炭坑の町が終わりビリーの人生がはじまる
世界を広げてくれた映画
高校のころ、学校帰りに、友人と観にいった映画だった。どうして、この映画を一緒に観ようと思ったのか、きっかけや理由をはっきりと覚えていないが、イギリスの作品だということ、アカデミー賞をとったことなどの、予備知識はなかったと思う。そうでなければ、観おわってから、あんなに熱狂しなかった。今から思えば、アメリカ以外の映画をまともに観たのははじめてだったし、アクションやコメディーなどエンターテイメントを謳うものではなく、芸術性が高く個人的嗜好の強い作品には、それまで触れたことがなく、新鮮だったというのもあるし、出会ってなかっただけで、こういうミニシアター系の作品が好みだったのだろう。ふだんから映画はよく観ていた友人も、「音楽がかっこいい!」「主役の子がすごい!」「時間があっという間だった!」と熱く語っていたから、自分と同じような新鮮さを覚えたと思われ、帰りのバスの中では、ずっと二人で熱に浮かされたように、映画について話していた。そのなかで、二人して、首を傾げることがあった。「外国って、あんなところなのかな?」と。
学校で、外国の名前や、文化、歴史など学んではいたし、テレビや本で、その様子は知れた。でも、そこに地に足をつけて暮らす人の、生きた姿を見たのは、これがはじめてのように思う。それまでは、漠然と外国の人も、自分たちのように生活しているものと思っていた。今日とあまり変わらないような明日がくるのを、疑わない日々を送っていると。紛争があったり、食うものに困って、明日が迎えられるか、分からない国があるのを、知っていたはずだが、情報や知識だけ頭にいれているだけでは、フィクションの世界のことのように思えるらしい。情報や知識に比べて、映画のほうがフィクションといえるとはいえ、自分にすれば、作品にでてきた家族のことが他人事に思えず、観たあとは、もし自分だったらとか、比べて自分がいかに恵まれた環境と時代にいるのかとか、いろいろと考えさせられたものだ。
時代が変わっていくことの不安と切なさ
舞台は昔のイギリスの炭坑の町。町の家のほとんどが、炭坑に関わる仕事に携わっていて、生まれてきた男の子もまた、当たり前のように、炭坑に入るような町だった。が、おそらく石炭から石油に主要エネルギーが移行していたころ、政治的な思惑もあって、イギリス国内の炭坑はどんどん閉鎖されていっていた。死ぬまで炭坑で働き、それ以外の生き方は考えられないといった人々は、ストなどをして、時代の流れに反抗しようとしていたが、石炭に未来がないことは、あきらかだった。炭坑の町で暮らす、子供を抱える家族にすれば、収入は減るし、そのうち炭坑での仕事をもくしそうだしと、さぞかし不安だっただろう。炭坑の町で、骨を埋めるつもりだったろう、多くの炭坑夫であり、父親が、今更、生きかたを変えるのは難しい。かといって、炭坑の町にいつづけても、家族を路頭に迷わせるだけだ。この町の炭坑夫は、団結して雇い主や政治家に立ち向かうポーズをとりつつ、どうするか決めかねて、その決断をずるずると引き延ばしていた。
そうやって、先行きの見えない不安に苦しんでいたわけだが、ビリーの父親は、とくに頭を悩ませていたと思う。奥さんであり、ビリーの母親を亡くしていたからだ。そのせいか、母親がいないからといって、哀れまれるような、弱い男に思われてはいけないとの、思いが強く、男らしく育てることに、こだわっている。炭坑の町の男としての生き方が、正しいと疑っていないせいもあるが、皮肉にもビリーは、逆の生き方を選ぼうとする。父親への反抗や反発というより、無意識に悟っていたからではないかと思う。炭坑の町の男として正しい生き方は、これからの時代に、通用しないことを。それは、自分の人生を間違った方向に導いてしまうことを、だ。
永遠に変わらない正しさはい
息子が、ひそかにバレエを習っていることを知り、激怒して、二度と練習に行かないことを約束させた父親だったが、ビリーの踊りを一目見て、態度を一変させる。あれほど頑なにしていたストをやめて、ビリーがバレエをつづけられるよう稼ぐために、裏切り者と罵られようと、炭坑に入り、周りから募金を集めて、オーディションにもついていく。この、にわかな豹変ぶりは、拍子抜けするほどだが、もともと父親は、生き方を変える必要性を、ほかの人より、現実的に感じていたのかもしれない。奥さんを亡くしたことで、炭坑にこだわっていては、息子をまともに食わせられなかったり、病気になっても、お金を出せてやれなかったりして、また家族を失くすことなるのではないかと、なんとか、それを避けたいと思うようになったのだろう。ただ、生き方を変える一歩をなかなか踏みだせず、長男を裏切ることや、周りの同調圧力から逃れられずにいた。だから、ビリーの踊りを見て、心変わりをしたのは、その才能に衝撃を受けたからではなく、必死に変わろうとし、勇気をふりしぼって踊ってみせた息子に比べて、いかに自分が臆病か思い知らされ、そして、自分もまた、負けずに変わりたいと思ったからだと思う。
親が子供を守り助けるだけはない。親も子供に救われ、背中を押してもらうことがあるのだ。この映画では、外国に暮らす人の息遣いを感じられたとともに、そんな親子の関係の妙味を教えてもらった。
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