ヒトラー~最後の12日間~
目次
ヒトラーとの出会い
誰もが知っているドイツのヒトラー。独裁政治、ガス室、無情な惨殺など彼のことを描いた作品は多くあると思います。私がヒトラーを知ったのは「アンネの日記」からでした。当時学校の読書感想文の推薦図書としてあげられており、母親からすすめられた1冊でもありました。そこからヒトラーの行ってきたユダヤ人迫害について興味をもち、ヒトラーを題材とした映画をいくつか見てきました。
ヒトラーといえば
ユダヤ人に卍のマークをつけさせ、利用できる施設を制限したり、迫害を行ったことでしょうか。戦争が激化するとユダヤ人への迫害はさらにエスカレートし、強制労働をさせたり、見つけ出しては収容所へ送り、年寄りや女、子供は風呂に入れてあげるといってガス室に送り大量虐殺を行いました。ユダヤ人をかくまった者へも罰がくだされ、密告するとお金がもらえるので裏切る人も少なくなかったでしょう。
ヒトラー側からの目線で描かれた映画
ヒトラーの映画は彼のことを描いているようでそうでない気がしていました。どちらかというと、ヒトラーを通して威力を持った部下たちの横暴さが前面に出ており、その部下たちに見つかって路上でなんとなく気分で射殺したり、劣悪な環境で働かされる人々に焦点を当てたり、ヒトラーと戦う人にスポットが当たり、ヒトラー自身を詳しく描いた映画はあまり多くないように思います。あったとしても極悪非道な過去の行いが全面に出ていてヒトラーの人間味の部分がわかるようなエピソードやヒトラーからの目線で描かれた映画は数少ないようと思います。この映画はまさにヒトラー自身に焦点をあてた作品。ユダヤ人に対して無慈悲に虐殺してきたヒトラーにも普通の人間としての一面があるということを思い知らされる映画となっているのです。
当然だがヒトラーにも愛した人はいる
ヒトラーには愛した人も当然います。今思えば当たり前かもしれませんが、数々の映画や本を読んだ私にはこの映画を見るまで気づくことが出来ませんでした。私の中でこんなことが本当にあったのかと目を疑うような映像しかなかったからです。想像することと言えば、「もし自分があの時代に、あの場所にいたらどうしていただろうか?」「子供だったらぼっとんトイレの中に隠れていられただろうか?」「死にたいと思わなかっただろうか?」「子供を守れただろうか」ということくらいでした。
この映画の中でヒトラーは自分が大事だと思った人に対してはヒトラーなりの愛情を示していたように感じられました。今まで見てきたヒトラーの映画とは全く違い、私は始終「ヒトラーもみんなと同じじゃん」と思わずにはいられなかったのでした。ヒトラーの傍で働く女性たちにも真摯で優しく、彼女たちもヒトラーを尊敬のまなざしで見ていました。その光景は、会社でお菓子を配ってくれる優しい上司にしか見えませんでした。
ヒトラーの顔
戦争の話になるとヒトラーの表情はガラッと変わります。簡単には近づけないオーラがぐっと出てくるのです。雄弁で言葉巧みに聞いている者がすんなり賛同してしまうほど説得力があり、指導者として秀でているのがわかる堂々とした姿でした。演説が得意で人を引き付ける力があったからこそ、ここまでのし上がってこれたというのがわかります。そんなヒトラーの背景を映し出していました。「機嫌を損ねたら躊躇なく殺される」という私が抱いているヒトラーの一面が戻ってくる瞬間でもありました。
ヒトラーの最後とは
戦線が不利になるとヒトラーは敗戦を覚悟し自殺を決意。その前に結婚式をあげます。それはかつて力を自分の手に収めた者の結婚式とは思えないほどささやかでしたが私の目には二人とも満足しているようにみえました。あんなに極悪な人間が一人の人を想い、尽くせるとは想像もしませんでした。その後地下の狭い密室の中で2人手を取り合って自殺を図りますがこれは知ろうとしなかったらわからないことだと思います。私はヒトラーがしてきたこと、それで苦しんだ人のこと、戦おうとした人のコト、ユダヤ人を守ろうとした人のことはなんとなく知っていはいましたが、ヒトラーが最後にどんな風に亡くなったのか、この映画で初めて知りました。自分の想像とは違っていて驚いたことを覚えています。
ヒトラーの身近にいた人物の決断
この映画の中でヒトラーの身近にいた人物の話も出てきます。ヒトラーの敗北を受け一緒に自殺を決意した男、ゲッペルスというドイツの政治家です。ヒトラーと活動していた為、敗北後自分たちも処刑されることは目に見えていたでしょうし、なによりヒトラーと同じ思想を持っていること、信念や精神がそうさせたのかもしれません。今まで至福を肥やしてきたのですから当然の報いだ!と思っていた私ですが、このあとの決断に度肝をぬかれることとなるのでした。
至福を肥やしヒトラーと共に歩んだことへの罪
この夫婦には当時6人の子供がいました。子供たちがなんとか苦しまずに死ねる方法はないか…妻に持ち掛けられ、医者からもらった薬で自分たちの子供を殺害することになります。夫婦で話し合うシーンは苛立つ気持ちや感情を抑えきれずに大声をだしてしまうシーン、子供に聞かれないように話さなければいけない葛藤、今までの行いの後悔などが伺え緊張感がありました。このあとどうなるのか引き込まれ自分ならどうしただろうかと考えずにはいられませんでした。
本当の意味で強いのはやっぱり女性?
子供たちに睡眠薬の入った飲み物を飲ませ、寝静まったころ寝室に向かうゲッペルス夫婦。事を起こすのは夫ではなく妻でした。2段ベッドへ向かいカプセルを子供の奥歯にはさみました。頭とあごを手でぐっと抑え「カリッ」という音とともに子供の首だだらっとたれ、即死したことがわかる場面では本当に苦しくなりました。この音が死を意味するのです。妻は手をとめずにどんどん事を終わらせていきました。最後に一番年齢の大きい女の子が気づいてしまい抵抗する子供をなだめながら、それでも強い力で薬をかませるシーンは今でも強烈に覚えています。一見残虐ではありますがヒトラーに関わった者の宿命として、この方法が一番いいと決断したのかと当時は思いました。今でもこの選択をした理由は私にはわかりません。他に方法がなかったのか、どうして逃げなかったのか…?戦時を生きていた人でしかわからない何かがあるのでしょう。妻は夫の顔を一瞬軽蔑した目でみるとその場を後にします。嫌な役回りをすべき夫の惨めさが浮き彫りになる瞬間でした。
その後
ゲッペルス夫妻はお互い無言で向き合って最後の時を待ちます。夫は妻に銃を向けまっすぐこちらを見つめる妻に向かって発砲したあと、2発目の銃声が響き渡ると部下たちがガソリンタンクを持って木の陰から駆け寄り遺体を燃やすのでした。
今もある意味同じかもしれない
ゲッペルス一家がもし逃げきれたとしても国民感情としては許せないと思います。弱きものもまとまると大きな力を持ちます。ヒトラー亡きあと、この弱き大きな力をもってすれば仕返しをされたかもしれません。当時はSNSはありませんが今も昔も世の意見というのは、まとまってしまうと凶器になります。子供たちがその標的になることを考えるとどういう判断が一番よいのか、どう決断すべきかわからなくなります。お国の為…そういった感情は当時、日本だけでなく海外でも同じだったようです。それが素晴らしことで名誉であると信じて疑わない思想。なんでも手に入る私たちにはどんなに考えても理解出来るものではないのかもしれません。
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