短編集でありながら読み応えのある作品
何か得したような喜びと驚き
図書館で本を探す暇がなく、適当な作家にあたりをつけて借りることがよくある。この本も奥田英朗ならそれほど大事故にならないだろうというだけで借りた(経験から言うと、そうなることもあるにはあるのだけど)。前にも「イン・ザ・プール」とか「サウスバウンド」とか読んで軽めで面白かった印象があったので、それだけというだけで借りた。結果正解だった。こういうときは結構うれしい。その上、私は奥田英朗は「イン・ザ・プール」と「空中ブランコ」の精神科医・伊良部シリーズが一番の当たりだと思っている。で、この本がそのシリーズだと知らなかったので、何か得したような喜びと驚きがあった。
小説は全部で4つの短編が収められていて、もちろんそのどれもに伊良部は登場する。無邪気さと気持ち悪さが同居する不思議な魅力は相変わらずである。そしてそのどれもが楽しく読めた。
伊良部が救うつもりもなく救っているもの
この伊良部は医者としては全くどうなのかと思われる腕前なのだけど、その子供のままの受け答えは発想や言動が、ある程度地位のある人々に何かしら衝撃なり癒しなりを与えているのが面白い。そのように扱われたことのない体験や怒りが知らず知らずに薬となり、彼らを苦しめている戒めを解きほぐしているような、そんな感じがする。もちろん伊良部本人はまったく相手のことを考えておらず、常に自分主体でものを考え行動しているのだけど、それがまたプラスに働いている。どれほど毒のある人間も権力をひけらかす人間も、伊良部の前ではただの人になってしまう。その力の抜け方が見ていて心地いい。そういう余計な力が抜けることでそれが薬となったり、新たな考えを生むキッカケとなったりするのも、ベタかもしれないが、気持ちいい。決してかっこよくもないし正義感でもないし、なんならマザコンで子供のままの伊良部がどうしても憎めないのは、読み手側もその魔法を受けているからかもしれない。
「オーナー」
これは誰が読んでもナベツネこと渡邉恒雄がモデルとなっている話だろう。元々野球にほとんど興味のない私は詳しいことは分からないのだけど、この人が新聞の一面やワイドショーを賑わしていた記憶はある。そしてその乱暴な言葉や傍若無人な態度はこの一線を物語の主人公ナベマンとして反映されている。一番わかりやすいのは「たかが選手が」という発言だろうか。この物語ではわかりやすくヒールで、わかりやすくえらそうなこの人は死ぬのが恐ろしく、閉所恐怖のようなものを併発している。もともと現役であり続けることに強迫観念めいたものでもあったのかはわからないけど、敗戦から必死で戦い続けた戦士のようなものが後半感じられたところに、あれほど憎らしかった彼なのにすこし哀しさを感じた。
ナベマンをある意味悲壮な第一線から救ったのは、伊良部が繰り広げたカーチェイスに違いない。もちろん伊良部は考えなしでただ面白いからという理由だけで行動しただけだったのだけど、結果として今まで見たことのなかった(または見ようとしなかった)角度で景色を見ることにより、世界が一転する。その瞬間が何かしら気持ちよく、気の抜けたような伊良部との会話も微笑ましく、これは完璧なラストだと思う。
この話はこれ以上長くなってしまうと若干冗長気味になってしまうだろうし、短すぎると単純になってしまう。この作品はその長さが話しに対してぴったりで、すとんとお腹におさまるちょうどいい量の料理のような、そんな気持ちよさがあった。
「アンポンマン」から「カリスマ稼業」
「アンポンマン」も誰が読んでもモデルはホリエモンだろう。ホリエモン自体はそれほど嫌いではないのだけど、この物語にでてくる安保はあまり好きではない。そもそもホリエモンがあまり嫌いではないのは、私がそれほど彼の言葉だの考えだのを知らないだけかもしれない。奥田英朗の物語のモデルとなっている以上かなりの共通点があるはずだし、そうなるとホリエモンもここに書かれているようなこを言ってたのかもしれない。どちらにせよ、安保のほうはあまり好きでなかったので感情移入もできなかった。
とはいえ、ひらがなを忘れるという経験はしたことがある。忘れるというよりはとっさに出てこないのだ。文字を書くのはパソコンなりメールなりがほとんどで、ペンを持つことがあまりなくなっているのはデジタルネイティブ年代にはよくあることだろう(久しぶりにペンで字を書いて、自分の字はこんなだったかと呆然としてしまったことさえある)。「る」ってどうだっだっけ?とか「ぬ」ってどう書くんだったっけ?と一瞬わからなかった経験をもつ人は珍しくないと思う。その経験から言うと、安保が特に苦手とするひらがなが「丸のはいった文字」というのは本当にリアリティがある。もしかしたら奥田英朗自身もその経験があるのかもしれない。
あと感情移入ができなかったのは次の短編「カリスマ稼業」である。40を超えてますます美しいと周りから見られている女優の日常が書かれているのだけど、その女優カオルはすこしカロリーを取りすぎてしまうと、がむしゃらに運動して消費しないと脂肪になってしまうという強迫観念に囚われている。これは女性なら誰しも分かる話であり、特にダイエットをしているときなら本当にそういう気持ちになるということはよくわかる。私がわからなかったのは、すぐにプロダクション社長に泣きつくように相談するところだ(彼女の名前は稲田光代。となればそのモデルはすぐにわかる)。人によるのだろうけど、なんでもかんでも人にさらけだして泣きつくという観念があまりわからない。それが相手が特に女性だと余計にわからない。時々何気なく手をつないできたり、腕を組んできたりする女性がいるけど、それと同じくらい混乱するのである。同性愛的なものならわかりやすいのだけど決してそうではない。だから余計混乱してしまう。そういう感じがこの物語にはずっとあったので、何かもうひとつだなという印象だった。
「町長選挙」
タイトルにもなっているこの物語。やけにインフラだけは整っているけど何もかもが密度の濃い島に出向してきた、良平の涙ぐましい奮闘がリアルに描かれている。その描写は勢いだけでなく実に緻密でバックグラウンドもしっかりとあり、この物語だけで映画ができそうな感じである。
この狭い島で町長選挙が行われ、それはそれこそ勝てば官軍の世界である。2年だけの出向である良平は双方陣営に巻き込まれ、どっちにつくか迫られ、挙句お金まで渡されて板ばさみになっている。この若者のつらさがよくわかる描写がある。金を受け取るまいと必死になる良平に対し、彼らは土下座戦法でやってくる。彼らにしたらやりなれた土下座かもしれないが、やられる方はたまったものでない。結局お金を受け取ってしまった頃にはどれほど疲弊していたか、想像に難くない。そしてそういった想像が安易にできればできるほど、こちらもそのつらさに感情移入していまい、早く伊良部がでてこないかと思ってしまった。
しかしこんな小さな島のインフラが整っているのもその激しい選挙合戦の結果であり、なにもしなければただの寂れた島になってしまうんだという訴えには、目から鱗が落ちた。東京都でありながら都会としての恩恵に与れないからこそ、彼らが言う「不正は正当防衛だ」という言葉につながるのだろう。過激かもしれないが、これはその島に生きる人たちの本音であり叫びだと思う。
短編でありながら映画にもなりそうな濃い物語であった上に、いつも子供のように振る舞い、何をされても答えない伊良部が初めてここですこし弱ってしまうという珍しいところがある。それは運動会に行きたくない子供の域を超えないものだったが、違う面を見れて面白かった、というよりは何かからかいたくなってしまった。
やはり伊良部シリーズは面白い。もう一度「イン・ザ・プール」読んでみようかな。
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