誰も救われない暗く重いテーマの物語 - さよなら渓谷の感想

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さよなら渓谷

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
4.00
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誰も救われない暗く重いテーマの物語

4.54.5
文章力
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.0
設定
5.0
演出
4.0

目次

原作を知らずに映画を見て

もともとこの本を読んでみようと思ったのは、映画を先に見たからだ。真木よう子と大西信満の演技が個人的には衝撃的で、映画自体に重さを与えていた。どこにもいけない、どうしようもない結末で、この作品はとても印象的だったことを覚えている。
映画を見て原作を見るということはあまりないのだけど、今回は原作が吉田修一ということもあって、読んでみた。
余談だけど、映画の監督は大森立嗣で、俳優大森南朋の実兄である。この弟の方は個人的にあまり好きではない(演技がどこかわざとらしく、リアルな感じを出そうとしているのだけどその雰囲気だけのような気がしてしまうのだ)のだけど、この「さよなら渓谷」の映画はすごかった。なのでこの監督の次回作「セトウツミ」観るつもりだ。こういう風に好きな監督が出てくるのは、新しい作家を見つけたようでうれしい気分になる。

空気がよどんだような土地に住む人々

どことなく気だるく粘度のある液体の底のたまった澱のような雰囲気をもつ市営住宅に住む夫婦が主人公である。夫である俊介と内縁の妻のかなこの二人は倦怠期の夫婦のような空気を漂わせながらも、仲睦まじい様子も見せている。この物語が進む間の季節が夏であるため、二人の描写には暑さと汗と時折感じる涼しさが文章中にも表されている。暑さは不快ながらも汗に性的な雰囲気を感じたり、涼しく感じるところは渓谷もあるような自然に恵まれたところもあり、都会では見られないような清清しさを感じる(これは俊介とかなこの二人の感情を表現する一種の小道具にもなっているような気がする)。
ストーリーでは、まずこの二人の隣人である里美が騒ぎを起こす。息子を殺した母親という疑惑をかけられているのだけど、この疑惑が確定するのはずいぶん後になる。その事件はそれなりにショッキングなものなのだけれど、俊介とかなこの過去が理解と想像の範疇を超えているものなだけに、里美のキャラクターとしても事件としても若干弱さを感じる。個人的には読み終わった後にあまり記憶に残らない設定だった。

かなこの哀しみと怒りの変化

レイプされた過去を持ち、その後何をしてもそれがついてまわり一時期は自殺未遂までし人生を放り投げようとしていたかなこを結果的に救ったのは、皮肉なことに加害者である俊介であったことは間違いがない。忘れよう、人生やり直そうと思いながらもその度に、過去を知られる恐ろしさと戦い続けて生きてきたと思う。新しい恋人ができたときにはその甘い幸せをいつでも壊そうと待ち構える過去があるわけだし、勇気を奮ってそれを告白してみても結果うまくはいかなかった(このあたりの設定はリアルだと思う)。自分の立っている場所さえいつ崩れるかわからないような生き方をしてきたことを想像すると、下腹がふわっとするくらいの恐怖を感じる。そうしてやってずっとぎりぎりで生きてきて、挙句理解者であってほしかった夫にまで暴力を振るわれるとなると、生きるのをあきらめようとする気持ちにもなるだろう。今まで過去を気づかれるのを恐れ続け、犯罪を犯したわけでもないのに「バレる」ということを恐れるというのは、どれほど生きづらいことだったか想像に難くない。しかし俊介は加害者でありその原因ともなった忌むべき存在でありながら、すべてを知っているからこそ過去を隠す必要がない。憎むべき相手ながら、そのそばが一番自分をさらけ出せる場所というのは皮肉なことだと思う。そしてその心境は俊介も同様だった。過去を忘れようとしてもできず、目の前の成功にも甘んずることができず、結果過去に縛られたまま行き続けていたことは読んでいて痛いほどわかる。もちろん安易に許される罪ではないけれど、加害者の中では一番苦しんでいたことは間違いない。だからこそかなこの後を言われるまま追い、言われるまま行動し続けたのだろう。お金が尽きたときの俊介の笑みは、本心から出たものだったと思う。肩の荷が降りたとまではいえないけれど、少し力が抜けたのかもしれない。あの時の笑みは現実的で好きな場面だ。
かなこもやり場のない怒りを俊介にぶつけ続けて、ある程度消化できたものがありながらも、「許すべきでない」と「受け入れよう」がせめぎあったまま破裂しそうなイメージがある。なんとも痛々しくて、同性としてはやりきれない思いだった。
そして「幸せになりそうだったから」俊介のもとを去ったというなんとも重いラスト。これはこの作品のテーマとしては完璧なラストだと思う。

事件が起こる寸前のリアリティ

若いころは誰しもあのような火遊び的なことは経験があると思う。最初は誰も悪くなかった。それが何かの調子で火がつくことによって、加速度的に悪い方向に状況が転んでいく。あのちょっとした刺激に触発されて欲望が増幅され、それが雪玉が転がってどんどん大きくなるようにそれらを絡めとり、恐らくは自分でも止められないまでに膨れ上がっていく様が正にリアルで恐ろしい。誰にでも起こりうることで、決して女の子が悪いわけでもない。言うなら、誰か一人正気を保ってくれていた男の人が一人でもいれば戻ることができたかもしれない。あのあたりのリアリティは映画よりも小説のほうがあったように思う。
もしかしたら映画でもあのあたりはしっかりと描写されていたのかもしれない。けれど映像という視覚に直接的に訴えてくるものである分、あのような映像は同性としては少しつらく目をそらしがちだったため、あまりきちんと見れていないからかもしれない。
レイプをテーマにした小説も映画もたくさんある。私が一番覚えているのは「告発の行方」だ。あの問題のシーンも周りの欲望が増幅していくところが肌でわかる。それとこの小説を読んで感じたのとはとてもよく似ている。

不必要にも思われるいくつかの設定

映画でもそう思ったのだけど、記者である渡辺がある意味過剰に俊介に感情移入してしまうのはなんとなくわかる。それはわかるのだけど、渡辺の妻のヒステリックなあの対応や不仲な描写はストーリーにあまり意味がないように思われる。小説なら彼らが登場してこない以上それほど影響はないのだけど、映画の場合あの金切り声や妻が夫に見せるとは思えない生々しい敵意が、こちら側をかなり消耗させる。映画では渡辺の妻を鶴田真由が演じていたけれど、どうもあのイライラした様子がこちら側もイライラさせ、見終わった後に「あの設定いる?」という気分にさせてしまうのだ。
前述した隣人里美の殺人事件も、かなこが俊介に何を言ってもいいというサンプルを提示するには格好の事例なのかもしれないけれど(確かにあの場面の悲壮感はよかったけれど)、あまりにも弱すぎてもうちょっと他になかったのかと思ってしまう。
もちろん隣人が何かしでかしたり、隣人との友情から話しが進んでいくというのはよくあるけれど、その割りにそれほど話が膨らんでいないし、後々のストーリーにはあまり関係ないしで、それほど重要でない設定に感じる。
あとストーリーの中で俊介だけが時に尾崎となったりして、すこし混乱した。渡辺が取材対象として扱っている場合だけそうなのかとか、その場面に俊介がいなければそうなのかと思ったりもしたのだけど混乱するばかりで、使い分けることでそれほどの効果があるとは感じられない。これも不必要なのではないかと思った。

吉田修一の作品の中で

彼の作品をすべて読んだわけではないけれど、この作品が一番だと思う。それは、暗さと後味の悪さが個人的に好みと言うのもあるけれど、他の作品で時々感じるラストシーンの疑問とか、ストーリー展開の違和感とかがほとんど感じられないリアリティの高さにある。またなんの先入観もなく映画から入ったのも良かったのかもしれない。
原作も映画も良かったという作品はそうはないと思う。だからこそこの作品は吉田修一の代表作になると思う。

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