理想と現実のギャップに悩む芸術家の姿を通して、現代人の心に潜む孤独や不安や狂気を鮮烈に描き出した秀作「バートン・フィンク」
ジョエル・コーエンとイーサン・コーエンの兄弟は、監督・脚本、製作を2人3脚で行なって、妥協のない独自の境地を築いた、アメリカ映画界のインディペンデント系の映画作家たちの中でも、最も充実した優れた作品を作り続けてきていると思う。
暗黒街を背景に単なるギャング映画の枠を越えた、陰影の深い人間ドラマとして世界中で高い評価を受けた「ミラーズ・クロッシング」の次の作品として製作・脚本をイーサン・コーエン、監督・脚本をジョエル・コーエンで撮ったのが、この「バートン・フィンク」で、カンヌ国際映画祭でパルム・ドール大賞、監督賞(ジョエル・コーエン監督)、主演男優賞(ジョン・タトゥーロ)の主要3部門を制覇し、コーエン兄弟の名声は揺るぎないものとなったのです。
1941年のニューヨーク。すなわち第二次世界大戦の開戦前夜の風雲急を告げる時代に、演劇の改革を夢見るひとりの若き戯曲家がいた。彼の名前はバートン・フィンク、ユダヤ人である。彼は同時代に流布する前衛的で難解な演劇に対して反旗を翻し、日々労働に汗し悩み苦しむ大衆のための演劇が作られなければならないと主張するのです。彼もまた、自己のルーツは小市民的世界にこそある、と考えていたからなのです。
時代背景を考慮すると、フィンクの作家的な姿勢は、決して偶発的なものではないと思う。大恐慌の後、アメリカでは多数のプロレタリア作家が登場し、文学者たちも政治や社会に積極的な発言を行なっていたからだ。フィンクはすでに演劇の世界では時代の寵児だったが、それだけでは食えないからと、彼のプロモーターは、映画のシナリオの執筆を勧めるのです。
自分のルーツがニューヨークの庶民の世界にあると考えるフィンクは、ニューヨークを離れるのは辛かったが、結局ハリウッドに招かれて映画のシナリオを書くことになります。しかも、与えられた仕事は、彼の演劇理念とは無縁のB級映画のシナリオ。それでも説得されて渋々ロサンゼルスのホテルにカンヅメになるのです。
そして、このホテルにフィンクが着いた時から、彼の悲喜劇的なドラマが幕を開けるのです。この彼がチェック・インしたホテルは、ハリウッドのイメージからはほど遠い、うす暗く不気味な雰囲気が漂っていたのです。その後、このホテルの一室で、フィンクは悪夢のような日々を過ごすことになるのです------。
全く仕事が進まず、スランプに落ち込んだフィンクの精神状態を反映するかのように、彼のまわりでは、まるで現実とは思えない出来事が静かに進行していくのです。フィンクは、絶えず演劇の理想に対してのみ心を奪われており、彼女もいないし、いつもいつも何かに急き立てられているみたいに神経症気味。憂鬱そうな顔は、この映画の全編を通してニコリと微笑むことすらありません。このイライラ、ウツウツのキャラクターをジョン・タトゥーロが実に巧みに演じていて、見事の一言につきます。
この映画の見どころは、さまざまな人間関係を通じて、不安と失望と怒りではちきれそうになったフィンクの内面が、次第に神経症的に追いつめられていくところにあると思う。深夜、張りつめた精神状態でタイプライターを叩いていると、隣室から得体の知れない呻き声や物音がするのです。
そして、異常な暑さと湿気のために次々と壁紙が剥がれ落ち、糊が溶けてダラダラーッと流れ落ちてくるのです。毒々しい模様で彩られた長い廊下は、立っているだけで眩暈がしそうだし、エレベーター・ボーイも何となく薄気味が悪い。この息苦しさ、むし暑さなどの生理的な感覚を見事に描き出した映像と音響には感服します。
映画会社の社長は、フィンクと同じユダヤ人だが、一度クビにした重役を家畜か奴隷のようにこき使っている粗暴な男だし、その部下も芸術には全く理解がなく、フィンクと肌の合わない嫌味な奴なのです。会社にはフィンクが尊敬してやまない小説家のW・P・メイヒューもライターとして雇われていたが、彼は救いようのない飲んだくれ。彼が酒に溺れているのは、精神に異常をきたした奥さんのことがつらいから、と言ってヨヨと泣き崩れるメイヒューの秘書兼恋人のオードリー・テイラーも何か変な女だ。
ロサンゼルスでのフィンクの唯ひとりの心の友は、ホテルの隣室の住人である保険外交員でチャーリー・メドゥスと名乗る太った大男(ジョン・グッドマン)だ。彼は非常に気だてのいい男だったが、彼は実は連続殺人犯だという情報がフィンクの耳に入り------。
こうして、フィンクの受難はまだまだ続くのです。ふとしたきっかけで、フィンクと一夜を共にしたオードリーは、翌朝、血まみれの惨殺死体となって発見されたのです。フィンクを必死にかばうと見えたチャーリーも、やがて世にも恐ろしいその正体を現わして------。
この映画「バートン・フィンク」で描かれているのは、理想と現実のギャップに悩む芸術家の姿だと言えますが、それ以上に小市民である現代の我々一人一人にも潜む、孤独や不安や狂気そのものなのだと思う。一見、何の変哲もない日常に悩みや災いのタネが少しずつ降り積もり、やがて主人公が現実とも幻想ともつかぬ悪魔の世界へ歩んでいくという映画はいくつもありますが、この作品はその中でも突出した優れた秀作だと思う。
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