村おこしならぬテーマパークおこしストーリー - メリーゴーランドの感想

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メリーゴーランド

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文章力
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演出
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村おこしならぬテーマパークおこしストーリー

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.5
キャラクター
3.5
設定
3.5
演出
3.5

目次

赤字ハコモノの描写のうまさ

この物語は、カップルがある市にあるテーマパークに訪れる場面から始まる。これがリアルで面白い。カップルの男の子の方ははるばるデートでここに来ているのだから、なんとかムードを盛り上げて次に進みたいという願望があるのに、ここにあるもの全てがそれを潰し台無しにしている。女の子の方はただでさえワガママな感じがあり、その上男の子よりも立場が上なようで、今にも怒り出しそうなオーラが出ており、こちらもハラハラしてしまった。男の子の方は自分が連れてきたものだから、切符売り場の店員の態度の悪いところも、ガラガラの庭園にもいい風にとらえ女の子を何とか盛り上げようとしている場面などは、なんとも涙ぐましい。そういう場面を笑いを含めながらもリアルにうまく描写しているいかにも荻原浩らしい文章でこの物語は始まる。
ただテーマパークの閑散とした様子を描くのはなく、訪れたカップルの態度と感情を含めてそれらを描写するというところで、ストーリーに深みが出ているようにも思った。

そんなテーマパークをテコ入れするために

こういう経験は誰しもがあることではないけれど、経験したことがある人はあるのではないだろうか。ワクワクして訪れたテーマパークにがっかりさせられた記憶。後々の記憶としては、ただ残念だった記憶だけを残すという場所。そういう場所が「駒沢アテネ村」だ。
これは、主人公である啓一がそのテーマパークをテコ入れすべく奮闘する物語である。
こういうテーマだと思い出すのが、同じく荻原浩の作品で「オロロ畑でつかまえて」や「花のさくら通り」に見られる村おこしや商店街活性化の物語たちだ。この物語もそういった活性化を目指す一人の男の物語だ。
ただこの物語は舞台が役所ということもあり、啓一が思いついた全てのことにケチがつく。役所ならではの書類三昧、決定の先送り、はたまた材料や印刷会社との癒着。そういったことがこれでもかというくらい描写される。その役人たちの態度は、活性化したいのかしたくないのかどうなのかと、こちらが頭を叩きたくなるくらいのいらだたしさを感じさせた。

役所、役人たちの態度

これらの苛立たしさ、腹立たしさの描写はさすがである。役人たちの何も決まらない会議、政治家を彷彿とさせるような根拠のない偉そうさ、前例がないことを絶対やらない覇気のなさetc。この描写はこの作品のページの多くを割いて描かれている。荻原浩自身なにか感じることがあったのかと思うくらいの、彼自身の怒りさえ感じさせた。
またこのお役所仕事をしている役人たちは最後まで態度を改めない。来宮たち劇団の劇のセリフ「千年先までそうしてろ!」。啓一が時々心で叫ぶこのセリフは多くはないけれど、ここぞという場面で言われるためとても印象に残るセリフだった。個人的にもこういう苛立たしさを感じたことはあるけれど(恐らく多くの人がこの腹立たしさは実感として感じられると思う)、その時の腹の立った気持ちを一番表現でき、尚且つ相手のことも罵倒できる唯一のセリフでないだろうか。後学のために覚えておいても損はないセリフだと思う。

劇団「ふたこぶらくだ」と、飛鳥組の魅力

それなりの地位がありながらもそれを死守し、前例のないことを嫌い、決定する責任を人になすりつけるといったような典型的な描かれ方をしている役人たちと対照的に描かれているのが、この劇団「ふたこぶらくだ」たちだ。彼らの演劇人ならでは自由奔放さは、きっと実際以上に彼らを魅力的に感じる。啓一自身そこの劇団出身ということもあり、テーマパーク活性化のアクターとして(ギャラと折り合いがついたのだろう)雇った彼らは、仕事以上の仕事をした。来宮のカリスマ性、舞台人としての生き方と態度は役所の人間からしたらチンピラ以上の何者でもないだろうけれど、あの心の自由さはうらやましくさえ感じた。啓一もそう感じたのかもしれない、知らず知らず役人よりの考え方に馴染みつつあった自分に気づかせてくれたのも彼ら「ふたこぶらくだ」の力だと思う。
また飛鳥組から派遣された親方の孫は、仕事は堅実で技術もあるけれど立派な暴走族だった。その孫ケンジの周りの者も周囲には恐らく恐怖しか与えない姿で、啓一自身も始めは当惑していた。だけど、言葉は荒いし見た目も怖いけれど、彼らは悪人ではなかった。仕事をきちんとこなし、彼らならではの流儀が存在し、プライドで生きていた。
こういったいわば“はぐれ者”たちが、役員のやるきのない行動とは対照的に生き生きと動いている。その対比は気持ちがいいくらいだった。

成功したアテネ村の再建

啓一たちの尽力、「ふたこぶらくだ」たちの機転、シンジたちの作った庭園、それら全てがうまくかみ合い、アテネ村は創られてから初めての客数をたたき出すことに成功する。さすがこうなるとあの妖怪めいた老人たちも啓一たちを褒めるしかないと思ったのだが、ここに来て尚、考えられない言葉で啓一たちを叩く。これらの言葉「黒字になればいいものではない」「品格」「慣例」そういったことを連呼するあの老人たちの頭の中は一体どうなっているのだろう。ストーリーが始まってすぐくらいはこういう言動に怒りや苛立ちを覚えていたけれど、ここに来て尚まだこういうことを繰り返す彼らを見て、怒りというような直接的な感情よりも、まったく自分とは作りの違う生物を見るような、変な気持ち悪さを感じた。
成功しながらもこのような扱いを受けた啓一にもアテネ村にも、それほど幸先のいいものが感じられなかった。それは次の展開で確定することになる。

男も女も政治家ということ

独断専行で老人たちに罵倒されながらも成功を収めた啓一は、市長にその手腕を褒められる。在籍部署の移動くらいを覚悟していた啓一にとっては驚きだったけれど、ただ褒めるだけのために市長が名指しで彼を呼ぶわけがない。そこからねっとりとした政治選挙に彼は絡めとられることになる。
ここで啓一の妻路子がよく外出していたことの理由が明らかになる。彼女はこの市長に対抗する候補者の一人、女性政治家の選挙活動に働いていたのだ。この女性政治家の公約は無駄なハコモノの撤去、いわばアテネ村の撤去である。ここまでアテネ村の再建に成功した以上簡単に潰せることはないだろうと言う様な希望的観測のもと、そして一抹の正義感もあり、啓一はこの女性政治家に一票を投じた。このあたりの葛藤は想像できるからこそのリアルさにあふれ、こちらも苦しくなるくらいだった。でも啓一の決心は間違っていないと私も思った展開だった。
鉄板選挙だという予想ははずれ、女性政治家が当選する。そして公約どおり真っ先にアテネ村が潰されることがあっさりと決まった時に、意外に啓一がそれほど取り乱していなかったのは、早いうちからある程度予想できていたからかもしれない。あの時の希望的観測は希望的だということにいつ気づいたのかはわからなかったけれど、啓一の冷静さは意外でもあった。
またこの女性政治家は当選してすぐどこかしら胡散臭さを漂わせる。活動熱心だった路子もグループから離れ、啓一のやってきたことを潰してしまったことを常に詫びていた。
この女性政治家が目標を果たしてすぐ胡散臭くなる展開では、奥田英朗の「邪魔」を思い出した。これも女性パートの権利を声高に叫んでいたグループも結局目先の金が目的だったことがわかり、主人公の妻が落胆する場面だ。これほど極端ではないけれど、女性といえどもやはり政治家なのかという疑いを確立させる場面だった。

情景が浮かぶ美しいラストシーン

決して使われることのないアテネ村のメリーゴーラウンド。アテネ村が健康に再建されれば絶対観光スポットになったはずなのに、そういうことのわからない全ての政治家たちに落胆した。その落胆した気持ちと反面、そのメリーゴーラウンドの美しさは心を打つ。透明な屋根から見える星の数々。撤去が決まりながらもその最後の美しさを表現する切なさに、荻原浩の手腕を感じた。

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