音を感じない静謐さの漂う短編集
第一印象をくつがえした「鉄橋」
吉村昭を初めて知ったのはこの「星への旅」だった。図書館で不要になった書籍を譲ってくれるという機会があり、そこで手に入れた数あるうちの一冊だった。そうやって手に入れた本によくあるように、パラパラとめくった後しばらく我が家の本棚で眠ったままになっていた。この本を取り出して読んだのはそれから大分たった後だったけど、それを後悔したくらいたちまちこの本の世界感のとりこになってしまった。始めパラパラめくって本棚に戻したのには訳があり、一番最初に収められている「鉄橋」という話は、主人公がボクサーだったことにつきる。私はあまりスポーツなどをテーマにした小説を好まないのもあり、当時の私はボクサーという文字を目にした途端読む気をなくしたのだと思う。でもきちんと読んでみると確かに物語のテーマの一つはそれであるけれども、それ以外にも多くの要素を含んだ話で、緻密な描写で書き込まれている。特に列車が鉄橋を渡ってくる描写など秀逸で、その列車が照らし出す光の移動などが鮮明に想像できる。でもここまでの時点ではそれ以上のものではなかった。この短編集の本質はむしろここからの物語にあると思う。
自らの死体に寄り添う少女の魂
この短編集は全部で6つの短編が収められている。私が一番心を揺さぶられたのは「少女架刑」で、次は「透明標本」と続く。死んだ少女が解剖されて墓に納められる様を描いているのだけど少女の魂は常にそこにあり、自分にされることすべてを観察している。彼女は嘆きも涙もなく、時々羞恥を感じるだけで、淡々と時がすぎていくうち自らの体はどんどんバラバラにされていく。血管にホルマリン液を通され、内蔵を抜かれ、生きていたときの体からかけ離れていくにつれ、彼女自身なにかから救われていくような感じを受けた。生きていたころからあまり幸せそうではなかったけれど、こうなって初めて彼女は自由と静かさを手に入れたのかもしれないと思ったが、読み進めるとそうではないことに気づく。最後彼女は火葬にされ骨壷に納められてさえ、そのお堂の中の骨壷たちが壊れていく音におびえる。解剖が進むにつれ、本来の年よりも幼くなっていくような印象を受けたけれども、特にこの最後のシーンではまるで幼子のような、守ってやりたいような感じを受ける。最後の最後まで幸せではないのかという哀しさを、わずかな自由を得られただろうという気持ちで相殺しても、哀しさのほうが上回るような切ないラストだった。
この物語は大きな出来事も感情を露にするような部分もなにもないのに、そこからつむぎだされる文章に音はまったくなく、また架刑というような過激な言葉を使っているのにもかかわらず、全体的に清らかな静謐さを感じる。それは物語の始めから終わりまで変わることなく続く。唯一音の描写が細かくされているところがある。それが彼女がおびえた、自らの骨壷が納められたお堂の中で他の骨壷の骨が崩れていく様なのだけど、その音の描写があってさえ、その静かさが崩れることはない。むしろそれ以上に今までの静謐さを際立たせるというか、まるで雪がどんどん音もなく積もっていくような、そんな感じさえした。
一つの作業に取り付かれた男
人間の骨を限りなく透明に近づけて標本を作りたいという男の物語で、これも様々な遺体を解体していく様が緻密に描写されている。解体の様子はあまりにも手際がよく無駄がなく、それらの遺体にはかつて生きて動いていたということはまったく感じられない。むしろ研究対象としての扱いしか感じられないところが、そこの解剖室で働く人たちの日常の日々を彷彿とさせる。
この物語の主人公はあくまで骨を透明にすることのみに心血を注いでいて、その様は気難しい職人気質そのままなため周りとも衝突を起こすが、これの主人公の気持ちはなんとなくわかる気がする。自分が目をつけて手に入れるはずのものが、なにかよくわからない力に流されて手に入れられないときの悔しさは誰でも感じることだと思う。この人にとってはそれが人の骨であるから、執着すればするほどその異常さが際立ってしまうに違いない。たとえ解剖室で働いていてもそれは目立つものだと思う。それだけその研究に執着し、骨を愛する(時には生きている人間の骨格を想像したりするほどに)気持ちに他ならない。そういった職人特有というか、技術者特有というかそういう信念に個人的には憧れを感じたりする。
またこの男の作る透明な骨の描写は素晴らしく、見たこともないのに見たことがあるような気に(きっとガラス細工のように繊細でアメ細工のように壊れやすくといったイメージさえ浮かんだ)させるくらいのものだった。その描写とは対照的に、骨を取り出し透明化させるまでの作業の描写もあるのだけど、不思議とそれの臭いや形といったものは切り取られたようにあまり感じずに脳内に映像化される。決してそのあたりの描写がお粗末というわけでもないのに、この感じ方は不思議な気がする。もし作者の意図的なものだとしたら脱帽としか言いようがない。
最後義理の娘が死んだあたりはいささか急速だったように思うが、時代が時代なのでそういうものなのかもしれない。彼はその骨で望みどおりのものを仕上げることができたのか想像させる終わり方は、この物語としては最高の終わり方だと思う。
集団自殺を企てる少年たち
この短編集のタイトルにもなっているこの話は、ただ退屈なまま無力なままなんとなく集まった若者たちが集団自殺を行うところまでを描いている。この若者たちも本当にただのどこにでもいる若者たちで、死にたいと思うような闇を抱えているものもいるにはいたが、それほどの深刻ささえもなく旅行を楽しむように移動していく。皮肉なことに、そのように知り合ったもの同士と時間を過ごすことによって今までなかった楽しさや友情を感じ、それまでの心の隙を埋めるようにその仲間たちに依存していく。主人公の若者は特にぶらりぶらりと生きてきた者で、このような集団自殺を目的とした集団に属していながらも、「本当はそんなことしないだろう」という気持ちを最後までもっていた。そして楽しい気持ちをつぶしてしまうかもといった些細な恐れから、断れば断れる状況はいくらでもあったのに断れず(そして本当はそんなことしないだろうという根拠のない希望的観測もあったのは疑いがない)、皆と数珠繋ぎにロープにつながら断崖から落ちていってしまった瞬間、本当に声がでそうになった。死ぬと決めていたならまだしも、なんだかよくわからないまま流されてしまった彼に一瞬自分を重ねてしまったような、そんな気さえした。
この物語はそういう意味で後味がかなり悪い。私自身もトラウマレベルのダメージを受けた。そういう意味でこの物語だけは、飛ばして読むことが多い。
死をテーマにして描く物語の最高峰
この物語のベースにはすべて死というものがある。その描写は感情を爆発させるような激しいものでなく、限りなく静かで真空状態のように音のないものになっている。この音のなさを感じられることによって、日常の疲れが取り除かれるような気がする。それはまるで上質な映画を観た後のような、なにか心の中のいらないものが消えて綺麗なものが入ったような、そんな感じを与えてくれる。吉村昭の本は他にも読んだけど、この「星への旅」ほど衝撃的な作品にはまだ出会えていない。初めて読んだのがこの本で本当に良かったと思える一冊である。
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