変数的動機の確定と萌えキャラたち - すべてがFになる The Perfect Insiderの感想

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すべてがFになる The Perfect Insider

4.504.50
文章力
4.83
ストーリー
3.83
キャラクター
4.33
設定
4.00
演出
4.17
感想数
3
読んだ人
12

変数的動機の確定と萌えキャラたち

4.04.0
文章力
5.0
ストーリー
4.0
キャラクター
3.5
設定
5.0
演出
4.0

目次

理系というより、割り切れている

記念すべき森博嗣の第一作目、書いた順番では実は四番目、そんな本作「すべてがFになる」。内容が衝撃的で理系ミステリィとかいうわけのわからない呼び名で呼ばれちゃうこともあるが、シリーズ全体はそこまで理系なわけではないのは、読めば誰でもわかること。本作で提示された諸々の要素は、当時では小説として実に画期的であった。これに限らずこの人の作品というのは、割り切り方に大きな特徴があると言っていい。普通だとこだわりたくなる部分をこだわらない、気になるところを意味がないと切り捨てる。その姿勢が、おそらく他との違いを生んだのだろう。おかげで、「森博嗣は人間が書けていない」と言われたこともあったようだが、この意見にはたくさんの人が失笑していたらしい。作者本人も、別シリーズで何度もネタにしているくらいだ。実際問題、森博嗣さんの人間描写は、秀逸であると表現しても何ら問題のないものであろう。むしろいわゆる普通の小説というものが、人一人の人格にスポットを当てすぎているという話である。その点この作者の描写では、人格は「見せる」のではなく「匂う」という状況が非常に多い。例えば、このFになるで言うところの島田文子が、復旧作業を終えたあとのメールの文体などがそれに当たる。どちらかといえばクールな印象の彼女の、多少ブリッコ(この言い方は古いか?)の入ったくだけた文章は、それまでの描写を考えれば多少意外であり、また実際に話す時とメールの文体との間に生ずるリアルな違いというものをよく表している。全部文章で表現しなければならない小説というジャンルでそれができるというのは、普通に「人間描写が巧みである」と表現されてしかるべきものであろう。島田さんはいわゆるオタク界隈の人間で、そういう電子メールでのやり取り的な空間ではああいう人なのかもしれないという妄想もはかどるというものだ。そして、そういう部分を見せすぎないことが、この森博嗣流のリアリティなのである。ま、しかしながら、こだわってないように見せかけて時たまやたらと長い殺人考察が入ることもあるのだが、一作目のこれはどうかと言われると、何とも言えないところ。なんたって本作の特徴の大部分はおなじみの天才、四季博士が担当している。この人が絡むシリーズでは、内容を素直に信じられないから大変である。天才、真賀田四季。作者からの徹底的な寵愛を感じるこのキャラクター……もとい、キャラクタは、良くも悪くも森博嗣作品の象徴なのだ。

四季シリーズを読まないと理解できない部分

文庫本の解説で、「本作は動機を変数にブチ込むべし」的なことが書いてあるのだが、それは四季シリーズを読んでみるとよく分かる。というわけで、ここからは四季シリーズを念頭において考察を進めるので、そちらは読んでいないという方は注意。で、四季シリーズを読むと分かることだが、四季博士の目的が、色々と意外な方向にあったことがそのシリーズで明かされることとなる。一作目から、なんとも壮大な伏線を忍ばせていたものである。作品内でいいだけ動機にこだわらない姿勢を見せておいてのこれは、秀逸なミスリードというべきかズルいと取るべきか……。ともかく四季シリーズで明かされる事実の中で、「Fになる」的に最も注目するべきポイントは、娘であるミチルが実は自殺であったということに尽きる。この時点で本作での四季博士のイメージはだいぶ変わってしまうだろう。また、四季博士のついていた嘘もいくつか明かされる。親を殺した場面の説明はほとんどが嘘と言っていいだろう。親に怒られて傷ついたなんて、よく言ったものである。本作時点では、あまり人格がハッキリ見えていなかったからこそ通じた嘘なのだろう。実際彼女は、惨劇の現場で笑っていたのだから。親に妊娠を明かすシーンはほとんど確信犯的であったと言える。そして、レゴ。博士の部屋の中に何とも言えないレベルの「浮いている感じ」で存在していたレゴブロックは、最後の最後にも軽く登場するのだが、これにも意味がある。四季博士が外を出た理由は、簡単に言えば娘の蘇生を目論みたからであり、レゴは身体組織、すなわち腕を持ち出すための密閉用アイテムとして使われていたのである。これには本当にビックリしたものだ。この辺は見事なミスリードである。第一作目の本作において、もう一度言うが四季博士の人格は不透明であった。ただ天才ということだけがハッキリと述べられていた。そこへ来て、四肢切断の花嫁が娘であった事実、容赦のない山根さん殺害などの事情が加わり、天才ゆえの残酷さを持つ人格として、読者のイメージにインプットされていた。自分の脱走のために娘を殺し、その四肢を切り裂いて利用する四季さんマジでおっかねえと、それが真賀田四季の天才たる証明なのだと、そういう風に認識されるのは必然である。実際山根さん殺害は、ここから新たな事実が明かされない限りは普通に残酷である。あぁ、山根さん、かわいそう。お父さんとお母さんもかわいそう。まあ、そんな親に育てられたミチルちゃんは思春期症候群で自殺するわけだが、ここで四季お母ちゃんは奮起したらしい。腕を持って脱走するという、凄まじい発想で彼女は島からあっさりと抜け出した……それが、本作「すべてがFになる」の真相である。見事な計算だ。

萌絵~

と、真面目な話もそこそこに、そろそろこちらもおなじみ萌絵さんの話をしよう。これまたシリーズを代表するお嬢様である西之園萌絵であるが、これはほぼ作者の趣味としか言えないキャラクター造形である。20代前の美少女が、大して格好よくない大学助教授のオッサンに惚れているという、作者の経歴を考えれば狂気しか感じない設定には身震いする。こんな設定、よくもまぁ……いや、何も言うまい。萌絵さんに限らず、森博嗣作品の中で度々登場するお嬢様はだいたい天才である。本当にこの作者はお嬢様大好きおじさんなのだ。また、天才といっても、この人の「頭がいいキャラ」の基準も非常に偏っているのもポイントの一つ。計算が早い、記憶力がいい、論理的などなどの要素において圧巻なキャラクタは多いが、あまり悟っている天才はいない。真賀田四季も、天才の割には世俗へのこだわりは捨てられないらしく、犀川先生に変な執着を見せることになる。謎。本作は四季博士と犀川先生の出会いの場でもあるのだが、未だに何が四季博士のお気に召したのかは釈然としない。確かに犀川さんは頭がいいのだが……しかしながら、これも四季シリーズに多少のヒントがある。犀川先生、四季シリーズでそこそこ幼き頃の四季さんに誘惑されてミチルの父親役を負わされて、最後はヘリの中で刺されながらも根性見せた新藤副所長と多少、タイプが似ているのだ。つまりは単純に好みのタイプということなのかもしれない。萌絵さんの嫉妬もあながち的はずれではない?だとすると、一作目から、年下の女性が年上の物静かなオッサンに惚れる展開を重ねていたことになる森博嗣さんは本当に正直な人だ。頭のいい男性に、同じように頭のいい女性が惚れる展開は、シリーズを読み重ねていけば何度も目にするだろう。男性から積極的であるシーンは、絶無である。正直キツい。恋愛シーンというのは、気をつけなければ作者の趣味を読者に意識させてしまう悪手になりかねない。せっかく稼いだリアリティを、そんな形でぶち壊してしまうのはいかがなものか。トリックやリアリティのある描写、割り切れた推理を披露している間は間違いなく「第一回メフィスト賞受賞作家森博嗣」だが、恋愛シーンを書いている間はただの「同人作家森博嗣おじさん」である。ようするに、ちょっと偏った萌え好きなのだろう。名前でその種明かしされてますもんね、萌絵さん。

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他のレビュアーの感想・評価

3人の森博嗣について

彼は工学博士である森博嗣は小説家である以前に工学博士である。本作は続く「S&Mシリーズ」の記念すべき第1作目に当たるが、シリーズを通してその知識は惜しげもなく披露されている。彼の作品が「理系ミステリー」と呼ばれているのはこれが理由だ。もし理系という言葉を見ただけで敬遠してしまった読書家がいたらそれはきっと大きな損失となるだろう。読んだ人は皆感じたと思うが、彼の作る世界で私たちは工学博士になれる。この本を読んでいくと文系を学んだ者にとっては初めて聞く専門用語がたくさん登場する。それを文脈で、または自ら調べて大まかに理解していき、彼の作ったトリックを彼の動かすキャラクターたちが推理していく様子を眺めていく。それだけで読者はまるで理系の天才になったかのような気分を味わえる。真賀田四季が残した『すべてがFになる』という、タイトルにもなっているメッセージがすべての答えになっている。16進数に気がつけ...この感想を読む

5.05.0
  • midorimidori
  • 90view
  • 2034文字
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未来は見えている

始まる夏暑い夏の日、西之園萌絵が天才科学者真賀田四季と会話するシーンから物語は始まる。まずこの会話から最初に読者が感じるモノは四季の怜悧で論理的な思考、そして西之園の飛躍する思考の対比だろう。四季は初見から西之園の思考をトレースすることで会話をリードするし、西之園はその飛躍する思考を存分に発揮して四季の思考に追いつこうとする。しかし、会話を読みすすめるうちに、いつのまにか、この二人は似ている。と思わされる所に森博嗣の巧妙さがある。最初は対比関係にあった二人の女性が、会話をしているうちに混ざり合い読者を知性の深淵へ導いてくれる。そしてこの知性の深遠さこそが、作品のテーマとなっているのだ。会話のページはわずか10ページほどだったと思うが、その最初の10ページが森作品のテーマを象徴しているのは非常に興味深い。この夏の日から全ては始まっていくのである。予見された未来本書が出版されたのは1998年である...この感想を読む

4.54.5
  • sikimurasikimura
  • 195view
  • 2006文字

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