21世紀型スポコンアニメの過渡期のヒット作
日常系全盛の時代に現れたスポコンアニメ
この作品は2009年に放送された「無名校の新人たちが全国優勝を目指す」という、いわゆるスポコンアニメです。
2009年というと、2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」、2009年の「けいおん!」、「生徒会の一存」といった作品がほぼ同時代の作品になります。日常系といわれる作品、ライトノベル的な作品がヒットした時代ではありました。
そんななか、目的に向かってがむしゃらに突き進む「努力・根性・熱血」という属性をもったスポコンアニメ「咲-saki-」は登場しました。ただし、1960年代型のスポコンではなく21世紀型のスポコン、新しいタイプのスポコンです。
後にこの分野は「ガールズ&パンツァー」や「ラブライブ!」といった大ヒットを生むことになるのですが、当作品はその過渡期にあたる作品です。
素晴らしいアニメではあるのですが、まだ試行錯誤の段階にあり、現代のわれわれからしてみれば十分改善の余地がある、そんなアニメになっています。
このレビューでは、その部分に注目したいと思います。
京太郎っていらないよね
女の子ばかりのなか、1人だけ京太郎という男の部員がいます。これはおそらく視聴者(男)が感情移入をしやすいように男のキャラをいれているのでしょうけど、今だから言えますけど必要ないんですよね。というのも、もともと女ばかりのなかに男主人公が1人だけいるのは、ライトノベルというメディアが「主人公が女の子たちを観察して取材してそれを記したものを、読者が読む」というスタイルをとっているからです。もちろん例外はありますが、基本的にはライトノベルの主人公はカメラマンであり、インタビュアーであり記者であり、そして読者が感情移入をするための依り代です。読者の代わりに、読者が伝えたいことを女の子たちに言ったり、体を張ってラッキースケベを体験し、それをレポートするという役割を担っています。
このようなライトノベルをアニメ化すると、女の子のなかに1人だけ男がいるという状態になるわけです。
で。
アニメや漫画の場合、このような狂言まわしキャラ――1人称で女の子たちを描写するキャラ――は、媒体の特性上必要ありません。
主人公がわざわざ文章におこして、それをしゃべらなくても、女の子の見た目や仕草、表情などは視聴者・読者に伝わりますし、ラッキースケベも自由自在、どんなアングルや状況でも視聴者・読者に伝えることができるからです。
実際、同年放送の「けいおん!」は女の子のみですし、後の「ガールズ&パンツァー」や「ラブライブ!」も、ほぼ女の子しかいない世界になっています(たまに画面に映ります)。
だから京太郎はいらない――という結論なんですけれど、困ったことにこの作品は漫画が原作なんですよね。つまりライトノベルが原作だった場合は、京太郎の存在には意味があり、また活躍の場がライトノベルに限定されるけれどあったのですが、漫画が原作となると、彼の活躍の場はどこにもなく、存在意義もまったくなくなってしまうのです。
可哀想なんですけど、制作サイドもそれは分かっているようで、2016年に実写化した本作には京太郎はいません。また、当作品以降のスピンオフ作品からも男キャラはメンバーからいなくなりました。
ただ、「登場人物が女の子だけでも男の視聴者は楽しめる」――そういった作品が次々と大ヒットを出すのはこの作品の直後のことです。京太郎の犠牲は、時代背景を考えるとしかたがないことだったのです。きっと。
スポコンから努力と根性と熱血を抜こう
スポコンというジャンルは、歴史が古く、1960年代あたりからテレビドラマや漫画で人気を博しはじめます。「サインはV」や「巨人の星」が有名です。
ところが時代の流れのなかで、だんだんと人気がなくなってきます。
熱血が笑われるようになり、努力や根性が無駄だと思われるようになってしまったのです。
しかしスポコンというフォーマットは、なんだかんだいっても大ヒットを連発するので、なんとか時代に合わせて復活できないかと、そう考える人がでてきます。
当作品もそういった流れのなか作られた新時代のスポコンです。
21世紀以降のスポコンにあたる本作は、スポコンの不人気要素「努力」と「根性」と「熱血」を極力排除する方向で作られています。
そもそもスポコンの「コン」は根性の「コン」なのですが、その根性を抜いてしまったら、はたしてそれはスポコンなのか……おおいに疑問なのですけれど、それはさておき、当作品はこの三要素を極力排除する方向で作られています。
彼女たちは優勝するために、泥だらけになってタイヤを引きずりませんし、無意味に体を痛めつける自虐的なトレーニングも一切しません。この作品にあるのは合理的でスマートな最小限のトレーニングのみです。
ただ、大会出場前に修行はしっかりやります。
この作品は全25話、「ガールズ&パンツァー」12話や「ラブライブ!」13話のほぼ倍なのですが、それにしても3話目で初対戦や初ライブを行う両者に比べて、6話目の大会出場まで修行している本作は、21世紀型のスポコンの中では、しっかり大会準備や修行している作品です。
時代の流れ的には、本戦前のこの修行パートは削減する方向に向かっていますので、今あらためて視聴すると少し冗長に感じるかもしれません。
大会出場からが本作の真骨頂
この作品の大会は団体戦です。5人のチームを組んだ4校が、麻雀で対決します。トーナメント形式で勝ち上がり、全国大会に進出、そして全国優勝を目指します。
この大会パートがすごく面白い。とても良くできています。
ただし、麻雀バトルが面白い、というのはもちろんですが、ここで注目したいのは、「美少女キャラを紹介するフォーマット」としてこの大会形式が優れていたということです。
アニメには、魅力的なキャラクターが必要不可欠です。
ですから、どのアニメも人気キャラが生まれるように、様々な工夫をしてきました。そして大人気キャラを生んだ作品は、新作が作られて何年も視聴者に愛され続けました。誤解を恐れず下世話な言い方をすると、ビジネス的に成功をおさめたのです。
というわけで、アニメというのは(アニメに限らずですが)如何にキャラの魅力を伝えるか、大人気キャラを生むような仕組みをシナリオに組み込むかに心血を注いでいるのですが、そんななか、狙ったのか偶然なのかは謎ですが、それはともかくとして、本作は素晴らしい「美少女紹介」システムを発明しました。
それが大会です。
大会に出場してからの当作品は、美少女4人が麻雀でひたすら対戦するという展開です。その4人のなかから1人あるいは2人を選んで、キャラを掘り下げます。
たっぷり美少女キャラの魅力を視聴者にアピールするのです。
いわゆる群像劇スタイルなのですが、本作は基本的には麻雀卓に座っているだけなので、場面転換に無駄な時間をとられることがなく、効率良く、次々と美少女たちを紹介できました。
美少女アニメはヒロインの数がとても多く、どの作品も1人あたりの時間を確保するのに苦しんでいるわけですが、そんななか本作は最適解を出してしまったような気がします。
新時代のスポコンを探し出せ
というわけで、本作は今観てみれば、なるほど21世紀型のスポコンで、素晴らしい作品なのですが、しかし、当時は「ラブライブ!」も「ガールズ&パンツァー」もなく、スポコンが21世紀のアニメファンに受け入れられるのか、そこまで大成功できるのかどうかはまだまだ謎でした。
そういった状況下で、当作品は、たくさんの美少女の魅力を視聴者にアピールし、そしてこれが重要なのですが、彼女たちのバックボーンを描くことによって、さまざまなスタイルのスポコンを視聴者に提案したのです。
つまり、美少女ごとに「努力」と「根性」と「熱血」のサジ加減が違うわけで、どのキャラが今の時代にうけるのか――乱暴に言えばリトマス試験紙としました。
そして、われわれ視聴者の反応をみて、制作者は新時代のスポコンをチューニングしていったのではないでしょうか。
そういった意味でも、当作品はスポコン過渡期に欠かすことのできない、偉大な貢献をした作品だと思うのです。
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