恐怖の天才的政治家と秘書の12日間 - ヒトラー 〜最期の12日間〜の感想

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恐怖の天才的政治家と秘書の12日間

4.54.5
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
4.0
音楽
4.0
演出
4.0

目次

総統官邸とドイツ連邦議会議事堂の距離

覚えている限り好んでドイツ映画を観たという記憶は無い。youtubeで見かけたパロディには笑えたが、この映画にもそれほどの関心はなかった。というのも、日本では歴史解釈の偏りが見直されはじめ、むしろ勢いが付きすぎて右傾化しているとまで言われているのに、日本と比べ戦後処理に成功したと評されるドイツでは、未だにアドルフ・ヒトラーによるナチ党政権下の史実が禁忌とされていると聞いたことがあるからだ。そんな表現の不自由な国の歴史映画なら、観ても時間の無駄だ。

この映画を思い出したきっかけは、少し独裁者的なアメリカ新大統領の登場と、ドイツの首都ベルリンにある連邦議会の議事堂について調べる機会が重なったことによる。1933年(昭和8年)にヒトラーが首相就任した翌月、有名な放火事件が起きた場所だ。犯人はすぐに捕まったが、ヒトラーがこれを言論統制や共産主義者の排除に利用し、国会権力の掌握に成功した。悲劇的なドイツの歴史が始まった場所ということだ。

現在の連邦議会議事堂は、ガラスのドームをもつルネッサンス様式の建築物だ。この映画の舞台となった総統地下壕のある総統官邸の中庭から、わずか1キロの場所に建っている。映画はおもに1943年に新設された総統官邸の新地下壕を舞台に展開しているが、最初の場面は当時“狼の砦”と呼ばれた総統大本営から始まっている。モグラの巣のように複雑に張り巡らされた通路を人が移動する描写からは否応なく湿度や閉塞感が感じられ、あっという間に感情移入してしまう。

いったいどれほどの広さがあったのかと調べたら、放火事件から2年後の1935年に建設されたこの壕は、戦況の悪化にともなってより高機能なスペースが増設された。最終的には30の部屋があり、新しい地下壕と既存の地下壕は階段で接続されていたそうだ。映画ではよく表現されていたと感心した。決して美しいとは言えない市街戦の光景にも臨場感があり、実際ほど長さを感じなかった。演出や脚本が良かったからだと思う。星がひとつずつ少ないのは、テーマ上仕方のないことだが「感動しない」というのが理由だ。

天才の人格

ある時はナポレオンをも凌ぐカリスマ的指導者として、ある時はチョビ髭の滑稽な独裁者として演じられるヒトラーだが、まるで現代の悪魔のように評される彼の人格とはどのようなものだったのか。映画の中の独裁者は、狼の砦での面接シーンで秘書候補の若い女性たちに対して、まるで自分の娘に接するように目線を合わせる。何といっても、どん底状態だったドイツをわずか数年で見事に復活させた天才的なカリスマ指導者だ。若い女性たちのミーハーぶりも、実際こんな感じだったのだろうと思える自然なシーンだった。

しかし、ヒトラーの言葉をタイピングするトラウドゥル嬢(ユンゲさん)の表情から緊張感が伝わってくると、カリスマに対する恐怖が湧きあがる。もしかすると経験の乏しい秘書候補に苛立ち、激高するのではないか。犬が飛びかかるのではないか。ここで最初の銃声が響くのかと短い時間に色々と想像しする。それは本能ともいうべき深い所から浮かび上がってくる感情だ。

人間の「社会性」と呼ばれるものは、これほど暗くネガティブな所から生まれてくるのかと感じた。緊張したトラウドゥルが面接室から出てきたときはホッとしたし、合格したと聞いてうれしかった。欧州ではこの映画ではヒトラーの人格が美化されているという的外れな批判もあったと聞く。では一体どのように描かれるべきだったのか。想像できることの多くは、条件さえ整えば誰にでも実行され得るのではないだろうか。

再考されるべき戦争犯罪

そのような批判こそ、却ってそれが人類共通の罪であることを証しているようにも感じられる。個人を悪魔に仕立て上げることで物事の本質から目を逸らすというやり方は、そろそろ終わりにしたい。決して見たくないと決めているものの正体を、自分の目で見極めるときなのだ。ひと昔前には悪魔と呼ばれたヒトラーという怪物に、どれだけ自分自身を投影できるか。新しい時代の歴史認識はそんな風でありたいと感じた。

当時さまざまな問題を抱えていたドイツを救い、600万人ともいわれる人々を虐殺したヒトラーというカリスマの生涯に関心を持つ人は少なくないだろう。ヒトラーが自害する直前に結婚したという長年の愛人エヴァ・ブラウンは、映画の中でも「よくわからない人」と言っている。日本神話の時代なら、「神」と呼ばれたのかもしれない。一説によればヒトラーのIQは150を超えたともいわれ、親衛隊にもIQの高いものが多かった。

いくつかの病気に苦しんでいたという終盤のヒトラーは、確かに正常な判断はできなかったかもしれないが、おそらく狂人ではなかった。この天才の歯車を狂わせたのは「孤独」だったのではないかとも想像している。「市民が犠牲になったとしても自業自得だ」といったヒトラーの言葉の真意は、現代では受け入れられないかもしれないが、もっと先には正論として認識されるのだろう。その頃には、「ヒトラーのカリスマ性が良い方向に生かされていれば」などという人も居なくなっているかもしれない。

さまざまな人間模様に共通するもの

ヒトラーは映画の中で、アルバイトで秘書になったトラウドゥルをはじめ、幕僚を除く地下壕の住人に避難を勧めている。それを断ったトラウドゥル嬢は、自身について熱心なナチ党員ではなかったと述べ、ヒトラーと最後まで運命を共にすると決めた理由を「自分でもよくわからない」と語っている。映画の中では触れられていないが、彼女は熱心なナチ党協力者の家に育った人物であり、その縁で秘書の話を引き受けたらしい。

わたしは最近、スコセッシ監督の「沈黙~サイレンス~」を劇場で観たばかりなので、彼女のその時の心境を江戸時代の隠れキリシタンに重ねて見ていた。IQ150の人格を理解することは難しくても、それ以外の登場人物の心理なら想像することはできる。トラウドゥルは映画冒頭の回想で、ヒトラーの秘書だった当時の自分の認識を“若さゆえの愚かな過ち”と振り返っているが、それは犠牲になった多くの人たちの命の重さを自覚してのことであり、当時の本心ではなかったと思う。

むしろ若かったから自分の気持ちに正直になれたし、素直に行動することができた。少なくとも隠れキリシタンほどには屈折していなかった筈だ。第三帝国の理想が潰えた後の世界では生きる価値がないとして6人のわが子を毒殺したマクダ・ゲッベルス然り、彼らが信じていたのは「容姿端麗で知能が高く、運動能力に優れたアーリア人種が世界を支配するべき」とするヒトラーの理想だったと思う。

まとめ

人が常に自己の優位性を意識するのは、おそらくそれが本能だからだ。ナチ政権の初期に熱狂した人の多くが次第についていけなくなり、関わり合いになりたくないと感じるようになったのは、その陰で多くのユダヤ人が社会的弱者が虐待されているという事実を知ったからだ。人間は感情に振り回される愚かな生きものだけれど、理性も持っている。

しかし、トラウドゥルは恐ろしい大虐殺の事実を知らなかったし、知っていれば秘書になっていなかったと述べている。つまり、知識がなければ理性の出る幕はないのだ。映画を観終わって感じたのは、戦争に対する間違った反省はあまり意味がないということだ。間違った反省とは、とりもなおさず正しい知識に基づかない認識だ。

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ヒトラー~最後の12日間~

ヒトラーとの出会い誰もが知っているドイツのヒトラー。独裁政治、ガス室、無情な惨殺など彼のことを描いた作品は多くあると思います。私がヒトラーを知ったのは「アンネの日記」からでした。当時学校の読書感想文の推薦図書としてあげられており、母親からすすめられた1冊でもありました。そこからヒトラーの行ってきたユダヤ人迫害について興味をもち、ヒトラーを題材とした映画をいくつか見てきました。ヒトラーといえばユダヤ人に卍のマークをつけさせ、利用できる施設を制限したり、迫害を行ったことでしょうか。戦争が激化するとユダヤ人への迫害はさらにエスカレートし、強制労働をさせたり、見つけ出しては収容所へ送り、年寄りや女、子供は風呂に入れてあげるといってガス室に送り大量虐殺を行いました。ユダヤ人をかくまった者へも罰がくだされ、密告するとお金がもらえるので裏切る人も少なくなかったでしょう。ヒトラー側からの目線で描かれた...この感想を読む

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