吉村昭らしい重量感溢れる短編
7つの読み応えのある短編集
この「見えない橋」はタイトルにもなっている短編を含み、全部で7つの物語が収められている。その全てが吉村昭らしい重々しさとリアルさ、静かさを湛え、短編とは思えない読み応えのあるものとなっている。
収められている物語の中には、吉村昭の自叙伝というか、実際彼自身の身に起こった出来事が緻密に書かれた物語もある。吉村昭自身あとがきで、母のことを書いた唯一の私小説であると書かれているそれは壮絶な出来事で、現実とは思えない凄惨さを感じさせる。
吉村昭の作品はいつも重くリアルで、わかりやすいハッピーエンドのものなどないに等しいけれど、なぜかしら強く惹きつけられる。それは、どこまでも現実的ということと、いかにも昔かたぎの誠実な文章で描かれる当時の哀しげで静かな光景などが魅力だからかもしれない。
名タイトルの「見えない橋」
タイトルにもなっているこの物語は、この作品の一番始めに収められているものである。短編集は一番最初に収められている作品が面白いと、他のものも全部面白いだろうという期待が膨らんでしまう。時々それで裏切られることはあるのだけど、吉村昭の場合それで裏切られたことはない。
この「見えない橋」は、罪を償い釈放されたものが再犯を犯さないように導く役割である保護観察所というところで働く男が主人公だ。このようなテーマの物語を読んだことがないので冒頭のこの設定からどんどん引き込まれた。
その保護観察所が前科36犯という前代未聞の男を引き受けることになる。受刑者が出所し保護観察人という役割で数々の元受刑者を見てきた彼でも、36犯というのは異例のことだった。ただその男は犯罪者傾向にあるわけでなく、刑務所暮らしが長かったゆえ娑婆での暮らしに落ち着きを見出せず、刑務所に戻りたいが故の小さな罪を作り、そこに舞い戻るというなんとも切ない人生だった。しかしその彼、君塚は70を超え、獄中死したくないという一心で娑婆に戻る決心をする。それを助けたのが前述した保護観察官の清川だった。
こういうストーリーで思い出すのは「ショーシャンクの空に」を誰もが思いだすかもしれない。50年も服役しているブルックスは釈放されることを恐れ仲間を傷つけようとするが叶わず、釈放され紹介された仕事と居住先に適応できず結局自殺した。
清川も君塚がそのような事態になることと、また彼が新たな犯罪を起こそうとするかもしれない気持ちを恐れていたのだけど君塚は幸い教会に通う人々と交流することができ、少なからずとも娑婆での幸せと安住を体験できた。だけど結果は孤独死という皮肉な結果だった。獄中死するよりもよかったのだろうと思う清川だったけれど、やはりそこには冷たい孤独といったものが根底に感じられる。結局どっちが幸せだったのかわからない複雑な思いの残る結末だった。
君塚を一人暮らしさせるのが早すぎたのではないかと思ったりもしたけれど、世話を焼きすぎて世間で暮らせなくなるのもだめだろうし、難しい問題だと思う。
そしてこういう意味でこのタイトルは卓越したセンスを感じた。
色を感じない「都会」
彼の短編全てはいつも律儀で誠実で、その時代ならではの重々しさと暗い光景が感じられる。だけどこれはタイトル通り、都会でひっそりと生きるホームレスの死がテーマになっている。そこにはそれほど古い時代ではなく、最近の風景を想像させるものだった。
どうしてそこにたどり着いたのかわからないホームレスの男を、町内会長はなにかしら気にかけている。その気にかけようが嫌味でも偽善的でもなく、本心から気にかけている様子が個人的には好感が持てた。
ダンボールの家を毎日片付け、周りを清掃し、美観を損ねないように気を配っているそのホームレスも最低限の自分の責任を勤めているようにも見え、だからこそ周りの人々が色々と助けの手を出そうと思ったのだろう。
個人的にはそういう人に対してなにか為になるだろうことをしたことはないのだけど、そういう行動には大きな勇気がいるのではないだろうか。皆が皆“いい人”ではないことに対しての危惧のほうが都会では大きいと思うからだ。だけどこの舞台にはそのようなことはなく、通りかかる人が色々と彼に心を砕いている。その様がタイトルにもなっている「都会」という言葉とは似つかわしくないようにも感じた。
結局命を落としたそのホームレスの火葬や墓参りに町内会長は赴く。それはことごとく奇特と言われる行動だったにもかかわらず、この町内会長の態度には偽善的ないやらしさは一切感じられない。それがこの町内会長の立ち居振る舞いによるものなのか、吉村昭の文体によるものなのかわからないけれど、人が一人死んでいるのだけど、どこまでも静かで清らかなイメージだった。
最後町内会長が見た「赤い郵便ポスト」のみが、初めて鮮やかな色合いを感じさせた物語だった。
哀しいテーマながら色彩豊かな「漁火」
崖から飛び降り自殺した若者を漁船の乗り手たちが探しているのがテーマの物語である。このテーマは同じく短編集「羆」の中に収められていた「ハタハタ」を思い出させる。この「漁火」は依頼を受けて遺体を捜索している漁船たちであり、「ハタハタ」は漁船自体が難破しその乗組員を捜索するという違いがあるが、その捜索方法や伝統などは同じような場面が多くあった。
裕福であろう医者夫婦と荒々しい漁師たちの描写が対照的だったけれど、その夫妻に対してそれほど軽く見るような描写がなかったことが漁師たちの人のよさを際立たせていたように思う。そしてその息子は最後まで見つからず、代わりに違う仏があがった。ここは一瞬わかりにくいところだったけれど、その後すぐ状況は理解できる描写だった。この違う仏が見つかったところはリアルというか非情というか、いかにも現実的な話だと思わせる展開だった。
また遺体を捜索している漁船の仕事の美しさも、とても映像的だ。烏賊釣り漁船のライトのきらびやかさ、網の中で跳ねる光の粒のようなコウナゴ。水死体と言う陰惨なイメージとは裏腹に、光の洪水のような漁業の様子が見受けられる。とても対照的で美しく印象的な場面だ。
仏様を引き上げた船は大漁を約束されるという言い伝えがあるらしい。漁師たちが嫌な顔ひとつせず捜索に携わるのはそのような打算があるのかもしれないけれど、海で働き海と生きる人々の生活も感じられて、一概にそうとは言えないと思った。
私小説「夜の道」
前述したように、吉村昭の唯一母親のことを書いた私小説であるのがこの短編である。吉村昭自身の病気のことや手術のことなどを書いた短編はいくつか読んだことがあるけれど、確かに彼の母親の死に際の話を読んだことはなかった。昔の時代だからか、いまほど医療の進歩もないためか、病気には過剰なほどの暗くマイナスなイメージがつきまとう。今は治る病気でも当時は不治の病だったものも多いのだろう。彼自身肺を病んでおり、その病状のつらさや新しいからこそ前例のない手術の経験などの描写はとても緻密だ。その経験から膨大な取材を行ったと思われる「神々の沈黙」は医療関係の本かと思うくらい難解な文章ながらも、引き込まれる作品だった。そのような医療知識は、根底に自分の体験の他に母親のこのような痛ましい最期という経験があったからこそ身につけようと思ったのかもしれない。
作中に出て来た印象的な場面は、一人よがりな“善”を語った作者の兄の言葉だった。それは完全な彼のエゴの押し付けに他ならないし、吉村昭自身もそれには反対意見を感じていた。当時(今もかもしれないが)末期癌に対しての治療といえば痛み止めくらいしか手を打てないのだし、いずれ死に行くものに必要以上の苦痛を感じさせる意味が分からない。それを耐えるのが人の道だという無意味な精神論は日本独特の暗さを見せ、個人的には必要以上の憤りを感じた場面だった。
吉村昭の魅力
彼の作品はそれほどドラマテックな展開があるわけではないが、そこには確実に無駄なもののない堅実な美しさが感じられる。書きようによってはグロテスクになる描写でもなにか近寄りがたいものをそこに感じさせる。その静かさ、重さ、哀しさ、そういったものを読みたいときには吉村昭の作品をおいて他にないと思う。
そういった作家に出会えたことは、読む本を選ぶ時間と意味のない本を読む時間両方の無駄を省かせてくれる、かなり大事な発見だ。なんと言っても本は無限に近いほどあるのだから。
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