炭坑の町が終わりビリーの人生がはじまる - リトル・ダンサーの感想

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炭坑の町が終わりビリーの人生がはじまる

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

世界を広げてくれた映画

高校のころ、学校帰りに、友人と観にいった映画だった。どうして、この映画を一緒に観ようと思ったのか、きっかけや理由をはっきりと覚えていないが、イギリスの作品だということ、アカデミー賞をとったことなどの、予備知識はなかったと思う。そうでなければ、観おわってから、あんなに熱狂しなかった。今から思えば、アメリカ以外の映画をまともに観たのははじめてだったし、アクションやコメディーなどエンターテイメントを謳うものではなく、芸術性が高く個人的嗜好の強い作品には、それまで触れたことがなく、新鮮だったというのもあるし、出会ってなかっただけで、こういうミニシアター系の作品が好みだったのだろう。ふだんから映画はよく観ていた友人も、「音楽がかっこいい!」「主役の子がすごい!」「時間があっという間だった!」と熱く語っていたから、自分と同じような新鮮さを覚えたと思われ、帰りのバスの中では、ずっと二人で熱に浮かされたように、映画について話していた。そのなかで、二人して、首を傾げることがあった。「外国って、あんなところなのかな?」と。
学校で、外国の名前や、文化、歴史など学んではいたし、テレビや本で、その様子は知れた。でも、そこに地に足をつけて暮らす人の、生きた姿を見たのは、これがはじめてのように思う。それまでは、漠然と外国の人も、自分たちのように生活しているものと思っていた。今日とあまり変わらないような明日がくるのを、疑わない日々を送っていると。紛争があったり、食うものに困って、明日が迎えられるか、分からない国があるのを、知っていたはずだが、情報や知識だけ頭にいれているだけでは、フィクションの世界のことのように思えるらしい。情報や知識に比べて、映画のほうがフィクションといえるとはいえ、自分にすれば、作品にでてきた家族のことが他人事に思えず、観たあとは、もし自分だったらとか、比べて自分がいかに恵まれた環境と時代にいるのかとか、いろいろと考えさせられたものだ。

時代が変わっていくことの不安と切なさ

舞台は昔のイギリスの炭坑の町。町の家のほとんどが、炭坑に関わる仕事に携わっていて、生まれてきた男の子もまた、当たり前のように、炭坑に入るような町だった。が、おそらく石炭から石油に主要エネルギーが移行していたころ、政治的な思惑もあって、イギリス国内の炭坑はどんどん閉鎖されていっていた。死ぬまで炭坑で働き、それ以外の生き方は考えられないといった人々は、ストなどをして、時代の流れに反抗しようとしていたが、石炭に未来がないことは、あきらかだった。炭坑の町で暮らす、子供を抱える家族にすれば、収入は減るし、そのうち炭坑での仕事をもくしそうだしと、さぞかし不安だっただろう。炭坑の町で、骨を埋めるつもりだったろう、多くの炭坑夫であり、父親が、今更、生きかたを変えるのは難しい。かといって、炭坑の町にいつづけても、家族を路頭に迷わせるだけだ。この町の炭坑夫は、団結して雇い主や政治家に立ち向かうポーズをとりつつ、どうするか決めかねて、その決断をずるずると引き延ばしていた。
そうやって、先行きの見えない不安に苦しんでいたわけだが、ビリーの父親は、とくに頭を悩ませていたと思う。奥さんであり、ビリーの母親を亡くしていたからだ。そのせいか、母親がいないからといって、哀れまれるような、弱い男に思われてはいけないとの、思いが強く、男らしく育てることに、こだわっている。炭坑の町の男としての生き方が、正しいと疑っていないせいもあるが、皮肉にもビリーは、逆の生き方を選ぼうとする。父親への反抗や反発というより、無意識に悟っていたからではないかと思う。炭坑の町の男として正しい生き方は、これからの時代に、通用しないことを。それは、自分の人生を間違った方向に導いてしまうことを、だ。

永遠に変わらない正しさはい

息子が、ひそかにバレエを習っていることを知り、激怒して、二度と練習に行かないことを約束させた父親だったが、ビリーの踊りを一目見て、態度を一変させる。あれほど頑なにしていたストをやめて、ビリーがバレエをつづけられるよう稼ぐために、裏切り者と罵られようと、炭坑に入り、周りから募金を集めて、オーディションにもついていく。この、にわかな豹変ぶりは、拍子抜けするほどだが、もともと父親は、生き方を変える必要性を、ほかの人より、現実的に感じていたのかもしれない。奥さんを亡くしたことで、炭坑にこだわっていては、息子をまともに食わせられなかったり、病気になっても、お金を出せてやれなかったりして、また家族を失くすことなるのではないかと、なんとか、それを避けたいと思うようになったのだろう。ただ、生き方を変える一歩をなかなか踏みだせず、長男を裏切ることや、周りの同調圧力から逃れられずにいた。だから、ビリーの踊りを見て、心変わりをしたのは、その才能に衝撃を受けたからではなく、必死に変わろうとし、勇気をふりしぼって踊ってみせた息子に比べて、いかに自分が臆病か思い知らされ、そして、自分もまた、負けずに変わりたいと思ったからだと思う。
親が子供を守り助けるだけはない。親も子供に救われ、背中を押してもらうことがあるのだ。この映画では、外国に暮らす人の息遣いを感じられたとともに、そんな親子の関係の妙味を教えてもらった。

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他のレビュアーの感想・評価

リトルダンサー

この作品の主人公はとにかく情熱的だ。男の子なのにバレエをやっている、そう周りから見られてもお構いなし。だって自分はバレエに夢中だから!この作品を私は大人になってから(20代前半)観たのだが、就職したばかりで夢と現実のギャップに落ち込んでいた。だから主人公の何か(バレエ)を純粋に愛し、それに伴う情熱に衝撃が走った。この物語は疲れ切った大人に、忘れかけていた人生の楽しさと情熱を再提起してくれる映画だと感じた。また、主人公ビリーの父親と兄もなかなかの愛情深い人達であり、その点も心がじんわりと温まった。貧しい生活の中、二人は炭鉱での仕事をストライキしていた。だが、とうとうビリーの夢のために父親はストライキを放棄する決断をするのだ。なぜなら、「自分達には未来がないが、ビリーはまだ11歳、まだまだ未来はあるからだ」と泣きながら言っていた父親の姿に感動した。めでたくビリーがバレエの学校に受かり、、、これで映...この感想を読む

3.53.5
  • hearlohearlo
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  • 569文字

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