繋縛された者 - カフカ『変身』の感想

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カフカ『変身』

4.004.00
文章力
4.00
ストーリー
3.75
キャラクター
3.50
設定
4.50
演出
4.50
感想数
2
読んだ人
5

繋縛された者

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
3.5
キャラクター
3.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

強烈な初期設定に潜むあるもの

冒頭から主人公が虫に「変身」してしまうという稀な設定で非現実的ではあるが、なにか切迫してくる生々しさがこの作品にあるように思われる。

この”生々しさ”は、虫になったザムザがサラリーマン的な雇用モデルを原型として構成されたキャラクターであることに起因する。

家族を養うために収入を得てゆくためだけの「機械」と化したザムザは人間的であることはいったいどういうことなのかを虫になることによって意味を回収することになるのである。

ストーリーが強烈なのはこの点にあり、単純に虫になるだけであったらならデ○ズニー映画によくでてくるような視点(人間的宇宙観と昆虫的宇宙観の差異に基づいた冒険物語)からでも物語的に十分書けたであろう。グロテスクなまでに肉迫してくるしてくるこの、「なんだかわからないけど、誰かに似てる感」が作品の読者への浸透圧を強めるのである。

彼の存在がばれないように、ひた隠しに生活するなか、ザムザは以前の必須であった自分の存在がいかにみじめなものになってしまったのか痛感していく日々を送る。

終盤になって、ザムザが最愛の妹にまでも見放されてしまって、完全に孤独になってゆく場面がある。ザムザは家族が彼を始末する決心したことを話すのを盗み聴き、翌日何かを悟ったかのように息絶えてゆく。なんとも残尿感のある結末を迎える。

主人公からみえる世界

変身後のザムザは虫である。当たり前であるが、虫になった人間はいまだかつてこの世には存在したことがない(将来、ゲノム編集で出来るかもしれないが)。なぜそのような設定にしたのかは不明であるが、カフカは単に差別や迫害といったものを主題化しようとしたわけではないと私は思う。

むろんそういった解釈もできなくもない場面はある(貸借人や女中から侮蔑的に扱われる場面)。しかし、それ以上にカフカが主人公に付与したかった”翳”は、ザムザの人間的アイデンティティの崩壊や社会的な関係が壊れていくことである。作中、ザムザが虫になってしばらくして、彼なりに虫的な遊びを見出す場面がある。そのあとすぐに人間であったころの自分を思い出して我に帰るという、心は人間でありたいと欲するものの、身体は虫であるという、ジレンマから生まれる葛藤が描かれている。

カフカが生きた時代は第2次産業革命に当たる。電気技術や化学技術がより一層発展し、重化学工業が盛んになった時代である。人間の生活は以前の牧歌的なそれに比して緊張し、強張ったものになった。資本家と労働者とを分け隔てる、資本主義社会がより前面に展開してくる時代の中で、カフカは彼なりのユーモアでもってその「退屈さ」や「虚無感」を批判したのだろう。

「変身」に伏在するメッセージの考察

作家の意識は、主人公と家族にある繋がりに当てられている。人間は、家族をあるいは生まれついた集団を最初の社会として基準に人的ネットワークを形成していく。その前提として、形相的に限界を期した場合、我々人間はそれを同胞として認めない。犬や猫はペットというカテゴリーにはいるが(またそれを家族の一員とすることもあるが)、人間的な言語・非言語コミュニケーションを通して社会に参加することはできない。犬なら犬のコミュニケーションを通じ、人間に必要だと感じさせることで、生存しているのである。虫にはそれはできないのだろうか?なぜ虫だとこんなにも嫌悪されるのだろうか?虫は人間と比べて食い物も違いすぎるし、足はたくさんあるし、羽までついているからだろうか?だからといってザムザがこのような目にあったからといって今まで彼に被せた苦労を無かったものにしていいのだろうか?

いや、カフカが提出した主題はこのような修辞的な疑問より導きだされる「不条理の克服」だけではなかっただろう。ザムザが愛する妹のために音楽を学ばせる資金を積み立てていたのにもかかわらずそれがかなわなかったこと。その最愛の妹からも始末してほしいとの願望を聞いてしまったこと。この家庭を普通の家庭に戻するには自分が息絶えるしかないと観念したのはそういった瞬間である。

「身体的に異形になり、社会的つながりが断たれ、愛されることもなくなってしまった者がどういう選択を最終的にするのか」がこの作品のメッセージであると思う。

もちろんザムザには”死”を待つしか選択肢がなかったわけではない。窓を無理やりにでも打ち破り、念願の外に出て、虫であることを謳歌するという選択もあり得たのだ。自由に飛び回り、森や林の中で腐った果実にありつき、天敵に小心翼々としながら生活することも、彼の将来設計の中にきっとあったのだ。しかし、「人間」として扱ってもらえるはずだという期待と「人間」にもどって家族と幸せに暮らしたいという欲望が、かれを部屋に留めた。

労働する喜びは彼にはもう既になかった。唯一彼が楽しみにしていた妹へのプレゼント(彼の夢)も叶わなくなってしまった。ザムザは妹が喜ぶ顔や彼女からの愛情を希望に据えて生きて来た。虫と化し、希望は打ち砕かれた。彼を繋ぎとめた希望は彼の生命そのものであった。諦めて窓から出れば違う希望が待っていたかもしれない。

希望することも諦めることもできなくなった者は、ただ闇雲に耐える他選択肢がなくなってしまう。中間に居着くことによって彼の導線は限られ、時間が経過していくのを眺めることしかできなくなってしまう。

このような主体的に固定化した者が辿る道程は、いかに悲惨かをカフカは描きたかったのではないかと私は考察するのである。

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あまりにも有名な古典の名作

突拍子もない設定にもかかわらず主人公グレーゴル・ザムザが“気がかりな夢から目を覚ますと”自分が巨大な虫になっていることを発見するという有名なこの始まり方は、多くの読者をこの時点で読むか読まないか選別することになるのではないかとおもうくらい、突拍子もない始まり方だ。しかし当の本人はことの大きさを理解しているのかいないのか、時折自分の体の動きや支配人の態度に“面白さ”や“微笑み”をもらしたりしている。この外見の深刻さと本人の意識の違いがこの小説の魅力を際立てているところでもある。グレーゴルがなぜ虫になったのか、その理由や過程などはまったく描写されていない。ただ朝起きたら虫になっていたというところから始まるのだから興味深い。それはまるで「最終兵器彼女」のちせがいきなり冒頭から体中から銃器を突き出した異形をし、どうしてその体になったのか説明が全くないのを思い出させた(もしかしたら高橋しんはここ...この感想を読む

4.04.0
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