が必要だったのかもわからない。
青春学園ものなら個性の一つとして扱える設定なのだろうが、ミステリー性がある以上、その種の特殊能力は事件解決のカギにならないのなら主人公に持たせるべきではないのではなかろうか。
何度かそのスキルを披露するシーンはあるものの、あまり大きな役目を果たすわけでもないので、いっそ無くても良かった、と私は思う。
そんな訳で非常に中途半端な仕上がりの語り手で終わった笠井、事項で七澤と合わせてこの原因を紐解こう。
七澤の存在
本作のジャンルをミステリーとカテゴライズするなら、七澤はいわゆる名探偵ホームズの役であり、笠井はその助手ワトソンと考えていいだろう。
二人ともに頭脳は明晰であるが、笠井は前述したように正義と比較的普通の社会通念を持っているので、理性の側から事件を追求していく。
対する七澤は、自分自身が暗い闇の顔を持っており、激しい破壊衝動もあるので、犯人の側の考えを理解し、かつその目的を阻止することに一種の情熱を持って事件に接していく。
見事な対比を成しており、異なる個性を持つ相棒と共に事件に挑んでいくという姿は探偵ものの王道でもある。
しかし、島本理生の作家としての個性はそこに過度な華麗さを演出しない。
七澤自身が何かのきっかけで犯罪に走るのではないかと思えるようなギリギリ感のあるキャラなので、高橋と景織子の行動を予測できたからと言って手放しに喜ぶシーンなどもない。
物語は少しずつ解決に向かっていくが、七澤自身の問題の解決は訪れない。
作者は2013年に刊行したよだかの片想いで、主人公アイコに顔に大きなアザがあるという苦しみを与えている。
そして作中において、その長年の苦しみに明確な決着を付け、彼女が前向きに生きる未来を示唆した。
しかし、本作では主要登場人物の問題をほとんど解決しないまま突き放したエンディングを描いた。
現時点で私はまだ島本理生の全作品を読んでおらず、彼女を作家として評価するには早すぎるかもしれない。
しかし、この段階で敢えて言えば、彼女は登場人物の性格に普遍性を求めないタイプの作家なのではないか、と思う。
読者の多くに私、この気持ちわかる、という感想を持たせるのではなく、ああ、こんな人いるよね、と思わせる作家なのだ。
それだけに評価が分かれやすい作家と言える。
合う人にはジャストフィットするものの、その読者は大多数ではない。
彼女は直感的にその自己の性質を知っており、それを補うために提示したのが今作のエンターテイメントなのだと思う。
七澤の伯父太一もそのようなエンタメ性を追求したキャラの一人である。
昭和的正義感溢れる常識人の主人公、女性に愛される容姿を持ちながらもその女性たちを貶めずにいられない頭脳明晰で繊細な探偵、そしてその二人を支える気のいい何でも屋、このように書けば、本作に登場する男性たちは、ほぼマンガかアニメ的である。
本サイトのナラタージュのレビューにも書いたことだが、島本理生という作家は徹底して女性目線でしかキャラクターを描くことが出来ないのだと思う。
もう少し厳しく言えば、自分を投影した女性しか書けない、と言ってもいいのかもしれない。
物語を書くにあたっては主人公が自己の投影であることはなんら問題はない。
しかし、全キャラがそのような存在であることが多いので、文学性は低くないのにアニメ同人誌的な独り善がり感が見え隠れするのだ。
特に本作に登場する男性はほとんど想像の産物であり、非常にマンガっぽく見える。
そのため作品が軽薄な読み味になってしまい、相互依存から抜け出せないヒロインを扱うという社会性のあるテーマがかすんでいる。
デビューから14年を経て、尚その傾向が消せない彼女、エンターテイメント誌への転向はおしい気もするが、自己の特性を理解した上での英断かもしれない。
景織子に感情移入できるか
館林景織子は本作の明確なヒロインでありながら、読者の感情移入を誘わない不思議なキャラに仕上がっている。
作中の大部分で彼女自身の心理が語られず、七澤の予想が真実であるかのように進んでいく。
七澤は、彼女が笠井を巻き込んで高橋に罰を与えようとするしたたかな女と考えており、我々はそのフィルターをかぶせられたまま景織子を認識せざるを得ない。
しかし、エピローグでのみ忽然と表される彼女の心情によれば、七澤が考えたよりはるかに人間味がある女性だったようだ。
これは物語の構成としてはかなり厳しいものではないだろうか?
前項で書いたように、男性陣がアニメキャラのごとき軽薄さで成り立っているので、感情移入できる存在は作者の分身であるヒロイン以外に無い。
そのヒロインが心情を明確にせず、最後になってかなりぼんやりとゆる~く語りを入れるという構成がなんとも作品をちぐはぐなものにしている。
その最後の語りは、恐ろしく静かでゆっくりしたちゃぶ台返しであり、しかもそのちゃぶ台が指で扱える程度の小さなサイズであるので、結局この話は何だったんだろう? という読後感に襲われてしまう。
文学性がありつつもキャラ作りの微妙さで大きな賞を取れない島本理生、エンタメ方面に舵を切るようだが、そのエンタメ性を消してしまう性質も見え隠れしているように思えてならない。
この後島本理生はどこに行くのか? 本作は、彼女の行き先を心配せざるを得ない微妙な作品である。
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