少し切ないような、感情をかき乱される作品
いい意味でイメージを裏切られた作品
この本を読むまでバーニーズが何だか知らなかった。ニューヨークあたりの小洒落た店くらいに思っていた(ちょうど「ティファニーで朝食を」のような感じ)。そして調べてみたらやはり日本にある高級“キレイ系ブランド”だったことに、“やっぱり”と若干がっかりした。しかしタイトルはそうであったけれど内容は少しイメージと違った。私がこのような思い込みの強い誤解をしてしまった理由は少しある。
最近吉田修一の作品を多く読む機会があり(気に入ったら同じ作家ばかりいってしまう癖も手伝い)、そしてその多くにがっかりさせられていたからだ。表装だけでなく内容さえもスタイリッシュで都会的な展開に、どうしても嫌悪感が先にたってしまうこともあった。もちろん彼の作品すべてがそうではない(だからこそ、これを読んでいる訳だし)。同じ短編集である「空の冒険」は屋上でタバコを吸うような自由感にあふれ深呼吸したくなる作品だったし、「さよなら渓谷」のあの重さと暗さは自分好みだ。だけどこの「春、バーニーズで」という表装を見た瞬間、やめといたほうがいいかなという微かな予感めいたものがあったけれど、結局その気持ちを振り払って読んでみた。結果この予感は間違っていたことがわかる。
全部で5つの短編集
この本にはタイトルにもなっている「春、バーニーズで」を含む全部で5つの物語が収められている。タイトルにもなっているこれはその一番最初に収められているもので、登場する主人公筒井はその5つ全ての物語でも主人公である。この筒井自体、始めはあまり魅力を感じない、時に流されているだけのような男にも感じる。だけど読み薦めていくうちにその彼がどんどん個性を獲得し、キャラクターを確立させていくように感じられる。短編だからそれぞれの話は短いのだけど、5つの物語を読んでいくうちにそう感じるのは、まるで5つで1つのようなよく出来た物語になっているのかもしれない。
そしてこの主人公である筒井にどんどん親近感を感じるようになっていったのは私だけではないと思う。
「春、バーニーズで」
タイトルにもなっているこの話は、主人公筒井のいきなりの過激な過去をさらけ出すストーリーになっている。過去にオカマちゃんと言うべき男性と暮らしていたのだ(この区別がいささか自分には難しい。だけど彼は決してゲイではなく、オカマちゃんという風にカテゴライズされるのではないだろうか。でもその違いが自分にはよくわからない)。妻子とともに行動していた筒井を早くから気づき遠くから、恐らく気づかれないように見ていた彼女(彼)の純真さと過去の愛情を感じさせる一途さは、女性から見てもかわいらしく美しいものだった。妻子の手前一度は知らないふりをしていた筒井も、妻が別の階にいったことを機にその彼女のもとへ走っていく。その時のその彼女のうろたえぶりは実に可愛らしく、ビジュアルは中年男性なのかもしれないけれど、その動作は女性よりも女性らしさを感じさせた。
しかも今彼女が好きなのは、今一緒に店に来ている若い男性だということ。それに気づいた筒井の心の移り変わりの描写が秀逸だった。時は流れているということ。この描写が実に的確で映像的で心に残った場面だった。
「うんざりするほど誰かに愛された人間は、うんざりするほど誰かを愛する術を見につけるのかもしれない」。このセリフは、この物語でとても心に残ったセリフだった。
緻密な描写が印象的なストーリー
2番目に描かれている「パパが電車を降りるころ」。これは吉田修一のイメージではなかった、短い時間の緻密な描写が印象的な物語だ。満員電車の中で自分の周りにいる人々の服、読んでいる本、見ている視線の先。そのような小さなことが緻密に詳しく書かれている。だからこそ、主人公筒井の置かれている車内の周りの状況が事細かに目に浮かぶ。恐らく取り立てて書くほどのことではないことをあえて描くことによって、読者はなにかどこかしら違う時間の経ち方を感じることとなる。個人的にはこのような時間を引き延ばしたように感じさせる展開のものは好みなので、吉田修一がこのような文章を書くことがうれしい発見だった。
いつも一緒にいた息子の食べ方をたまたま同席した女性に指摘されたことは、いつも見ているつもりが見ていなかった、と言うよりも、見る方向が決まっていたということになるのだと思う。独身女性の見方はまた違うもので、それに気づかされた新鮮さというものが感じられ、そしてそこに恋愛が大きく(小さくはあったのかもしれないけれど)絡んでいないのも好感がもてた。
事実を淡々と描いているだけのストーリーなのに、読み応えを十分感じさせるストーリーだった。
自分に置き換えて考えてみる価値のあるストーリー
「パーキングエリア」。筒井が不意に修学旅行で置き忘れた腕時計を探しに、会社にも家にも何も言わずに小さな旅にでてしまう話だ。これはサラリーマン経験のある人間なら誰しも憧れた経験があると思う。このまま終点まで行ってしまったらどうなるのだろうか、会社になにも言わずやめたらどうなるのだろう、旅先でこのまま住み着いてしまったらどうなるのか。実際そういう行動はとったことはないまでもそういう甘美な想像に浸ったことは誰しもあると思う。筒井はそれをやった人間だ。置き忘れた腕時計が今もあるかどうか確かめるためだけに、誰にも行き先をいわずに旅立つ。その道中自分と小さな賭けをし、そのたび小さく勝ってしまうことに戸惑いながら先に進んでいく。その奔放ぶりとは真逆に、部長に言われるであろう小言に対してのシミュレイションをしたりと、やってしまったことの割りに小市民的なとこも見せている。そういったところが余計彼に親近感を覚えさせた。
置き忘れた腕時計のある日光東照宮にたどりつくまで臨場感とリアリティのある描写が続くため、ついついこちらももしかしたら腕時計はまだあるかもという気にさせられたが、やはりなかった。そしてこれから日常に戻るための言い訳を考え始めるのだけど、そこにはどうも真剣味とか深刻さが感じられない。彼はこのままどこに行ってもいいかと言う気分にさえになっている。妻の機転により日光のホテルに泊まることになった彼だけど、ここまで大きな行動に至った理由はなんだったのだろうか。腕時計は恐らくきっかけに過ぎないのではないのだろうか、ただなんとなくというわけではないように思う。
だけど自分に置き換えてみると、もしかしたらただなんとなくだっただけだったのかもしれないと思わせるストーリーだった。
個人的には「春、バーニーズで」で収められている中でこれが一番好きな物語だ。
全体的にきちんとまとまっている作品
前述したようなスタイリッシュ感は決して0ではない。話と話の間のページに印刷されている写真のようなものは、ないほうがいいだろうと思わせる代物だったし(私があれを見て思い出したのは、1980年ごろのノーマルテープのケースに入っている曲とかを書き込むカバーのイラストだった)、あれはセンスもどうかと思うし、スタイリッシュというよりは少し怖い。
また「夫婦の悪戯」は悪い意味で後味が悪い。筒井の妻である瞳は前半の話ではいい奥さんなイメージだったけれど、ここで出てくる彼女にはあまり魅力を感じない。そして遊びと称した悪戯もただただ悪趣味だ。あの話はいささか腹がたったし、趣味の悪いものだと思う。
また「楽園」は個人的にはそこはかとない“おしゃれ小説”感を感じさせ、ラストに至るまでの展開はそのイメージを覆すほどのものではなかった残念さがあった。
とはいえ、「春、バーニーズで」ででてくるオカマちゃんは愛すべきものだし(吉田修一はオカマちゃんの描写がうまい。「最後の息子」にも女性以上に女性で、人間味あふれるオカマちゃんがいた。あの見た目はともかく絶対憎めない性格、女性と母親のいいところを両方備えた存在には、並の女性では勝てないだろう。そう思わせるリアルな描写は彼ならではと思う)、「パーキングエリア」のあの誰しもが自分に置き換えてみただろうあの感じは他の作品にないものだった。それだけでも今回のこの本を手にとって読んだ価値があると思う。
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