若干の消化不良が残る恋愛小説
目次
もっと詳しく読みたかった出会いの場面
主人公“早川俊平”の一人称“俺”で描かれていくこの物語は、冒頭で聾の女性響子と出会う。そのまま2度目に偶然同じ公園で出会うのだけど、秋が深まってきた頃の公園はイチョウが落とした黄色の葉で歩道は埋められ、幼い少女が触ろうとする池の鯉、響子の白いマフラーなどの色の対比が鮮やかで、秋の澄んだ空気と相まってなんとも爽やかな印象だった。こういう風景の描写のうまさは吉田修一の魅力のひとつだと思う。そのような美しい描写での始まり方だったのだけど、なにかしら文章にひっかかって次に進めないところがあった。それは2度目に響子と会った俊平は、もう響子が聾であることをわかった上の自己紹介の仕方をしていたところだ。いつどこでそうと気づいたのかがはっきりせず初めて響子と出会った場面を読み返したりしたのだけど、響子の周りに音を感じなかったというような主観だけで、そうと気づいた印象はなかった。だから、もしかしたら耳が聞こえないのかなと思っていたとしても、今初めて気づくのだろうなとドキドキしながら読んでいた場面だっただけに、どうして知ってたの?というような気持ちになり、若干の肩透かし感を感じた。あの場面は二人が実質初めてちゃんと話した大事な場面だから、聾であることを知ったときの微かな動揺や、聾である女性と初めて接したときに感じた周囲の音が消える様子など、もっともっと読みたかった。この場面を冒頭の公園の描写ほど書いてくれていたら、この物語はもっと個人的には好きになっていたと思う。
いつ恋に落ちたのか
報道制作の仕事に日々忙殺され、忙しくなるたびに相手の女性にひどい態度をとって破局といったことを繰り返してきた俊平にしたら、響子に対する態度はとても丁寧で愛情が感じられる。しかし響子の静けさを際立たせるためにか、過去の俊平の女性の言葉の荒々しさや声の大きさの描写があったけれども、あれは一方的に俊平が悪いわけで、そこで大声を出した女性がさも下品かのように書かれいてもあまり納得できない。それはいわば俊平にとって都合のいい“静かさ”なのかと、このあたりから俊平に対する好感度がどんどん下がってきた。
そしてまた響子とはすでに週末を一緒に過ごす仲になっている。展開がいきなりなので、ここに至るまでの過程をもう少し知りたかった。このような不満を残すのは決して“展開が早い”というのではないと思う。それに前述したように、公園で出会った時の描写が絶対的に足りないから、いつどこで恋に落ちたのか、そこを知りたかったし感じたかった。
確かに状況に説明が多ければいいものでもない。しかし例えば映画の「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」などでは、二人が恋に落ちたそれぞれの瞬間をうまく感じることができる。だからこそ二人の心理に感情移入できていくのだと思う。もちろん映像と小説ではその示し方は違うとは思うけれど、だからこそここの描写はちゃんと読みたかったところだった。
聾の女性の静かさと周りの騒音との対比、その違和感
響子と出かけた花見で、突然近くで起こったケンカ沙汰。つかみ合いながら流血しながら、彼らはもみ合っているうちに響子が座っている場所に近づいてくる。俊平がトイレに立った隙の出来事であわてて戻ろうとするのだけど、その背後の暴力の荒々しさに全く気づいていない響子の静かさが対比されている場面がある。確かに強烈な出来事の対比だから、頭の中にはものすごく映像として浮かぶ。そしてそれを恐ろしいと感じた主人公の気持ちもなんとなくは理解できるのだけど、ここにどうもリアリティを感じない。恐らく聾として生きている響子は、確かに耳の機能は失っているけれど、それを補うために他の機能が通常の人よりも発達していると思う。だから背後でケンカをしていることなど、空気の流れや血の匂いなどで気づくのではないかと思うのだ。
そういった違和感は他にもある。家で待っている響子を驚かさないように帰宅するように心がけている俊平だったけれど、これもよっぽどテレビや映画に没頭していない限り気づくのではないだろうか。そこはずっと違和感を感じたところだった。
マンガ「ガラスの仮面」で“奇跡の人”を演じるために北島マヤが耳も目も口も使わないように稽古をしている場面があった。耳に粘土をいれ目隠しをし、口をきかない彼女でも、肌を掠めたハチの羽音に気づいた。触れてもいないし音もしないのに、空気の振動だけでそれと気づいたのだ。同じように「ガラスの仮面」では視力を失った姫川亜弓が、空気の流れや匂い、彼女の場合は音もあったけれど、それだけで生活する術を見につけている。あれこそがリアルではないかと思った。
響子をどうして愛したのか最後までわからない
聾ということで声も発さない彼女は当然静かであり、その静かさは周りの音さえ吸い取ってしまうようなものだと思う。でも俊平は決してその世界を愛しているようにも思えない。友人と行った居酒屋での騒動を思い出し、響子との生活ではない様々な音を呼び起こしてその静かさを埋めようとしているところさえある。そのような彼がどうして響子を愛したのかがどうしてもわからないのが、この物語の大きな違和感のひとつだった。静かで余計な言葉がいらず、筆談として相手に伝えるためにはある程度その感情を洗練させなければならないことで、冷静になれたり思いがけなく自分と対峙できたりというメリットを彼はあまり感じていないように思う。そのような感情なくしてどうやって恋愛に発展するのかがどうしても理解できなかった。
だからここはどうしても出会った当初の二人の描写さえあれば、と思ってしまうのだ。
障がいを持っている人と付き合うには、それなりに対等でならなくてはならないとは思う。だけどそこには相手の属する自分の知らない世界を愛する気持ちがないとだめなのではないかとも思う。
報道の定義と障がいを持つ人に対しての思いとの対比
俊平が今追っているのは、バーミヤンの大仏を爆破したタリバンの要人とのインタビューだった。もちろんスクープなのだけど、それを追うのと同時に気づいたのは報道の定義と呼ぶべきものだった。それは現場で動く人のリアルが感じられて良かったのだけど、そこに今付き合っている聾唖の女性との思いを差し込むのはいささか乱暴なような気がした。大きく言えば相手を思いやる気持ちとか言う風になるのだろうけど、ちょっと風呂敷広げすぎではないかと感じた。もっと身近なところで表現することは出来ると思う。対比する対象があまりにも大きすぎてましてやテロリストだなんて、ちょっと違うように思った。
あとついでに言うと、俊平の住むマンションの管理人の言動が明らかに悪役として書かれているのはまだしも、それに対する俊平の態度もいちいち極端ではないかと感じた。チェーホフではないけれど、小説に出て来た銃は必ず撃たれなければならないということを考えると、その存在の意味もわからないのも気に入らなかった。
ラストの謎
俊平の母親がどういう風に手紙を書いて響子に渡したのか知らないけれど、何かしら決意して姿を消したのだと思う。ここで俊平の母親に対しての苛立ちはリアルで心情的にはとてもよく理解できたのだけど、ここからラストに向けての展開がどうにもしっくりこない。突然連絡がとれなくなった響子を足で探し回る俊平の気持ちはわかるのだけど、やっと響子の家を見つけて連絡した響子のメールがあまりにも普通で、何が言いたいのかよくわからかった。むしろ家には来て欲しくないように感じられたし、そこには俊平を試すような今までの響子とは違ったような印象が感じられたからだ。結局彼女は何が言いたかったのだろうか、忙しさで放っておかれた者の気持ちを感じればいいと思ったのか、ちょっとわかりにくく共感しにくいラストだったのが残念だった。
この作品は、聾の女性との恋愛という繊細なテーマでありながら、テロリストの犯行などを絡めて社会的に持っていくのかと思いきや、なにか色々持ち出されて結局よくわからないラストだなという印象の作品だった。
本音を言えば、もっと面白くなりうるテーマの話だと思う。
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