浦沢直樹ならではの闇が詰め込まれた作品
海野幸を取り巻く不運と闇
冒頭から読者をひっぱり込むストーリー展開はさすがだと思う。スポーツ漫画でここまでどん底から始まる作品はそうはないのではないか。主人公の海野幸はバイトをしながら3人の弟妹を育てている。ただでさえ貧乏生活を送っている中(その生活の中で特徴的に描かれるのは、時に「具がない」と言われるカレー。これは食べてみたいマンガの中の食べ物のひとつだ)いきなり2億5千万もの借金を背負わされて風俗に行かなくてはいけないところまで追い詰められる。そして、その借金をテニスの試合での賞金で返そうと決意した海野幸の壮絶(と言ってもいいと思う)な生き方が始まっていのだが…。もともとテニスのずば抜けた才能がありながら、両親の死によって諦めざるを得なかったという闘志に火がついたというのも借金というのは皮肉な話だが、いくら才能があってもテニスで稼ぐなんて並大抵のことではないことくらい素人にも分かる。なのにその上、幸という主人公の周りには「いい人」がいない。何をしてもどうあがいても、どんどん悪い方向に流れてしまうストーリーに、スポーツものとしては闇すぎるんじゃないかと思ったりした。登場人物以外でも、試合を観戦している客さえも悪意のかたまりになってしまうという救いようのなさ。またこの観客を上手にコントロールしている竜ヶ崎蝶子の底の見えない意地の悪さは、ある意味素晴らしい。常に相手の一歩先を読み罠をしかけるところなど、まるでテニスの試合のような感じさえする。個人的には蝶子はそんなに嫌いではない(最後の開きなおりがあってこそだけど)。ただ気になるのは、蝶子の悪意の強さはよくわかるしその原動力も理解できるのだけど、テニスクラブの会員や観客などもあれほど簡単に操作されてしまうのかということ。蝶子は確かにスタープレイヤーで魅力もあるし、それにあくまで外見は可愛らしい。それでもあそこまで皆同じように操作されるのかは少し疑問に思った(もちろん大衆心理というのもあるかもだけど)。しかしそういった疑問は忘れてしまうくらい強いストーリー展開で最後まで読み進めてしまう。
浦沢マンガ史上最悪の女 竜ヶ崎蝶子
彼女の意地の悪さは、浦沢直樹が描くキャラクターの中でも抜きんでている。もともと頭はいいのだと思うが、その頭の良さをすべて使い、また竜ヶ崎財閥のお嬢様であるからお金にも糸目をつけず、幸のチャンスをつぶしイメージを下げ、それと当時に自分のイメージはしっかりあげるというやり方は、相当先まで読んでいないとできることではない。前述したように、それはまるでテニスの試合運びを連想さえさせる。最後のスマッシュはここで、と言うところまで読んでいるに違いない彼女の執念深さは、ストーリーに締まりを与えている。あと秀逸なのは「キャキャキャ」の笑い方。スタープレイヤーとして正統派アイドルのような表向きの顔での笑い方と、幸を貶めていく闇のほうの蝶子の笑い方の表現が一緒というのがすごい。そしてそれはあえて同じ表現にすることで、より蝶子自身に深い闇を感じることができる様にも思う。
また、時々みせる演技でない悲しげな表情。その原因からまた幸への憎悪が深まっていくのだけど、時々見せるあの顔こそが蝶子がもっている善だと思う。
「YAWARA!」と「HAPPY!」
浦沢直樹のマンガでありスポーツ題材である以上、この2つを比較しないわけにはいかない。「YAWARA!」はもちろん読んで面白いマンガだった(浦沢直樹にしてはエンディングに無理がなかったし)。もともと圧倒的に強い主人公が投げて投げて、みんな彼女を応援して、倒す相手がどんどん強くなって…といった実にわかりやすいストーリーで、いいんだけど、少し物足りなさを感じたのも事実。だからこのマンガで一番好きだったのは本阿弥さやかだった(いくら努力しても柔に勝つことができない彼女の涙は本物だった。さやかが血と涙で努力して得た技は、柔は息をするようにやってしまう。いくら柔に天性の才能があったとしても、あの報われなさは絶望的だった。)ライバルとして表現されているので「HAPPY!」で言うと蝶子の立ち位置になるのか。でもさやかは意地悪ではあるけど、基本的に正々堂々としているのでそんなに悪い奴じゃない。どっちかというと邦子よりかな、蝶子は。邦子もかなり女特有のどす黒さを出していたけど、それでもやはり蝶子の徹底した悪意には適わない。
あとは主人公の違い。「YAWARA!」の柔は始めっから絶対的に強く、恵まれた環境で柔道をすることができ、また容姿も可愛らしい。「HAPPY!」幸は両親の死で一度はテニスを諦めている分ブランクがあるし、その環境はとてもじゃないが整っていない。容姿は可愛らしいはずだが、その貧乏生活のせいで磨かれていない。柔は物心ついたころから柔道をしていたため自分の意思でやっているとは思えず、一度ならずも柔道をやめたりしている。それはきっと幸にとっては贅沢な悩みと感じるだろう。幸は本来なら好きなテニスで稼ぐという生きがいとなるべきものが借金返済の手段になってしまったという、なんとも重いものを背負っているのだから。幸を取り巻く悪意に満ちた敵に該当するキャラクターは「YAWARA!」にはいない。せいぜいが邦子どまり。周りはみな柔を応援し、愛し、近づこうとする。それに比べて幸には本当になにもない。自らの弟妹3人以外によいものがないのだ。それでも少し理解者的な人は現れる。賀来菊子がその一人だった。もちろん賀来自身はいい人で、苦しむ幸の力になんとかなろうとするのだけど彼女はレズビアンだったという展開。これはきついと思う。周り悪人だらけで唯一心を許せるかと思いきや、“そういう”好意だっただなんてきつすぎる。始めっから悪人でなかっただけに、この展開はすごいと思った。さすが浦沢直樹、闇が深い。
「YAWARA!」のテレシコワと「HAPPY!」のサブリナ・ニコリッチ。この二人は比較的似ている。偶然かもしれないが、テレシコワも不安定なソ連出身で経済的には恵まれておらず、対するサブリナも家族の脱税や麻薬所持など恵まれた環境にはいない。やはり最強の立場に立つものは、こういったネガティブ要素が必要なのかもしれないと思わせる設定だ。そしてテレシコワの技の素早さや力強さは凄まじいものだったし、サブリナのサーブの大砲のような描写も鳥肌がたった。この重々しい技の力強さは、どちらのキャラクターも似ているように思う。
見ごたえのある試合の描写
前半部分の試合描写にはさほど特筆するような感じはないが(ブーイングのところ以外は。)、戦う相手が強くなればなるほど、その試合描写に目が離せなくなる。
紆余曲折を経て無事ウィンブルドンへ出場を決め、幸とサブリナが勝負するところ。幸は試合に集中するとラケットとバナナを間違えたり、会話の返事がおかしくなったり(「おいしそうですね」はよかった)する奇行がある。この設定は比較的前半にちらっと出ていたと思うのだけど、生きてくるのがことここに至ってのみというのに少し物足りなさがある。また、この試合の壮絶感は、幸がヒザを故障しているというだけでなく、十分描かれている。この壮絶感は「YAWARA!」でジョディと戦ったときの感じによく似ている(個人的にはテレシコワのほうが強さの質は上ではないかとは思うが)。試合の描写がうまいのも浦沢直樹ならではでないか。またこの人の絵がうますぎる。力がはいった腕や足、利き足の運び方、まったく無理がない。ここでパースの狂った絵をもってこられるとかなりストーリーからひいてしまうものだが(そういう絵がどれだけ多いことか)、それが一切ないからこそ試合の描写が終わったころには、息を止めてしまっていたかのようにこちらまでなぜか疲れたように感じてしまうくらいだった。
若干消化不良に感じるラスト
ボロボロになりながらもサブリナを下した幸だったが、この瞬間からなんだか不思議なことになる。周りを取り巻いていた悪意や闇がすべてなくなっていくということ。よくあるパターンではあるけど、そこに至る描写がない分若干の消化不良は否めない。そういう意味では蝶子の改心はわかるとして、鳳のおばさまの改心がどうしてもわからないのだ。確かにもっと行間の深読みをすればあるのかもしれないけど、ちょっと納得できないラストだった。あと全ての元凶である幸の兄の家康がバカすぎる。両親が亡くなる原因を作り、膨大な借金をこしらえ、のこのこと帰ってきて挙句、まだワインの商売だのなんだのというところは笑えない。でももしこれが、幸せなラストでさえ小さな闇を残していくという浦沢直樹のやり方なら、それはそれですごいと思う。
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