小川洋子 その不思議世界の変遷 - 貴婦人Aの蘇生の感想

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貴婦人Aの蘇生

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小川洋子 その不思議世界の変遷

4.04.0
文章力
4.5
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
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3.5
演出
4.0

目次

小川洋子作品中トップクラスのエンタメ作品!

小川洋子という作家は元来、話を無理に盛り上げず、展開よりも文章力で読者を引き込む小説家だ。

しかし本作はどうだろう。

意外な展開が数多く仕込まれ、史実をふんだんに取り入れたサスペンス要素もあり、見え透いた小悪党が登場し、主人公の恋愛までも描く、というかなり大衆小説的まとまりを見せている。

考えてみれば主人公以外のメインキャラは、悲劇の皇女を装う老婆偽善者然とした剥製ブローカー、脅迫性障害を持つためドアの前で回転し続ける青年、と、なんとも怪しげな人々ばかりだ。

三谷幸喜監督、深津絵里主演で映画化しても結構といけるかもしれない、と思えるほど

胡散臭い面々である。

ドタバタコメディでも始まりそうなキャスティングだが、そこは文章職人小川洋子、きちんと我々を彼女独特の不思議空間へいざなってくれる。

以下で詳細に分析してみよう。

 

この作品の位置づけ

本作は朝日新聞出版社発行の「小説トリッパー」で1999年夏から2001年までに9回に渡って連載した作品だ。

作者小川洋子は1988年にデビューし、91年に「妊娠カレンダー」芥川賞を受賞しているものの、一般大衆への認知は薄かったように思う。

本作単行本化は2002年だが、この翌年に彼女の最大のヒット作「博士の愛した数式」が発表されているので、大ヒット直前の作品として認知度は薄いように思う。

しかし本作はエンターティメント性、緊張と感動のスライドという離れワザにおいて目を見張る作品である。

 

本作品独特のエンタメ要素の成分分析

本作にはサスペンス要素カタルシス要素が二つずつ仕込まれている。

サスペンス要素は、伯母が本当にロマノフ家の皇女であるのかどうか、という点とオハラという胡散臭い男が、主人公たちにどのタイミングで牙をむくのか、という点だ。

 

まず伯母の正体については作者自身も明確な答えを出さず、その見解を読者に任せている。

主人公は彼女の話を聞いた直後は全く信じていないし、エンディングに程近い猛獣館売却のシーンでも、資産家に対して「伯母さんが本当にアナスタシアであったかどうかは……」と不明瞭な答え方をしている。

テレビ番組の撮影も嘘くさいのは誰もが承知の上で、適当に盛り上げておけば良い、という扱いが明白だ。

しかし、小川洋子はそれを否定する情報も、読者には全く与えていない。

 

結局この物語の焦点は、伯母が正体を明かすか明かさないか、ではない。

作者は伯母という人間そのものを描くことで主人公と読者がどっちでもいいやと受け入れさせている。

ここが小川洋子的エンタメ性の優れた面だ。

サスペンスをカタルシスにスライドさせる文章テクニック

一方、オハラに関しては明確な決着を付けることで、物語に深みを持たせている。

彼は登場時点から明らかに小悪党として描かれており、隙あらば館の一切を奪い取ってしまおうと思っていたに違いない。

その彼が、いつの間にか伯母の側近であることで満足しているという変貌ぶりはグレーのままで終わらせた彼女の存在と対になっていて面白い。

読者は彼が事件を起こすことが本作の山場になるのではないか、と想像してページをめくる。

しかし彼は、いつの間にか自己の利益を捨て、伯母=アナスタシアの最大の信者になっている。

この転換は、危険な出来事が起こるのではないかという緊張感に見せかけていたものを、ゆったりとカタルシスに変えてしまうという、この時期の小川洋子特有のテクニックだ。

 

本作の翌年に書かれている小川洋子最大のヒット作「博士の愛した数式」でも、似た構図がある。

中盤に博士の体調が崩れて、80分しか持たない記憶が更に短くなるのか、あるいは主人公との関係が決定的に壊れるのか、と緊張させるが実際にそのカタストロフはおこらない。

以外にもゆったりと物語が流れて行き、主人公の息子は順当に成長し、博士は天寿を全うする。

この緊張から感動への推移がスムーズでなければ読者は肩透かしを感じたり、違和感を覚えたりするだろう。

それを感じさせない小川洋子の文章の組み立ての上手さが圧巻だ。

 

恐れるものは何もない

もう一つのカタルシスとして、伯母が死んだ際のニコの行動が用意されている。

彼はあらゆる扉をくぐるのに儀式を済ませなければならないという障害を持っている。

それは徹底した揺るぎないものとして作中にしばしば描かれている。

 

彼は自分の障害のせいで、慣れ親しんだはずの猛獣館に入れなかった時、以下のように本音を吐露する。

扉の向こうでは、皆がうまくやってる。僕一人がいなくたって、関係ない。最初からそんな人間、いなかったみたいに振る舞っているんだ。

その彼が、伯母の死の際に助けを求めた主人公に応え、この時だけは何の苦も無く猛獣館に駆け付ける。

ただ彼女を抱きしめるために!

このニコの主人公への愛情と、オハラの転身と献身がサスペンスを待っていたはずの読者を、優しく包む。

我々は緊張の先にあるはずだった危機や災難にありつけなかったという事実を忘れ、二人の男性の的確な動作に身を任せる。

 

気がつけば読者は、小川洋子と伯母に感動を授けられ、何を疑ったり恐れたりする必要があったんだろう、と安堵の息をつく。

 

小川洋子的普遍世界とこの時期だけの特殊性

小川洋子は常に特殊な環境や人物を用意し、主人公がそこに組み込まれていく様を描いている。

本作では伯母が傑出した特殊性を放っているが、オハラとニコもまた奇異な人物だ。

 

彼女の初期作品では、しばしば病院や病気、身体の一部を欠損する特殊性がモチーフになっていた。

「まぶた」「薬指の標本」などにみられるその特殊性は、非常にクールに完成されたものだった。

それは小川洋子特有の不思議な世界へ読者をいざなうツールとしては有効だったが、人間ドラマとしての厚みは描きにくかったように思う。

それを反省してか、この2000年頃からの数年は、特殊性を状態ではなく人物に置き換えているのではないかと私は推測している。

 

特殊性を擬人化することで、かつての作品で漠然と主人公を包み込んでいた奇異な世界が、会話や移動が可能となった。

今作のニコやオハラはその好例だ。

彼らのように、主人公への接し方を変えることでクライマックスを演出しやすくなったのだ。

決定された特殊な状況はそれを変えるために何かの作用が必要だが、人間であれば展開と意思によって変遷することが難しくない。

この方法の確立によって、この時期の小川洋子は数々のヒットを発している。

 

前述した「博士の愛した数式」では、やはり博士そのものが特殊な世界を構成している。

「ブラフマンの埋葬」では謎の生物、「ミーナの行進」ではミーナと芦屋の人々がそれに当たる。

それぞれの作品で、主人公は概ね傍観者や観察者であり、その特殊性を読者に伝える役目を持つ。

しかし同時に主人公自身の物語でもあり、主に中盤以降のどこか一点で、話に決定的に関与している。

「ミーナの行進」の朋子は、結果的に伯父の浮気や外泊を止めている。

「博士の愛した数式」では、主人公の献身が無ければ、博士はルートの出会いや彼の穏やかな死もなかった。

それ以前の作品でありがちだった不思議な状況に飲み込まれるだけで何もしない主人公ではなく、その特殊な人物と交流することで、相互に影響しあい、話の構成が多様になったのだ。

初期作品は繊細な文章ながらも冷たい印象が多かったが、この時期はむしろハートウォーミングと言っても過言ではない柔らかい作品が多い。

小川洋子の代表作を問われてこの時期の作品を挙げる人が多いのは、その読みやすさのせいだろう。

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